忠魂碑は、明治・大正・昭和に全国の市町村に建立された。
とは言え、その多くは昭和元年~昭和17.18年頃に集中している。
そして揮毫者は?
と言えば、そのほぼすべてが軍人で、地位が大将または中将だった人。
市町村の在郷軍人会の役員が、そのコネなどで将官に依頼したものと思われる。
今日散歩中に忠魂碑を見ると、揮毫者が”元帥”の忠魂碑があった。
大日本帝国の軍人の位には、
大元帥、
元帥、
大将、中将、少将、
大佐、中佐、少佐、
大尉、中尉、少尉、
の将校がいたが、一般的には大将が最高位。
元帥は、
歴史の教科書に載るほど有名な人物。
と思っていたが、よくみると
「元帥陸軍大将正二位勲一等功一級伯爵 奥保鞏」
家に帰ってパソコンで見ると、
(Wikipedia)
奥保鞏(おくやすかた)
弘化3年11月19日(1847年1月5日)~ 昭和5年(1930年)7月19日)は、
日本の陸軍軍人。官位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵。
日清・日露の大戦争で軍功があり、
薩長時代に初めて”元帥”になった他藩(小倉藩)の人だそうだ。
撮影日・2023.11.2 岡山県井原市井原町・郷社(足次山神社)
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全く個人的なことだが、
管理人の高祖母と生まれたのが同じ年だ。
(昭和15年頃の高祖母)
高祖母は弘化3年に生まれ昭和18年に亡くなった。
その、高祖母の生きた時代を知りたくて、今こうして郷土史を少し勉強している。
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