TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

気になる知らせ

2010年11月11日 | インポート
 向田邦子さんのエッセイに、父親の葬儀の次の日だったか、
いつも通りに新聞が届いて驚いたと書かれていた。
亡くなった方が、名の知れた方ならいざ知らず、
世の中の動きに影響があるわけでもないのは、頭では承知している。
 それでも家族の不幸は、一家にとっては一大事である。
そんな時に、世間では、いつもと変わらない時間が流れていることの不思議さを描いていた。

 父方の祖母は、生前、朝刊が届くと、まずは3面記事の訃報欄に目を通すと言っていた。
誰がどんな病気で、何歳で亡くなったのか、
当時70歳を超えていた彼女にとって、ひとことではなかったのだろう。
 祖母は夫を60代で亡くしていた。
比較的若くして亡くなった著名人を見つけることで、わずかに慰められることもあったのかもしれない。

 人の生き死にに関しては、普段、わたしたちは、なるべく見ないよう、
深く思い詰めないよう、意識の外へ追いやって生きている。
 押し込めて生きている分だけ、その思いは、何かの機会に、ふいと行動となって現れる。

 職場には、ひとり一台ノートパソコンがあてがわれている。

そこにネットワークシステムがはられていて、全庁的な情報を閲覧することができる。
停電の予告や、研修、健康診断のお知らせ、または、
どこそこのファックスがただいま故障中ですといった、リアルタイムなことなどが、時間を追って更新される。

 その中に、職員の訃報情報というのがある。
画面下の方、目立たない場所である
 大抵は、高齢を迎えたご家族の御不幸である。

 わたしは、これを毎朝チェックするのが習慣になっている。
ずいぶん暗い習慣だが、1日1回見ないと、なんとなく落ち着かない。
 かつての同僚の名前があったなら、弔意のひとつでも、
というような律儀な気持を持っているというわけでもない。
事務所のどこそこから、
「まだ若いのに」などという会話が聞こえてくるので、クリックしてみると、
職員御本人の、葬儀の知らせだったりする。

 おおっぴらに話題にするような情報ではないにせよ、大なり小なり、気にして目を通している人は多いのではないか。
 70歳を過ぎ、毎朝新聞に目を通していた祖母は祖母なりに、
高齢の両親を抱えた人はその人なりに、
安堵したり、覚悟を持ったり、心構えをしたりと、それぞれの事情にあった使い方をしているのかもしれない。


コメント
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