しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「在郷軍人名簿」をめくる

2019年09月04日 | 市町村史
「在郷軍人名簿」をめくる


「在郷軍人名簿 岡山県小田郡城見村」より転記する。


xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

兵科 歩兵
族籍 平民
本籍 岡山県小田郡城見村大字xx xx番地
官等級 (空欄)
氏名 xx長男 ●●○○  誕生 明治xx年xx月xx非
入隊 明治44年12月1日補充兵役
所管 岡山連隊区
現役 (空欄)
予備役 (空欄)
後備役 (空欄)
補充兵営 (空欄)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城見村の佐官(戦没者遺族台帳より)

2019年09月03日 | 市町村史
生前父は、「城見村には尉官程度で佐官以上はいなかった」と話していた。
しかし佐官は存在していた。
しかも父が良く知る軍人であり、その父も子も知る人だった。二階級特進か(?)

戦没者遺族台帳 小田郡城見村役場 より転記する。

xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx


戦没者遺族台帳 小田郡城見村役場


海軍少佐 従六位 〇〇●● 大正4年△月△日生
原隊 (空欄)
昭和20年8月28日 死亡
本籍 岡山県小田郡城見村大字xxx xxx番地
遺族 父 xx 明治xx年xx生 農業
   母 xx 明治xx年xx生 農業
   長女 xx
   長男 xx
   妹 xx
   弟 xx

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初代宮内庁長官の「拝謁記」②

2019年09月01日 | 昭和26年~30年
山陽新聞 2019年8月20日の記事より転記する。

xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

故田島道治の「拝謁記」には、昭和天皇が戦前の軍部の暴走を「下剋上」とたびたび批判する記述がある。

一方終戦の決断が遅れたことには「無条件降伏は矢張りいや」だったと漏らしていた。
「一寸こちらが勝ったような時に、其時を見付けたいといふ念もあった」とある。「一撃講話論」を持っていたことが改めて裏付けられた。

関東軍の謀略だった1928年の張作霖爆殺事件を巡る田中義一内閣の対応について「事件のさばき方が不徹底であった事が今日の敗戦に至る抑々の禍根の発端」と胸中を明かしていた。
軍部の専横を「下剋上」と非難し「早く根絶」すべきだったとも主張していた。

軍部の台頭を許した「2.26事件」については「あの時分の軍部の勢は誰でも止められ得なかった」と語っている。

開戦時に東条英機を選んだことには「唯一陸軍を抑え得る人間と思って内閣を作らした」「見込み違いをしたといえばその通り」と反省。
開戦を巡り「平和を念じながら止められなかった」「東条内閣の時は既に病が進んで最早どうすることもできぬといふ事になっていた」と悔いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする