イスラム教祖の風刺画をきっかけとしたフランスの連続テロの原因に関し、様々な意見がある。フランスの作家・哲学者のベルナールアンリ・レビ氏の意見である、「政教分離の下で、宗教を批判することは絶対の権利である」との主張は、いろいろ考えさせられる。
そもそもヨーロッパ、特にフランスでは神から離れることで自由を得たとのことだ。ヨーロッパの歴史はキリスト教の歴史でもあり、長年にわたり宗教が支配し、宗派間の争いが絶え間なかったと学校で教えられた。18世紀末のフランス革命により、ようやく神から開放され「自由、平等、博愛」の権利を獲得したとのことである。そこにおいては、神を批判することや冒涜することも絶対的な権利であるとの主張も一理あるかなと理解できたような気になる。
一方イスラムでは神と共にあることで自由になれるのだそうだ。イスラム教圏の国々は厳しい自然環境の下で肉体的な苦痛を神と共にあると意識することで精神的に救われるのであろうと、これも分かったような気になる。
そもそも、自由とは何か。分かったつもりになっているが、上記のような議論になってくると、本当の自由が分からなくなってくる。我が日本では、憲法上政教分離の立場であるためか、統一教会をはじめとする新興宗教や創価学会に対する批判を公然と行っても法律上の規制は無いし、社会的にも許されている。そこまではフランスと同じであるが、冒涜することまでは社会的には許されない風潮がある。自由にも限界があることを自然に身に付けているのだと言えば格好よいが、本当の自由を知らないだけかも知れない。昔から、武士の情け、惻隠の情、謙譲の美徳等、相手を追い詰めないことを良しとする文化があり、これが冒涜を良しとしないことに繋がっているのかも知れない。
フランスでは、人種差別や殺人の呼びかけ、反ユダヤ、名誉を傷つける表現は法律が禁じているのだそうだが、法律で禁止していること自体が不思議な気がする。フランスは、国民の7%がイスラム教徒であるような多民族国家であり、道徳的な価値判断を個人に任せるとまとめ切らないと言うことかも知れない。(犬賀 大好-100)
そもそもヨーロッパ、特にフランスでは神から離れることで自由を得たとのことだ。ヨーロッパの歴史はキリスト教の歴史でもあり、長年にわたり宗教が支配し、宗派間の争いが絶え間なかったと学校で教えられた。18世紀末のフランス革命により、ようやく神から開放され「自由、平等、博愛」の権利を獲得したとのことである。そこにおいては、神を批判することや冒涜することも絶対的な権利であるとの主張も一理あるかなと理解できたような気になる。
一方イスラムでは神と共にあることで自由になれるのだそうだ。イスラム教圏の国々は厳しい自然環境の下で肉体的な苦痛を神と共にあると意識することで精神的に救われるのであろうと、これも分かったような気になる。
そもそも、自由とは何か。分かったつもりになっているが、上記のような議論になってくると、本当の自由が分からなくなってくる。我が日本では、憲法上政教分離の立場であるためか、統一教会をはじめとする新興宗教や創価学会に対する批判を公然と行っても法律上の規制は無いし、社会的にも許されている。そこまではフランスと同じであるが、冒涜することまでは社会的には許されない風潮がある。自由にも限界があることを自然に身に付けているのだと言えば格好よいが、本当の自由を知らないだけかも知れない。昔から、武士の情け、惻隠の情、謙譲の美徳等、相手を追い詰めないことを良しとする文化があり、これが冒涜を良しとしないことに繋がっているのかも知れない。
フランスでは、人種差別や殺人の呼びかけ、反ユダヤ、名誉を傷つける表現は法律が禁じているのだそうだが、法律で禁止していること自体が不思議な気がする。フランスは、国民の7%がイスラム教徒であるような多民族国家であり、道徳的な価値判断を個人に任せるとまとめ切らないと言うことかも知れない。(犬賀 大好-100)