しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

労研饅頭(ろうけんまんとう)

2017年09月05日 | 暮らし
母の話・2015.1.1
 
(母は、この話の2ヶ月後に亡くなった)

母の年齢(大正10年3月生)から、昭和10年前後のことである。

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(井原高等女学校の前にある)コマツ屋ようた。
そこへ買いに行きょうた。一袋へ四つ入とった、5円しょうた。
安ぃんじゃ、あの頃の5円はやしぃ。
弁当を持っていかんもんがエットおろう、そうゆうもんが皆、あれを買うて食びょうた。
蒸しパンのようなもんじゃ。中へ黒い豆がへぇとるだけじゃ。
昼になれば急ぇで買いにいきょうた、よう売りょうた。
「早ぉ行かにゃあのうなる」ゆうて言ぉた。
学校の中でも、だいしょう売りょうたかもわかんらんなあ。

興譲館の下でも、「よう売れる」ゆうてようた。
豆はところどころに入ぇて、味はええようにしてあった。

「ローマンを買う」ゆうてようた。
世が良ぉなったら、のうなった。パンになった。
コメント (5)
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