場所・愛媛県大洲市長浜町(長浜高校前)
西村兵太郎氏のことは全く知らなかった。
長浜町の文化や金融や漁業や県政・町政に尽力した大恩人のようだ。
氏が尽力した「長浜大橋」は今、国の重要文化財。
鉄道は「愛ある伊予灘線」として全国の鉄道ファンに親しまれている。
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愛媛県生涯学習センター データベース『えひめの記憶』
西村兵太郎(1884〜1935)
明治17年~昭和10年(1884~1935)長浜町長・県会議員・議長、民政党支部長。
明治17年3月30日、喜多郡長浜町で西村金太郎の長男に生まれた。
喜多郡共立学校(のち大洲中学校)を中途退学して35年町役場書記に就職した。
このころ笑波と号し38年俳誌「シブキ」を発行して新興俳句を詠み俳論を展開した。
41年長浜町信用組合を設立して44年同組合長になり、同年町会議員になった。
大正3年4月長浜町長に選ばれ、昭和10年死去するまで5期21年在任した。
任期中、長浜大橋架橋を企画実現し、長浜港改修や国鉄誘致に奔走した。
大正8年9月県会議員になり昭和10年9月まで4期連続在職して、大正13年11月~昭和2年9月副議長、昭和6年10月~8年11月議長にそれぞれ選ばれた。
大正5年長浜漁業組合長、8年喜多郡漁業組合連合会長、昭和2年愛媛県水産会長、4年全国漁業組合中央会理事、6年帝国水産会代議員を歴任して、水産業発展に尽力した。
昭和5年民政党県支部幹事長、7年同支部長として県政界一方の中心人物であったが、昭和5年2月の第17回衆議院議員選挙で落選して以後国政選挙には立たなかった。
昭和10年9月13日、長浜大橋開通直後、国鉄下灘-大洲線開通直前に51歳で没した。
昭和13年4月、銅像が建立され、題字を伊沢多喜男、碑文を井上要が書いた。(『愛媛県史 人物』より)
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(赤い橋が重文「長浜大橋」)
訪問日・2025年1月22日
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