TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

『劇場版 ドクターX FINAL』

2024年12月07日 | エッセイ
『劇場版ドクターX FINAL』を観に行く。
何か月も前からずっと楽しみにしていたのがようやくこのたび上映の運びとなったのである。
ドラマ版は全て録画して見てきたので、登場人物にも懐かしさを覚える。
入り組んだ事情や人間関係の脚本のみごとさはいつものことながら感心してしまう。

劇場版でも、最後まで大門未知子は失敗しなかった。
そして、病に倒れた神原晶ももしかしたら今後、蘇生することもあるかもしれない、という期待をもたせてくれる結末だった。
西田敏行演じる蛭間会長が、この心臓移植手術を「隠ぺいするように。わたしはこのオペを見なかった」と言ったのは、病院の利益のためなんかではなく、初めて、大門ドクターをかばうための発言だったのだとわかった。

実は父が先日心筋梗塞で入院した。
救急搬送が早かったのでステント術を受け、4,5日間ICUにはいり、現在は一般病棟にいる。
ICUに面会に行くたびに、心電図、心拍数を示すモニターや血圧、酸素飽和度のデータと御対面することになり、”リアルドクターX”の現場にいるかのような状態だった。
ガラス張りの病院の渡り廊下を見ると、手術を終えた大門先生が、背筋をスッと伸ばしてハイヒールで颯爽と歩く姿を思い出した。

実家に帰ると、主のいない父の座椅子がそこにある。
いつもはそこに座って何をすることもなくテレビをただじいっと眺めているだけなのだが、生きてそこにいるのといないのとでは、あたりまえのことだが全く違う。
神原晶の存在もまたそれと同じで、彼は意識がなくても、そこにいることで、これからも未知子たちを支えていくのだろうな、という未来を予感させた。
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謎のマイナ保険証

2024年12月06日 | エッセイ
かかりつけのクリニックの受付で、マイナ保険証のいわゆる紐づけ登録をしようとすると、「それは自分でアプリから登録しないとダメですよ」と言われた。
「薬局でもできないですか」と聞くと、あくまでも自分で登録作業の必要があるという。
さらに彼女は続けて、「カードを持っていると資格証を送ってももらえないらしいから、わたしはカードさえ作らないのよ」と言う。
ちょっと得意げだ。
わたしの不確かな記憶では、マイナンバーカードを作った人は、医療機関に直接行けば、そこで紐づけができてすぐさま保険証として使えると聞いたような気がしたが……。
不審ながら、こちらもよくわかっていないので、そういうものかと思いつつ、幸い紙の保険証がまだ有効なので、今回はそちらで受診することができた。
そして薬を受け取ろうと薬局に行くと、やはりアプリでの登録が必要ですと言われた。
マイナポータルというサイトのページもわざわざプリントしてくれた。

帰り際、往生際悪く、いつも目薬を処方してもらっている別の薬局に行ってみた。
ここではマイナンバーカードの提出を積極的に求められるので、もしかしたら登録をしてもらえるかもしれない、してもらえないまでも、その方法を教えてもらえるかも、と思ったのだ。
すると受付に置かれた小さな器械を指し示されて、あっさりと紐づけ登録は完了した。
なんだ、できるじゃないの。
あっけにとられた。

帰宅後、所属する保険組合から先日送られてきた書類を見て合点がいった。
それは資格情報のお知らせというものであり、「マイナ保険証の読み取りができない例外的な場合」について、マイナ保険証とともに医療機関の受付で提示すれば、受診できると書いてあった。
どうやら、その場で登録ができる医療機関と、例外的にできない医療機関があるらしい。
その例外的な医療機関にたまたま2か所続けて当たったようだ。
しかし、これらの例外的な医療機関にこの資格情報のお知らせを持っていって、果たして対応してもらえたがどうか。
そこまでこのお知らせの存在が知られているかどうか、それも怪しい。
マイナ保険証制度の情報が正しく共有される前に、この制度が出発進行してしまったために、医療機関のかたも含めて、みなさん、自分の経験をもとに話すしかないというような場面や状況に置かれているようだ。

