モノスヤ☆のまきのテケテケあるある記。

花柳仲登嗣(モノスヤ)&仲真央(のまき)のコンビは2013年もブルワーズ青木を鋭意応援して生きます!!芸道も精進ちゅ♪

自由研究鍋=第三弾=

2007-01-06 21:29:04 | いろんな話。
因んだわけでは決してありませんよ?
(山ピー観てないですもん)

今日は会津の郷土料理~こづゆ~と心に決めていたのです。

今日は長い長い母子戦争勃発のため暗い暗い一日だったのですが。
それでも自由研究課題のために台所に立てば、
すこしはその陰うつさも収まるというもの。

今の私には料理しかないくらいです。


『こづゆ』とは会津地方の伝統料理。
会津藩の武家料理が庶民のご馳走として広まりました。
正月や祭りなどのハレの日の”おもてなし”料理として味あわれてきた一品。

山海の珍味で仕立てた薄味の汁煮。

福島の郷土鍋が、どうしても特定できなかったので。
それで教えていただいた、この”こづゆ”を福島代表に取り上げました。

山間部で手に入りにくい海の幸は干し貝柱を利用。
焼き麩も入れました。

他の具は、
 人参・ゴボウ・里芋・干ししいたけ・きくらげ
高野豆腐も入れてみました。

あっさりとしたしょうゆ味ですが、
干し貝柱・干ししいたけ・昆布だしの旨味が凝縮しています。


素朴な味わいのある会津の”こづゆ”。

娘M嬢の自由研究でもなければ味わえなかったかもね。


ちなみにこんな風に販売もされているようです。

これによる母子喧嘩。

2007-01-06 21:09:38 | いろんな話。
わが家では必ず母子戦争が勃発するのです。

4月15日に主宰する第2回目の会の諸準備のため、
ひさしぶりに登場したのが画像のオープンデッキです。

2年前の前回の会、第1回目は幸いにもオープンテープを使うような音は無かったのです。
レコードからテープ(いまどき)、CDからテープ。
テープからテープ(いまどき)、
いずれにせよそこにはオープンテープの出る幕がありませんでした。

振り返ると9年ほど、この機材に触っていないことに気がつきました。

今回どうしても過去のオープンテープから音を起こしてこなければならなくなり、
ようやく今日という時間を設けたのでした。

さて。
デッキを出したのは良いが、
まるで他の機器との接続を覚えていないことに気づきます。

いったい、これに何を繋げたのか。

何で、どうやって繋げたのか。

どの穴に入れて何をどう出したのか。

まったく、さっぱりわからないのです。思い出せない。


家にある、ありとあらゆる機材を引っ張り出し。
背面やら横っちょに、ありったけの線を繋げてやってみるものの。
オープンの音がテープに録音されません。

それどころかスピーカーから音も出ない。


時間ばかりが無常にも過ぎていき、
そのうち稽古場に師匠がやってきました。

進捗状況として何ら作業が捗っていないことに、
いったいどうしたのかと様子を伺いにきたようでした。


そこから師弟戦争ならぬ母子戦争が勃発するのです。


この音作りの一件では、
どの会でも必ずもめる二人なのですが。

私は、これから時代はCDでありMDであってオープンやテープは古い。
と言い出すと、それに対してムキになって反論してくるのです。

確かに舞台音響上はテープもオープンも無くなりはしないだろうけれど。
現実的に、そのテープ自体が手に入らなくなっているのだから。

移行したっていいじゃんと思うのですが。

それを言い出すと必ず師匠はキレます。
というのも我が家にはオープンデッキがもう一台あり(オープン間のダビングもするため)、またオープンテープに入っている音源も数十本(いやもっとか)あるからなのです。

「いくらあっても使いでがなければ宝の持ち腐れ」と私が言ってしまったため。
さあ大変!

