オバマ大統領が被爆地広島を訪問した昨年5月は、現職の大統領としては初めての訪問であり、広島にとって歴史に残る一日となったであろう。核廃絶でノーベル賞を受けたオバマ大統領が広島を訪問するのは遅きに失した感であるが、アメリカ大統領の広島訪問が原爆投下に対する謝罪を意味するとのアメリカ側の最大の懸念材料が原因であったようである。
オバマ大統領の広島訪問の返礼として安倍首相は真珠湾のアリゾナ記念館を、昨年12月末、慰霊のために訪問した。戦後、日本の首相が真珠湾を訪れたことはあるが、現職のアメリカの大統領とともに犠牲者を慰霊するのは初めてであるとのことだ。安倍首相は、オバマ大統領の広島訪問の返礼との印象を避けたかったようであり、そのため半年の期間をおいての訪問であったが、それでも返礼の印象は拭えない。
首相の慰霊後の演説は、”耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い静かな入り江。私のうしろ、海の上の、・・・”、より始まった。
この出だしはオバマ大統領の広島での演説、”71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、・・・”、と同じ調子であり、二番煎じの感がするのも、返礼感の一因であろう。また、演説後、攻撃を生き延びた元米兵と会話を交わし、抱き合ったのもオバマ大統領の場合と同じであり、ここまで真似するのは行き過ぎとの感であった。
しかし、演説の中身は寛容と和解の重要性や不戦の決意等、平和日本が世界に宣言したとも見られ、格調高いものであった、と思った。
ところが、オバマ氏は首相の演説後に引き続き、”排他主義的な傾向が強まった時、私たちは内向きに駆られる衝動に抵抗しなければならない”と、演説したが、排外主義的な政策を掲げるトランプ次期大統領への牽制と、米メディアは論評した。
まさにその通りである。広島訪問や真珠湾訪問は日米両国の国内問題であったのだ。すなわち、演説の主要な部分は、オバマ大統領の演説は日本向けであり、安倍首相の演説は米国向けであったのだ。
安倍首相は、演説の中で、リンカーン・メモリアルの壁に刻まれた言葉を引用し、「誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う」としたが、”誰に対しても”は”米国民の誰に対しても”であり、この言葉はアジア諸国、特に中国には向けられていないことを認識すべきだ。寛容と和解を強調し、不戦の決意を表したのも米国のみに対してであると、理解すれば首相の演説も納得がいく。
トランプ次期大統領の登場で日米関係は不透明の部分もあるが、現状は友好であろう。問題は、近隣諸国との関係である。現在、ロシア、韓国および中国とは領土問題で争っているが、そこで寛容と和解を持ち出しても、弱腰外交と言われるのが落ちであろう。
韓国では再び慰安婦問題が浮上してきた。そこで、寛容と和解を強要するのは虫が良過ぎる。この問題は、韓国社会が日本以上に安定してもらうしか解決法が無いような気がする。社会の不満をぶつける対象が必要とされるからである。日本は、不満のはけ口の絶好の対象であるからである。
中国政府は、”日本は真珠湾訪問によって第二次世界大戦の歴史を完全に清算しようとしているが、中国などアジア諸国との和解がない限り、日本は永遠に歴史の一頁をめくることはできない”と非難を日本に浴びせているが、今回の訪問は日米両国の国内問題であるとして、内政干渉と放っておけばよいだけだ。2017.01.04(犬賀 大好-300)
オバマ大統領の広島訪問の返礼として安倍首相は真珠湾のアリゾナ記念館を、昨年12月末、慰霊のために訪問した。戦後、日本の首相が真珠湾を訪れたことはあるが、現職のアメリカの大統領とともに犠牲者を慰霊するのは初めてであるとのことだ。安倍首相は、オバマ大統領の広島訪問の返礼との印象を避けたかったようであり、そのため半年の期間をおいての訪問であったが、それでも返礼の印象は拭えない。
首相の慰霊後の演説は、”耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い静かな入り江。私のうしろ、海の上の、・・・”、より始まった。
この出だしはオバマ大統領の広島での演説、”71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、・・・”、と同じ調子であり、二番煎じの感がするのも、返礼感の一因であろう。また、演説後、攻撃を生き延びた元米兵と会話を交わし、抱き合ったのもオバマ大統領の場合と同じであり、ここまで真似するのは行き過ぎとの感であった。
しかし、演説の中身は寛容と和解の重要性や不戦の決意等、平和日本が世界に宣言したとも見られ、格調高いものであった、と思った。
ところが、オバマ氏は首相の演説後に引き続き、”排他主義的な傾向が強まった時、私たちは内向きに駆られる衝動に抵抗しなければならない”と、演説したが、排外主義的な政策を掲げるトランプ次期大統領への牽制と、米メディアは論評した。
まさにその通りである。広島訪問や真珠湾訪問は日米両国の国内問題であったのだ。すなわち、演説の主要な部分は、オバマ大統領の演説は日本向けであり、安倍首相の演説は米国向けであったのだ。
安倍首相は、演説の中で、リンカーン・メモリアルの壁に刻まれた言葉を引用し、「誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う」としたが、”誰に対しても”は”米国民の誰に対しても”であり、この言葉はアジア諸国、特に中国には向けられていないことを認識すべきだ。寛容と和解を強調し、不戦の決意を表したのも米国のみに対してであると、理解すれば首相の演説も納得がいく。
トランプ次期大統領の登場で日米関係は不透明の部分もあるが、現状は友好であろう。問題は、近隣諸国との関係である。現在、ロシア、韓国および中国とは領土問題で争っているが、そこで寛容と和解を持ち出しても、弱腰外交と言われるのが落ちであろう。
韓国では再び慰安婦問題が浮上してきた。そこで、寛容と和解を強要するのは虫が良過ぎる。この問題は、韓国社会が日本以上に安定してもらうしか解決法が無いような気がする。社会の不満をぶつける対象が必要とされるからである。日本は、不満のはけ口の絶好の対象であるからである。
中国政府は、”日本は真珠湾訪問によって第二次世界大戦の歴史を完全に清算しようとしているが、中国などアジア諸国との和解がない限り、日本は永遠に歴史の一頁をめくることはできない”と非難を日本に浴びせているが、今回の訪問は日米両国の国内問題であるとして、内政干渉と放っておけばよいだけだ。2017.01.04(犬賀 大好-300)