TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

最終回

2022年11月06日 | エッセイ
テレビドラマ『一橋桐子の犯罪日記』が終了した。
犯罪計画を練っていくうちに、桐子さんが孤独ではなくなっていく過程は、お約束的ながら、そのドタバタ劇を楽しむことができた。
影響を与えあって、お互いに気にはかけながらも縛らないというような親しい関係性をうらやましく思う。
桐子さんなら、農村の空気にすぐに馴染んでご近所さんとも仲良くやっていくのだろうな、というのを予感させる。
宇崎竜童さんが、♪港のヨーコヨコハマヨコスカ~♪の雰囲気そのままに、いい味出していた。

ドラマの最終回というのは気になるものだ。
新しい問題が発生したら物語が終わらなくなってしまうので、そう目新しいことは起きるまいと思いつつも、確かめずにはいられない。
見そびれると、いつまでも気になる。

朝の連続テレビ小説では、最終回の15分間でどのような結末を迎えさせるかが気になって、毎日見ているわけでもないのに、その回だけ見ることがある。
ヒロインには、たいてい若い女優さんがなることが伝統的に?決まっているので、老後まで演じさせようとすると、こちらが面食らうことがある。彼女たちが高齢を迎えてこのようになりました、メデタシ、というのを伝えたいのだろうが、頬もふっくら、肌色もよく若いままなのに、頭だけ白髪交じりにしたり、歩き方だけちょっとたどたどしくしたりして、妙に不自然なのである。
年月の経過に、キャストの演技が追い付いていっていない。
演じているというよりも、「仮装」しているといったらいいのか。
志村けんさんが、コントでおばあさん役をやっていたが、高齢者の特徴だけを誇張すると、どうしても”お笑い”になってしまう。

『おしん』のときは、配役が3人も変わったために、その都度、年齢にふさわしく、最終回の場面もそうした違和感はなかったが、最近の例でいうと、沖縄料理の店を扱ったドラマ。
ヒロインの姉妹が今にも亡くなりそうだったので、どうなることかと最終回まで引っ張った挙句、ヒロインだけでなくそのまわりにいらした若者たちがことごとく白髪頭を乗せて、ぞろぞろと出てきたときは、見ているこちらが恥ずかしくなってしまったほどである。
病身の姉妹も、急に健康体になったらしく、それをセリフでちらりと説明して終わりに。
無理やり年月を経過させなくてもいいのに……とそのたびに思う。
だったら無理に観なければいいのだが、とも思う。
わたしの伯母のように、「人生そんなにうまくいくわけはない!」と断固、この朝のシリーズを見なくなった人もいる。

あれこれ文句を書いてしまったが、それだけ最終回によせる期待は大きいのである。
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2 コメント

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Unknown (カラス)
2022-11-08 10:06:54
フィクションでも、ノンフィクションであっても、最後は大事ですよね"(-""-)"
私も、前回の朝ドラのことを書いたことがありますが、あの最終回は、呆気にとられるほど投げやりで「いろいろあったけど、結局皆が幸せそうになりましたトサ」っていう感じ。
ハッピーエンドが宿命ですが、雑でしたね。
あの白髪様式は、誰も反対しなかったのかしら( ;∀;)
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Unknown (TOMATO)
2022-11-08 19:04:16
こんばんは、カラスさん

朝ドラの白髪様式と言えば、かなり昔、マラソンランナーを扱った話がありました。最終回の衝撃と違和感は、40年も前なのに、ありありと思い出せます。その当時と、何ら変わっていないんですね。
ハッピーエンドと一直線に結びつけるものだから、本当に、「雑」という言い方がピッタリです。
同じ放送局でも、土曜時代劇の赤ひげシリーズなどは、よかったと思うのだけど……。
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