トンネルを抜けると白い雪 (3)
翌朝、祐樹は家の窓を全開し、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ・・・
・・・気持ちいい~・・・
ヒヨドリが2羽、元気に頭上を飛んでいった。
北側の森の樹林が真っ白い雪に覆われ、まるでおとぎ話しの中の
妖精がいる森のように見えた。
庭に下りると、野うさぎか? テンか? 小さな動物の足跡も見られて
嬉しくなった。
南側の鉢伏山の方をみると、朝陽にキラキラと輝くダイヤモンドダストが
見られる・・・
・・・きれいだな~・・・
祐樹はしばし家の周辺の景色に見とれながら、何度も同じ言葉を
呟いていた。
「そうだ! 久しぶりに箕面の山を歩いてみよう・・・」
祐樹はこの3連休を何して過ごそうかと思っていたので我ながら
いい考えに喜んだ。
そうと決めると裏に建てていた作業小屋から、以前から置いている
山靴とリュックサック、ストックなどを取り出した。
・・・結局 前の妻とは一度も山を歩かなかったな・・・
学生時代からあちこちの山歩きを楽しんだけど、サラリーマンになって
からは家の近くの箕面の山を歩いては自然の営みに感動していた。
・・・何年ぶりぐらいかな・・・
祐樹は久しぶりのワクワク感でいっぱいになった。
箕面森町から府道423号線を東へ歩き、高山口から山道を登る。
ひとつ山越えをして豊能郡能勢に入り、もう一つ山を越え 「ここから箕面市」
とある表示を過ぎ後ろを振り返った。
・・・きれいだな~ ここは雪国か? ・・・
と 錯覚するような美しい景色が広がっている。
雪国の人々の雪害の苦労は大変なものがあるけれど、この大阪・北摂では
年に数回ぐらいしか積もらない雪は珍しい部類に入るのだ。
そう言えばあの小説「雪国」を書いたノーベル賞作家、川端康成は
子供の頃、ここ箕面の山や森でよく遊んだと言うから、どこかで少しでも
この雪の光景が脳裏にあったのかな? と 祐樹はそんな想像をしながら
登った。
やがて再び豊能郡高山に入った。
登りばかりが続く・・・ 息を弾ませながら祐樹は白い息をハーハーと
リズムよく吐きながら、なぜか体も心も軽くなっていくのが心地よかった。
それまでの心の内に溜まっていた暗く重たく黒い汚い塊を、思いっきり
吐き出すかのように意識して息をはきだした。
そして胸いっぱいに新鮮で気持ちのいい森の空気を精一杯吸い込んで
いたら、いつしか身も心も入れ替えられたような新鮮な気分になった。
やがて高山の村落が見えてきた。
ここはかの戦国大名・キリシタン大名 高山右近の生誕地だ。
近くには「マリアの墓」とか「マリアの泉」とかも残っている。
村落の人口はもう100人足らずで高山小学校はもう何年も前に
廃校になり、箕面森町にできた止々呂美小学校に統合されたようだ。
祐樹は都市近郊にあってこの田舎の自然が満喫できる高山の村落が
以前から大好きだった。
学生時代は箕面駅前から山々を越え、ここまで3時間足らずで
よく歩いたものだった。
そして昔懐かしい田舎の風情をもつこの貴重な村落で一日を
過ごすのが何よりの楽しみだった。
祐樹は隠れキリシタンゆかりの「西方寺」前から「高山右近生誕地石碑」
の裏山を回り、明ケ田尾山への登山道へ入った。
ここは谷道だが雪はそんなになく、いつもの山道が判断できるので
登りやすかった。
やがて山頂に到着した。
明ケ田尾山は箕面最高峰で619.9mと聞いた。
祐樹はここで一休みをすると、持ってきた水筒の水を一気に飲み
ノドを潤した。
登りが続いたので汗で下着がぬれている。
・・・そう言えば腹が減ったな~・・・
3ケ月ぶりの森町の家には食料の買い置きは無かったし、途中で買う
つもりが国道沿いに店は無く、高山にも一軒の店も無いので仕方ない。
これから尾根づたいに歩き、梅ケ谷から鉢伏山を経由し、
<expo‘90みのお記念の森>から天上ケ岳を下り、2号路から箕面瀧道へ
出るか、ようらく台から前鬼谷を下り落合谷に出てもいいし・・・ と 漠然と
これからのコースを考えていた。
・・・それまで水も食料もなしか・・・ しょうがないな・・・
まあなんとかなるさ!・・・
祐樹はそれ以上にこうして久しぶりに自分を取り戻し、自然との会話が
楽しめる事に満足し嬉しさでいっぱいだった。
ハックション! ハックション!
