中山陵から明孝陵まで徒歩で行った為、45分もかかり到着したのは12:00
世界遺産に登録されているので、一番期待していた観光地だが口コミの評判はあまり芳しくない
中国の世界遺産は5年前は38か所だったのに2013年現在では45か所に増えている
私たちはこの明孝陵で20か所目の観光となる
1376年(明の洪武9年)から造営が始まり、30年の年月を費やして完成した。中国の皇帝陵の中でも最大規模を誇る大きさで、当時陵墓を囲っていた紅墻の長さは22.5キロにも及んだという。
孝陵は鐘山南麓の独龍阜玩珠峰に位置し、今日では下馬坊・碑亭(俗称四方城)・神道・碑殿・享殿(孝陵殿)・方城・明楼・宝頂などが残されている。陵墓の入り口・下馬坊から方城までは2.62キロあり、中でも下馬坊から四方城(大明孝陵神功聖徳碑亭)に至る800メートルの神道両側に並ぶ石人・石獣は保存状態も良く、孝陵を代表する見所となっている。神道の前半部分は石獣像で、獅子・獬・駱駝・象・麒麟・馬が並び、後半部分は文官・武将の石人像が続いている。
孝陵は鐘山南麓の独龍阜玩珠峰に位置し、今日では下馬坊・碑亭(俗称四方城)・神道・碑殿・享殿(孝陵殿)・方城・明楼・宝頂などが残されている。陵墓の入り口・下馬坊から方城までは2.62キロあり、中でも下馬坊から四方城(大明孝陵神功聖徳碑亭)に至る800メートルの神道両側に並ぶ石人・石獣は保存状態も良く、孝陵を代表する見所となっている。神道の前半部分は石獣像で、獅子・獬・駱駝・象・麒麟・馬が並び、後半部分は文官・武将の石人像が続いている。
この図が一番分かりやすいのでこれで明孝陵を案内しましょう
①金水橋 ②文武方門 ③東井亭 ④西井亭 ⑤御厨 ⑥具服殿 ⑦碑殿 ⑧東配殿 ⑨西配殿
⑩享殿 ⑪内紅門 ⑫升仙橋 ⑬明楼 ⑭宝頂
入口(文武方門?)が見えてきました・・ここで、もう足が悲鳴を上げております!
一寸字が違うようですが・・朱元璋の絵でしょうか (達筆すぎて読めません)
夫が方城(明楼)に上がって行くと言うので私は下で待つことにする
高~い夫が米粒にしか見えません
(上のサムネイルを夫が見えるように拡大すると)
下で夫を待っているの図
下りてきた夫はこれから霊谷寺に行くと言う・・・あらら、ここで見るべきものは他にもあるのでは?
何だか物足りない“世界遺産”見物だった
霊谷寺は、霊谷寺公園の中にある明大初期に建設された仏教寺院。
周囲はすべて山で、荘厳な雰囲気に包まれている。シンボルの霊谷塔は、高さ60m。これは1931年から2年かけて建てられたもの。内部には蒋介石が校長を務めた黄浦軍校の資料が置かれている。無梁殿は、1381年(明の洪武14年)に創建された。梁を1本も使わずに作られた特徴的な建物で、明代の建築レベルを今に伝えている。
周囲はすべて山で、荘厳な雰囲気に包まれている。シンボルの霊谷塔は、高さ60m。これは1931年から2年かけて建てられたもの。内部には蒋介石が校長を務めた黄浦軍校の資料が置かれている。無梁殿は、1381年(明の洪武14年)に創建された。梁を1本も使わずに作られた特徴的な建物で、明代の建築レベルを今に伝えている。
霊谷寺へはバスが出ていたのでバスで行くことにする・・運よく私たちが乗る番には小さな園内遊覧バスではなく、大きなバスが来たので早く行くことができる
バスを降りた所に沢山の食べ物屋さんが並んでおり、観光客がラーメンや串焼き肉などを食べている
バスを降りた所に沢山の食べ物屋さんが並んでおり、観光客がラーメンや串焼き肉などを食べている
私はそのベンチの隅に座って・・夫が見物して帰って来るのを待つことにする
以下は夫が撮ってきた写真の1部です
シンボルの霊谷寺塔
次は路線バスで玄武湖方面に向かいます
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