それにしても、アプリ、アプリって最近この単語に置き去りにされることが多くなった。

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音楽効果

2024年11月29日 | エッセイ
腰の精密検査のためにMRI検査を受けた。
MRI検査は、遡ること20年ほど前だったか、脳ドックで受けたことがある。
筒のような、カプセルのようなものにからだがスーッと入ったと思ったとたん、四方八方から工事中のような騒音が鳴り響いた。
さらに密閉容器に閉じ込められたような感じが耐え難く、泣いてもわめいてもこのまま外に出られないのではないかと恐怖でいっぱいだったっけ。
15分の長いこと。
閉所恐怖症ではないのだが、この症状を持つ人にはとても耐えられないだろうと思われた。

喉元過ぎればではないが、そうした思い出も今は昔。
ある程度予測がついていればだいじょうぶなのではないかと本日は割と気楽に来院した。
更衣室で湿布をはがし、金属製のベルトをはずし、スリッパにはきかえる。
なんでもヒートテックの下着も、磁気に反応して発熱するので脱がなくてはいけないのだとか。
支度をして待っていると、冷凍庫のような重々しい金属製の扉があいて、中にはいるように案内される。
目の前には、あの筒がある。
ドラマ『ドクターX』でよく見かけるあの器械だ。
別室で大門先生が見ていてくれたらいいのに……と思う。
ベッドに横たわると、ヘッドフォンをつけるように促される。
撮影場所が腰なので、頭に金属を付けるのは構わないようだ。
横たわった姿勢のままからだがスススッとカプセルの中に吸い込まれる。
とたんに、中島みゆきの『糸』の曲が聞こえてくる。
あらまあ、ずいぶんとおしゃれになったこと。
検査機関にもよるのだろう、両親は別の医療機関で脳のMRIを受けているが、音楽が流れるなどとは言っていなかった。
次から次へと、優雅でおっとりした音楽が流れてくるのだが、なにぶん、工事現場のような磁場の音に妨げられて、騒音の合間にしか曲が聞こえない。
しかしこの音楽効果は侮れない。
15分が長く感じたのは前回と同じだが、全く苦痛ではなかったのは、合間に音楽が流れていたからではないか。
閉塞感も感じず、「はい、終了です。お疲れ様です」という声がしても、もう少し入っていてもよかったわね、などと思ったのは意外であった。
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年賀欠礼に思うこと

2024年11月20日 | エッセイ
年賀状の季節がやってきた。
郵便料金があがったせいで、年賀状終いをする人が増えたらしい。
終わないまでも、こちらからは出さないでおいて、先方から来たら出すという“様子見”の人も増えるだろうとのこと。
年賀状終い用のスタンプまで売り出された。
わたしも数年前に、メールのやりとりをしている人限定で、年賀状終いをしたが、その文面には多いに迷った。
スタンプがあったら買わないまでも、その文面を真似っこして多少アレンジして使ったかもしれない。

とりあえず、自分の年賀状問題はこれですっきりした。
結果、今年出すのは5枚きりである。
これに入れ替わって発生したのが、親の年賀状問題である。
父は住所録を作り、昔の会社関係、親戚、友人知人と律儀に毎年出している。
ここ2,3年、視野が急激に狭くなり、届いた郵便物の文字があまり見えなくなっても、年賀状を終うつもりはないようだ。
年齢的にも、それこそ年賀状終いの挨拶状が舞い込むことも多くなった。
ご本人が亡くなったという訃報も時に舞い込む。
そこで、今までの住所録を大幅に書き換える必要が出てきた。
本人お気に入りのワープロ操作も覚束なくなったので、わたしが昨年の年賀状の束を元に、住所録の書き換え作業を仰せつかった。
「前は100人もいたのにな」と父は言うが、現在の30人だってわたしにとってはたいした量に思える。
年賀状の数というのは、たとえ儀礼的であっても、なにか社会的なステータスのようなものなのだろうか。

