異動の季節である。
先日、意向打診が行われた。
まだ3年目のわたしには、お呼びがかからず。
環境の変化が苦手なたちなので、ホッと一息つく。
寒ければ寒いなりに、気持ちが落ちたが、暖かい風が吹き始める今の時期も
ざわざわと胸が騒ぐようで、落ち着かない。
管理課のメンバーは、異動もなく、このまま続行となるだろう。
休職者は引き続き休職のまま。
一方、役人の割りには、意外に早くウツから復帰したG氏。
薬が効き過ぎているのか、居眠りとハイテンションを繰り返し、
「やる気茶屋」などと、茶化され、おだてられ、利用されながら、残業の日々を送っている。、
ニコチン中毒の隣人はといえば、相変わらず、客がたてこんだと言っては、ガレージで一服、
パソコンの入力量が多いといっては、再び一服。
あれこれ理由をつけては、席はずす。
そして、たっぷりの余韻をからだにまとわりつかせて、部屋に戻ってくる。
”残り香”も、立派な受動喫煙である。
わたしは、目の下までたっぷり隠れる大きなマスクで防護し、
それでも隙間から闖入してくる有毒ガスの気配に、ある時はこれ見よがしに書類でバタバタと煽ぎ、
またある時は、椅子の位置を彼から目いっぱい遠ざけ、
なおかつ、あさっての方向を向いて、仕事をする。
「臭いんだよ!」という嫌煙のオーラも、一年もたつと、このように情け容赦もなくなってくる。
そして見落としてはならないのが、何かにつけ、オーバーアクションの班長S氏。
追い詰められれば追い詰めれるほど、張り切るたちである。
なぜか3月のこの時期に監査があるのでなおさら。
”ヒマは罪悪”だと思っているかのごとく、不必要な仕事を自ら作り出し、あるいは押し付けられ、
汗びっしょりになりながら、事務所中を駆けずり回るのも、今や見慣れた光景。
管理課で作り置きしておいたコーヒーが余ったと言っては、
締め切り間際の仕事を放り出して、
「デニーズへようこそ」
などと言っては、職員のコップについで回るというサービス精神も、相変わらずである。
本庁の仕事にまで、首をつっこんでいるのか、頼りの電話がかかってくるたびに、
「死んだと言ってくれえええ」と大げさに頭を抱えて見せるサマも、
今では、これほど頼られる俺ってホント、すごいやつでしょ、というパフォーマンスのセリフのひとつらしいと、
今では誰も同情しない。
ともあれ、「被害者性」をたっぷりとアピール。
わたしとは違った意味での、悪意をこれまたぷんぷん飛び散らせている。
悪意は人を活性化する。
異動した、仕事がたてこんだ、新たに覚えるべき事柄が盛りだくさん、とんでもないミスが発覚…などという事態が生じれば、他人の放つニオイに、待ち構えたように反応したり、ウエイトレスの真似ごとなどしたりする余裕などない。
(イヤ、S氏ならあり得るか…)
そういう意味では、平和な年越しならぬ、「年度越し」であると言える。
先日、意向打診が行われた。
まだ3年目のわたしには、お呼びがかからず。
環境の変化が苦手なたちなので、ホッと一息つく。
寒ければ寒いなりに、気持ちが落ちたが、暖かい風が吹き始める今の時期も
ざわざわと胸が騒ぐようで、落ち着かない。
管理課のメンバーは、異動もなく、このまま続行となるだろう。
休職者は引き続き休職のまま。
一方、役人の割りには、意外に早くウツから復帰したG氏。
薬が効き過ぎているのか、居眠りとハイテンションを繰り返し、
「やる気茶屋」などと、茶化され、おだてられ、利用されながら、残業の日々を送っている。、
ニコチン中毒の隣人はといえば、相変わらず、客がたてこんだと言っては、ガレージで一服、
パソコンの入力量が多いといっては、再び一服。
あれこれ理由をつけては、席はずす。
そして、たっぷりの余韻をからだにまとわりつかせて、部屋に戻ってくる。
”残り香”も、立派な受動喫煙である。
わたしは、目の下までたっぷり隠れる大きなマスクで防護し、
それでも隙間から闖入してくる有毒ガスの気配に、ある時はこれ見よがしに書類でバタバタと煽ぎ、
またある時は、椅子の位置を彼から目いっぱい遠ざけ、
なおかつ、あさっての方向を向いて、仕事をする。
「臭いんだよ!」という嫌煙のオーラも、一年もたつと、このように情け容赦もなくなってくる。
そして見落としてはならないのが、何かにつけ、オーバーアクションの班長S氏。
追い詰められれば追い詰めれるほど、張り切るたちである。
なぜか3月のこの時期に監査があるのでなおさら。
”ヒマは罪悪”だと思っているかのごとく、不必要な仕事を自ら作り出し、あるいは押し付けられ、
汗びっしょりになりながら、事務所中を駆けずり回るのも、今や見慣れた光景。
管理課で作り置きしておいたコーヒーが余ったと言っては、
締め切り間際の仕事を放り出して、
「デニーズへようこそ」
などと言っては、職員のコップについで回るというサービス精神も、相変わらずである。
本庁の仕事にまで、首をつっこんでいるのか、頼りの電話がかかってくるたびに、
「死んだと言ってくれえええ」と大げさに頭を抱えて見せるサマも、
今では、これほど頼られる俺ってホント、すごいやつでしょ、というパフォーマンスのセリフのひとつらしいと、
今では誰も同情しない。
ともあれ、「被害者性」をたっぷりとアピール。
わたしとは違った意味での、悪意をこれまたぷんぷん飛び散らせている。
悪意は人を活性化する。
異動した、仕事がたてこんだ、新たに覚えるべき事柄が盛りだくさん、とんでもないミスが発覚…などという事態が生じれば、他人の放つニオイに、待ち構えたように反応したり、ウエイトレスの真似ごとなどしたりする余裕などない。
(イヤ、S氏ならあり得るか…)
そういう意味では、平和な年越しならぬ、「年度越し」であると言える。