新型コロナが5類に移行し、全数把握から、医療機関をしぼった定点把握になった。
職場にくる電話の問合せもめっきり減って、派遣看護師さんは腕の見せ所もなく気の毒なほど暇をもてあましている。
定点把握になっても、医療機関数が少ない地域では、一医療機関あたりの患者数が際立って多くなってしまう。
それを記者に説明するための想定問答集を作っておいてください、などというメールが来たりする。
こういうところが本当にお役所仕事だな、と思う。(実際、役所なんだが)
突っ込まれた時の用心のために、いつもいつもビクビクしながら言い訳、というか「説明」を考えておく。
そういう事務に時間を割かれてしまうのだ。
そんなこんなにに振り回されるたびに、最近では、心の中で定年までの秒読みをするようになった。
ちなみに現在は「あと10か月」。実際に通勤するのは、200日に満たない。
晴れて解放されて、明日から来なくてもいいとなったときに、今のあの席(から見える風景も含めて)が懐かしく思えるのだろうか。
ただただ、げんなり、うんざりと思うことも多い日々だが、それでも行く場所があり、する仕事があるということ、出勤するという習慣のありがたさ、みたいなものは、離れてみてからしかわからないかもしれない、と薄々感じてもいる。
職場にくる電話の問合せもめっきり減って、派遣看護師さんは腕の見せ所もなく気の毒なほど暇をもてあましている。
定点把握になっても、医療機関数が少ない地域では、一医療機関あたりの患者数が際立って多くなってしまう。
それを記者に説明するための想定問答集を作っておいてください、などというメールが来たりする。
こういうところが本当にお役所仕事だな、と思う。(実際、役所なんだが)
突っ込まれた時の用心のために、いつもいつもビクビクしながら言い訳、というか「説明」を考えておく。
そういう事務に時間を割かれてしまうのだ。
そんなこんなにに振り回されるたびに、最近では、心の中で定年までの秒読みをするようになった。
ちなみに現在は「あと10か月」。実際に通勤するのは、200日に満たない。
晴れて解放されて、明日から来なくてもいいとなったときに、今のあの席(から見える風景も含めて)が懐かしく思えるのだろうか。
ただただ、げんなり、うんざりと思うことも多い日々だが、それでも行く場所があり、する仕事があるということ、出勤するという習慣のありがたさ、みたいなものは、離れてみてからしかわからないかもしれない、と薄々感じてもいる。
勤めあげるということは、簡単ではないですからね。
わたしの場合は、定年延長とまではいきそうにありませんが、とりあえず一区切り……。
還暦、とか定年とか、自分がそういうお年頃になったということ自体、まだ実感がありません。
辞令交付式に参加したときに初めて、感慨のようなものがわいてくるのでしょうか。
伯母に、「あの小ちゃかった○○ちゃんが、定年なんてねえ……」としみじみと言われますが、全く同感です。