ともかく、こうした「宿題」は、手早く済ませたい。
朝も早くから起き出してハガキを傍らに、「やれやれできた」とひと息ついていると、父から電話があり、「〇〇さんが亡くなったらしいから、住所録から削除してくれ」と言ってきた。
〇〇さんとは、神戸に住む、父の兄の奥様である。
慢性の病で長らく寝ていらしたとは聞いていたが、詳しいことはわからなかった。
このたびの年賀欠礼は、姪っ子から届いたのだそうだ。
それによると、今年の8月に亡くなっていたのだとか。
住所録から彼女の名前を削除する作業そのものは一瞬だが、気持ちの上ではなにかひきずるような、おさまりがつかないようなものがあった。
子供の頃、〇〇さんとは神戸の祖母の家でよく顔を合わせていた。
年が近い従妹同士が祖母の家に集まり、今回ハガキをくれた従妹とも遊んだ記憶がある。
こちらが高齢で遠方に住んでいるということもあり、気を使わせまいと遠慮したのかもしれないが、年賀欠礼の時期まで待たずに知らせてくれてもよかったのではないかなあ、というさびしさがあった。
しかし考えてみれば、中心になる祖母の存在があればこそ、よく顔を合わせていたのであって、彼女亡きあと、親戚一同とは疎遠であった。
みなそれぞれにそれぞれの場所で暮らし、連絡をとりあうということもなかった。
よそよそし過ぎるのではないかと思ってみても、いつのまにか、時の流れがそうした関係性を作り上げてきたのである。
仲たがいというのではなくても、しかたのない成り行きなのかもしれない。

父母ともに兄弟姉妹の数が多い。
それがここ数年来、ひとり欠け、ふたり欠けして実にさびしいことになった。
寿命という神様の乗った玉がゴロゴロと確実にこちらに向かってくるような、そしてそれを止めることなどできないのだという無力感もまた今回の訃報で新たにしたのである。


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本日は宅食なり

2024年11月15日 | エッセイ
11月の「介護者のつどい」は、趣向を変えて、宅食弁当の試食だった。
そのまま召し上がるのではなく、ひと手間加えると、飽きも来ず、栄養のバランスがさらにアップしますよ、というデモンストレーションもある。
無料試食会だの、おみやげ付きだのというと、とかく参加者が増えるもの。
今回も御多分にもれず、初めてお見かけするかたたちもちらほら……。
食事つきデイサービスの管理栄養士さんが講師として招かれて、栄養のバランスと運動の大切さをレクチャーする。
その途中で、お弁当を届けに来た配達員が部屋をのぞいて声をかける。
すると、レクチャーはもういいから、早く食べたいな~という雰囲気がみなぎる。(わたしがそう思っただけかもしれないけど)。

レクチャーのあとは、調理室に移動して、”ひと手間”の実践である。
そのまま食べるのでは能がないというわけだ。
袋にはいった千切キャベツや管理栄養士さん手作りのふりかけ、デザートにはプレーンヨーグルトにバナナの輪切りを入れたものを追加する。
ファシリテーターの男性スタッフが、「めったに僕は料理なんてしないから。実はここのレンジの使い方も知らなくて……」などと料理初心者であることを明るくアピールしながら、悪戦苦闘。
ほうれんそうとコーン、ベーコン入りの冷凍食品に塩コショウしてチンしてくれる。
弁当の容器そのままでは味気ないからと、調理室備え付けの食器に、おかずやご飯を移し替える。

60歳過ぎとはいえ、参加者の中では若いわたしが、ただぼおっとしているのもなんだか落ち着かず、食器棚から勝手に皿を出して配ったり、盛り分けたり、取り箸を突っ込んだりと、手出し口出しをしてしまう。
いつもは気が利かないのに、環境によってはてきぱきすることもあるのである。

各自、思い思いの盛り付けができあがると、先ほどの部屋に持ち帰って「いただきます」。
しゃべるよりもまずは、「食べる」。
皆さん黙々と食べることに専念する。
そこが若い年齢層とは違うところ。
食べながらしゃべるのが苦手なわたしとしては助かる。
皆さん、ひととおり食べ終わったところで、本日の感想やら雑談やらにはいる。
12時。「ちょうど時間となりました」で、雑談が苦手なわたしは救われる。
食卓の上には、空っぽになった大量の食器が散らばっている。
弁当箱から移し替えたばっかりに無駄に洗い物を増やしてしまった様で申し訳ない。
「そのままでいいですよ」と言われたが、後片付けぐらいしなさい!と心の中に住む母親が叫ぶ。
そうかといって、スタッフがいるのに手を出したりしたら、かえって迷惑のようでもある。
申し訳程度に自分の食器を洗い場まで持っていって、中途半端な気分で外に出た。

肝心の本日のお弁当のお味は、冷めてもおいしく、うす味でもしっかり食べた感があった。
それは皆さんといっしょに食べたからなのか。
これを毎日、自宅で、ひとりもそもそと食べ続けたらどうだろうか、そこはわからない。


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