「使わないアンタが悪い!使いこなせないアンタがだらしないんだ!」

結局、最後には止めてしまえと吐き捨てて師匠は出ていきました。

(ちなみに師匠は現在どの機材さえも接続することはできません)

私は、いつものとおりドヨーンとした気分になりながら。
説明書片手に記憶を呼び覚まそうと必死でした。

ここでできないとなったら、この険悪なムードが延々と続くことになる。
こんなとき家族で同業者って本当に厄介です。


何だかんだと取り組んでみた結果。
どうにかオープンからテープ、またその逆の録音の接続に成功。

加えて不調で使えずにしばらく経っていたMDまでもが復旧。


ミニコンポの背面を見ながら、
インアウトインアウト。入出入出と呪文のように唱えて数時間。

自力で、この事態を脱出しました。

ようやく今日作るべき本番用音源を4本ばかり作り終えました。

ともかく口約が守れてホッとしました。


そんな長い一日。
そんな最中でも合い間に抹茶ロールを作る私は弟子としては優秀でしょうか?
それとも失格でしょうか?

師匠は、すごく怒ってましたけど。


これくらいしていないと身が持ちましぇんです、はい。

本日のケイク。

2007-01-06 20:37:28 | いろんな話。

予定どおり。

作りました。抹茶ロール。

なんのために栗きんとんの栗を余らせたと思って?(笑)

抹茶が予想より、お高いのでビックリしました。

生クリームに、ゆであずき?と思った辛党ですが。

これが案外、美味でございました。

あずき投入のおかげで砂糖は微量で済みました。

絵面ではキレイなグリングリーンだったのですが、

どうやら抹茶色自体の濃さだったみたいです。

フカミドリ。

アオミドロじゃないからいいか。



クリームまったりで栗たっぷりのため。

今回ばかりは”の”の字は無しで。

でもちゃんと、まとまりましたよ。


これぐらいしないと、やってられなかったぜ。今日!(つづく)


即席めんパパ逝く

2007-01-06 09:19:29 | いろんな話。
日清食品の創業者だったのか。


齢96歳。
天寿を全うしたと表現しても語弊はないでしょうか。

即席めん食べて96歳まで生き長らえること、できるのか。
などといっては不謹慎でしょうか。

96歳の創業者は4日の仕事始めで訓示をされたそうです。
長生きの生き方にも、いろいろあるのだなとつくづく感じます。


総じて口を揃えていうのは、
「自分のこと自分でできるような老後を送りたい」
ではないでしょうか。

そして生涯、現役でありたいとは多くの人が思うこと。

私だって死ぬまで踊っていたいし、
その時間が長く続けばいいなと思います。


若かりし頃は・・・(年を取ったと痛感)、
パッと咲いてパッと散る。
それも大輪の花を咲かせて潔く散りたい、
そう花火のように・・・などと思った時期もありました。

あの頃は太く短くが女の道だと思っていました(明らかに勘違い)


今は、そんなことは思ってもみませんよ。
なるべく今、無理をせず力を出し惜しみし自分を小出しにし。

できる限り長々と、この道を歩み続け後輩たちに畏怖の念(畏敬じゃないのか!)を抱かれる存在になりたいと!

思っております(笑)


この道の諸先輩、諸先生方を見習ってデスネ(爆)


ところで、
その即席ラーメンの第一号は『チキンラーメン』だということは。
多くの人の周知の事実だとは思います、が。

私も、そのことは知ってはいるものの。

その第一号のチキンラーメン自体を、まだ食したことがありません。

旨いですか?


我が家は即席めんといえば『チャルメラ』派だったのです。

鍋ラーメン(よく鍋焼きうどんが入って出てくるアルミ?のあの一人用鍋)が母R子と私の唯一の夕餉という時期が数年ありました。

その日の夕食はチャルメラだけ。

たまに奮発して玉子一個と炒めたキノコが入ると、
もうご馳走の域でした。

母と娘は二人して泣きながら、それをすすったことが何回もありました。


思い出すだけで涙がこみ上げてきた、イカンイカン。


その頃から出世して親をラクさせるぞ!
立派になった姿を親に見てもらうぞ!

と思った割に、こんなテイタラク。


なかなか親の生きているうちに、そんな姿は見せてやれなそうです?

私が80歳で登りつめたとして、
そのとき母R子は108歳とかだからなー。

無理っぽいかも。ごめんね。


チキンラーメンを開発した創業者は、
それに続きカップヌードルも発売したのですね。

カップヌードルが発売されたのは36年前のイノシシ年。

その歳月を積んで日清食品は業界最大手となりました。


ラーメン王の存在は偉大です。


私も、その爪の垢でも煎じて飲みたいくらい。


日清食品創業の安藤氏死去 即席メン生みの親(共同通信) - goo ニュース