祐樹は大きなくしゃみをして我に返った。
・・・寒 い・・・
寒気がしてきたので祐樹は再び歩き出した。
梅ヶ谷へ下り、再び鉢伏山へ向けて登った後、しばらく気持ちのいい
下りの山道を歩いているときだった。
南斜面なのでここまで来ると雪はないものの、逆に山道は凍りつき、
歩くたびに バリ バリ という霜柱が壊れる音が響いた。
そして事故は起こった・・・
それは祐樹の第二の人生の幕開けとなった。
尾根道には冷たい風が吹き、山道は硬く凍っていた。
それまでの雪道とは違ってまだ歩きやすく、祐樹はバリバリと
霜柱を壊す音を立てながら黙々と山を下っていた。
その時だった・・・
ツルン~ ガクン バリ
あっという間に左足が滑り、鈍い音がしたかと思うと祐樹はドンデン返し
にひっくり返り、腰を嫌と言うほど打ちつけ、左足首に激痛が走った・・・
「痛い! これは何だ!」
何が起きたのか判断するのに時間がかかった・・・
しばらくしてそれは山道に転がっていた太い木の枝に足をとられ
滑ったようだ・・・
・・・とんでもないひねり方をしたようだな?
これは大変な事になってしまった・・・
と祐樹は焦った。
滑った左足は痛みもあるが痺れたような別感覚になっている。
・・・このままでは一人で歩けない・・・
助けを呼ぼうにも山の中では 電波が届かずケイタイが使えない・・・
案の上<圏外>表示が出ている。 それにまだ一人のハイカーにも
出会っていないような今日の状況だ・・・
どうしよう?・・・
祐樹は激痛に体を横たえたまま頭は思案でいっぱいだった。
・・・冬の夕暮れは早い・・・
ひょっとするとここで一晩を過ごさねばならないかもしれない・・・
祐樹は横たわりながらリュックを引き寄せ中を見たが、こんな時に
役に立つような物は何も入っていない。
水も食料もないし、防寒具といってもこの寒風吹きすさぶ尾根道で
夜を過ごすことなど到底無理なことは分かっていた。
左足はどうやら骨折しているようだ。
・・・後10数分も下れば<みのお記念の森> に着く距離だ・・・
そこに常駐の人はいないけれで、いつも森の駐車場の開閉に
ビジターセンターの職員が来るはずだ・・・
何とかしてそこまでいかねば・・・
時計はもう3時を回っていた。
祐樹は焦った。
・・・何とか這ってでも下に下りねば 命が危ない・・・
少し足を動かしてみるが、そのつど激痛が走り到底動かせない。
祐樹は天を仰いだ・・・
・・・家族全員が今最悪の危機の中にあるけど、どうとうボクにも
死神がやって来たようだな・・・
ボクの人生もここで終わりかもしれないな・・・まあいいか・・・
人間はいつかは死ぬんだ・・・それにボクはこの好きな森の中で
死ぬのならそれも本望か・・・
そう自分の運命を受け入れると、祐樹の心も少し落ちつき穏やかに
なってきた。
祐樹はそのままゴロリと大の字になって空を見上げた。
冬枯れの森・・・ 葉を落とし、枝ばかりのコナラの大木が寒風に揺れ、
枝と枝のすれる音がリズミカルな音色のように聞こえる・・・
空には ヒュ~ン ヒュ~ン と冷たい風が吹き雲が激しく動いている。
寒い・・・ 痛い・・・」
そしていつしか祐樹は意識が遠のいていくようにゆっくりと目を閉じた。
頭上を冬鳥が一羽 飛んでいった・・・
(4) へ続く・・・