子どもの夏休みの日、家の横の道を、垣根越しに子どもの声と七夕が歩いていた。
大きな声と、半分見える七夕飾りで「ああ、そうか今日は七夕か」と気づくのが毎年のことだった。
西ノ谷の子どもが何組かで七夕飾りの行列、・・・といっても横に倒して路上をひこずりながら海に向かっていた。
胴山の子どもは、それで七夕当日と知り、庭の七夕飾りの紐を解いてから、海に向かう、
それが茂平の子どもの「七夕の朝」だった。
親たちは畑(のえ)に行って家は留守った。
夏休み期間は、茂平の親たちにとって、一年のかきいれ時で子供が起きた時にはもう、家にいなかった。
子どもは、七夕飾りを横倒しの状態で、茂平の水門まで持っていった。
水門前の海(「ひどう」と呼んでいた)に七夕飾りを流した。
先着や降着の七夕があり、子供心に”七夕”という行事を感じていた。
七夕飾りは、藪に行って竹を1本伐って家に持ち帰るところから始まった。
次に番屋に行ってナスビやスイカの飾りと、こよりなどにする紙を買ってくる。
紙に願い事を書き、こよりは女の子が作ってくれた。
家の庭(かど)の端にある杭の木に竹を結び、飾りをつけた。
毎晩、夕方になると涼み台と呼ぶ長方形の木製の台に座ったり、寝ころんで、
天の川や織姫や彦星を見ていた。
暗くなる前は蝙蝠が数匹飛んでいたが、夜になるといなくなっていた。
その頃には一日の仕事を終えた父も星を眺める日々があった。
(母は一度もない。女性は半分奴隷の時代だった)
後から想い出すに、子どもがいない家、子どもが男だけの家ではその家で七夕飾りを見たことがないような気がする。
女の子が主体の行事だったのだろうか?
・・・・
今日は「七夕の日」。
恥ずかしながら、管理人の子ども時代の「七夕」。↓
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