笠岡高等女学校沿革
「笠岡高校70年史」 笠岡高等学校・編集部 凸版印刷 昭和47年発行
・・・・・
明治35年 笠岡町立笠岡女学校開校式(4.8)本科4ケ年160 技芸3ケ年60
明治44年 修学旅行、阪神地方へ行く
・・・・・・
大正7年 現在地大久保に校舎落成・移転
大正8年 笠岡高等女学校(・・・高等女学校令改正、就業は4年または5年)
本科5ケ年750
大正11年 海水浴をはじめて行う(7.23)
(大正2年卒業)
(裁縫の授業・生徒は全員着物で頭は全員束髪)
(完成した校舎・昭和41年頃まで使用)
・・・・・・
昭和2年 屋内体操場落成
昭和3年 県立に移管 (4.1)
昭和4年 奉安殿落成
昭和11年 校歌制定
昭和19年 学徒動員により水島の航空機工場に出勤する(6.15)
(射撃訓練)
(ダンスの授業)
(昭和15年頃・勤労奉仕)
(神武天皇の高島の清掃)
(修学旅行は宮城、ずいぶん遠方まで行ったもの)
・・・・・・
昭和23年 岡山県立笠岡第二高等学校(4.1)
昭和24年 最後の旧制高等女学校の卒業式を行う(3.16)
岡山県立笠岡高等学校千鳥校舎(9.1) 普通600 家庭300 定時制 160(←定時制35年廃止)
昭和28年 岡山県立笠岡高等学校(独立校となる)
昭和33年 運動場拡張事業はじまる
(昭和25年度・笠岡高等女学校入学で笠岡高校卒業)
(昭和27年度・写真の左に男子生徒が見える)
(昭和42年度・新校舎での授業、窓の外に旧校舎が見える)
「笠岡高校70年史」 笠岡高等学校・編集部 凸版印刷 昭和47年発行
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明治35年 笠岡町立笠岡女学校開校式(4.8)本科4ケ年160 技芸3ケ年60
明治44年 修学旅行、阪神地方へ行く
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大正7年 現在地大久保に校舎落成・移転
大正8年 笠岡高等女学校(・・・高等女学校令改正、就業は4年または5年)
本科5ケ年750
大正11年 海水浴をはじめて行う(7.23)
(大正2年卒業)
(裁縫の授業・生徒は全員着物で頭は全員束髪)
(完成した校舎・昭和41年頃まで使用)
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昭和2年 屋内体操場落成
昭和3年 県立に移管 (4.1)
昭和4年 奉安殿落成
昭和11年 校歌制定
昭和19年 学徒動員により水島の航空機工場に出勤する(6.15)
(射撃訓練)
(ダンスの授業)
(昭和15年頃・勤労奉仕)
(神武天皇の高島の清掃)
(修学旅行は宮城、ずいぶん遠方まで行ったもの)
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昭和23年 岡山県立笠岡第二高等学校(4.1)
昭和24年 最後の旧制高等女学校の卒業式を行う(3.16)
岡山県立笠岡高等学校千鳥校舎(9.1) 普通600 家庭300 定時制 160(←定時制35年廃止)
昭和28年 岡山県立笠岡高等学校(独立校となる)
昭和33年 運動場拡張事業はじまる
(昭和25年度・笠岡高等女学校入学で笠岡高校卒業)
(昭和27年度・写真の左に男子生徒が見える)
(昭和42年度・新校舎での授業、窓の外に旧校舎が見える)
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