先日、かっての名競争馬ディープインパクトが頸椎骨折の為安楽死させられたとの報道があった。人間の場合、安楽死は殺人罪に問われるが、馬の場合動けなくなると一般に安楽死させられる場合が多いと聞いている。馬にとって幸せなことか判断できかねるが、安楽死は色々考えさせられる。
さて、厚労省の人口動態統計で老衰で亡くなる人の率が増えていることが確認されたそうだ。老衰はいわゆる自然死であり、葬儀の席では大往生と称せられる。今回、約37万人のがん、約21万人の心疾患に続き、老衰による死者数が約11万人と3位になったそうで、ちなみに4位は脳梗塞などの脳血管疾患だそうだが、昨年3位と4位が入れ替わったのだ。
食糧事情の改善、医療の進歩、予防医学の進歩等により、90歳以上の超高齢者が多くなっていることが主要因であろう。筆者にも年末になると、年賀ご辞退のはがきが何枚か送られてくるが、ほぼ90歳以上の超高齢者の子供達からだ。
長生きは大変結構であるが、死まで健康でしかも仕事が出来れば更に良く、その後ピンピンコロリと死を迎えることが理想であるが、自分では選択できない。死がどのような姿でやって来るか分からないが、何らかの覚悟が必要だ。
先日の参院選では、比例代表に安楽死制度を考える会が立候補したが結果約3.5万票で、10万票近いN党にも及ばなかった。安楽死に関し公約に掲げる党は他に無く、日本国民全般に関心は極めて低いと思われる。
安楽死制度を考える会は、日本での安楽死制度の導入を求めている。安楽死制度とは一言で言えば、自分で自分の最後は決められるということだそうだ。
現状、本人の意志とは関係なく、長生きさせることが善との前提に立ち、元来の寿命を越えても生き続けられるよう周りはひたすら努力する。時代も生命維持装置の発展と活用、さらに肝臓、腎臓等、各種の臓器移植等の医療の進歩によって延命が可能となってきたのだ。
植物状態とは、脳に重大な損傷を受けると、重篤な昏睡症状となり、自己の意志を表示できない状態になることを言う。植物状態でも脳は機能しているため、生に分類される。
安楽死の定義は、『苦しい生ないし意味のない生から患者を解放するという目的のもとに、意図的に達成された死、ないしその目的を達成するために意図的に行われる死なせる行為』とされている。しかし、植物状態の患者は、自分の状況を判断出来る意識はなく、全く苦痛もない。また、死期が迫っている分けでもない。
従って、安楽死の対象とはならないのが現在の法的な判断だ。植物状態となっても生き続けることは幸せなことであろうか。かと言って安楽死をさせることは殺人罪に問われる。
安楽死には、大きく分けて消極的安楽死と積極的安楽死の2種類があるようだ。消極的安楽死は、例えば患者の人工呼吸器を外すなど、自然と死に向かわせることで、一般的には尊厳死とも呼ばれている。苦痛を除去するが死期も早める薬物の投与は間接的安楽死を呼ばれ、尊厳死の一種だ。
日本では、間接的安楽死は治療行為として合法であり、消極的安楽死も事実上容認されているそうだが、厳密に言えば違法行為であろう。
積極的安楽死は、例えば毒薬を医者に注射してもらうというような行為があたる。安楽死制度を考える会が導入を目指しているのも、このタイプの安楽死だそうだ。裁判所は過去の判決で積極的安楽死を認めるための非常に厳しい要件を挙げており、事実上禁止されていると言えるのだそうだ。
この種の問題は今後ますます頻発するであろう。国民の合意形成、法的な整備を急がなくてはならない。2019.08.03(犬賀 大好ー569)