TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

お客様はカミサマです(古いね!)

2012年03月17日 | インポート
 昨日、職場の帰りに、持ち運び専用のノートパソコンを買いに行った。

 紙と鉛筆だと、書いたものがあちこちに散在して、結局ゴミと化す。
手元にある紙の束が、書き損じなのか、大事なものなのか、わからない。
そのうちいろんなものにまぎれて行方不明になる。
消えたことさえ気付かないのであるから、まあ、もともと大したことは書いていないのだろうけれど。
 ともかく、パソコンに慣れると、書いては消し、消しては書く、と言う作業がなんだかまどろっこしくなったのである。

 さて、昨夜は、退職者を囲む会でもあった。
そもそも、この会の回覧がまわってきた時に、待ってましたとばかりに、出欠欄に大きな×を書いたのである。
無関心を装い、終業の鐘が鳴るや、そそくさと退所。
 わたしにとって、退職者よりも、パソコンを買う方が大事であった。

 本日土曜日は、かなりの確率で雨の予報であった。
天気が悪いと、気持が落ちるだけでなく、外には一歩も出たくなくなる。
 パソコンなどという目新しい“おもちゃ”があると、ウツウツとした雨の1日を飽きずに過ごせるのではないかという考えもあった。
 機種については、あらかじめチェックして、お取り置きの依頼済み。
日本のメーカーのものだと、それだけで高価になるので、ASUSという、
通販でよく見かける会社のものを選ぶ。
 そこまで決まっていれば、ことは、すんなり済むだろう…と考えていた。

 スタバなどで、客がコーヒー飲み飲み、パソコンを使いこなしているのを見て、
さもお気軽そうに見えたのだが、さにあらず、 実際、通信となるとかなり手続きが煩雑であった。
店員さんが丁寧に説明してくれるのだが、わたしなりの日常語の範疇から
大きく逸脱している専門用語の羅列ですでに頭が飽和状態。
 細かく書かれた同意書にひとつひとつチェックするのだが、意味が頭にすんなりはいっていかない。
専門用語の問題だけでなく、ひと昔前まで、全く気にもならなかった字の小ささが
頭の飽和状態を加速する。
 保険だのサポートだの、なんだかんだと付加価値をつけると、当初考えていたよりも、
どんどん料金が高くなる…という、ありがちなしくみだけが実感として伝わってくる。
 
 簡単にことは運ぶと思っていた手続きだけで、かれこれ2時間。
お疲れついでに、職場の帰りに立ち寄って正解。
これで土曜日は、お家でのんびり新しいおもちゃで遊べるぞ…。
 一緒に買ったパソコン用バッグに入れ、ついでにバッテリーもとりつけてもらって帰宅したのであった。


 さて本日。予報通り朝から雨降り。
午後からは土砂降り。
家でパソコン設定に挑むには絶好の日より。
早速通信設定に挑む。
あれ?
あらららららら? 
早くも、アニュアルどおりに進まない。
初めての場所に出かけて、ちょっとでも道順がわからないと、自分で探そうとせず、
すぐにそこいらの通行人を捕まえて尋ねるたちである。

 まず、パソコンのメーカーに電話をかける。
日本のメーカーと比べて、受け答えが頼りなく思えるのは、偏見だろうか?
 結局らちがあかず、昨日購入した際に、あれこれ丁寧に説明してくれた
ヨドバシカメラのソフトバンク担当者にすがる。

 昨日の今日なので、お客様として(手のかかる客として)記憶に新しいらしく、丁寧にご指導
賜る。
電波というのはいろんな種類のものがあちこち飛び交っていて、不安定なものなのだそうで、端末機が、自分の縄張りの電波をうまくキャッチできなかったのが原因らしい。
電話口のスタッフを延々と付き合わせた挙句、やっと接続に成功。
 暗澹たる気持ちがいっきに上向く。
不安定なのは気分も、電波も同じである。

 ある種のメンタル系疾患になると、電波が飛んでくるという妄想にとらわれるというが、
実際に飛んでいるのである。
 その存在を感じることができるかできないかという違いだけ。
それを思うと、根も葉もない話だと、一笑に付すことはできないような気がする。
 彼らの頭の中は、受信機のようになっているだけのなである。

 昨夜は店頭で、今日は電話口で、わたしは「お客さん」であった。
態度は一見謙虚そうであるが、かなりものわかりの悪い、そして図々しい客であったに違いない。
 それでもお店にとっては、大事な客である。
「全くも~この忙しいのに。何度言ったら、わかるんだよ」
などと、例え心に思い浮かんでも、決して口に出すことはできない。
 そこが客商売のイタイところ。
客のほうも、自分の立場がわかっていながら、それでも懇切丁寧に扱われるのは、悪い気がしない。

 ねぎらわれたり、増してや、感謝などされることの皆無な日々を送っていると、
たまにはこのように、大事に取り扱って欲しくなることがある。

 退職者を囲む会の主役は、言うまでもなく、この3月で退職予定者の方々(今回は副所長と運転手氏)である。
そういう会をこれみよがしに蹴飛ばしたのは、わたしにプチ主役願望があったからかもしれない、
などと思ってみるのは、考え過ぎかしらん。


コメント
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