日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

来年度予算案に僅かな変化が

2017年01月11日 09時13分29秒 | 日々雑感
 政府が昨年暮れに閣議決定した来年度予算案は過去最大の約97.5兆円であった。全体の3分の1を占める社会保障費も、過去最大の32兆円なかばとなったが、それでも高齢者人口増加に伴う社会保障費の自然増を1400億円削減しているとのことだ。これは、70歳以上の自己負担月額の上限引き上げ、協会や健保への補助金の減額、等高齢者の負担増により実現されているようだ。その代わりに保育士の処遇改善など若者を優遇する政策に費用が回され、社会保障費としては過去最大になっているのだ。

 これは政府の勧める ”一億総活躍社会” 実現の一環であろうが、いよいよ高齢者から若者中心に時代は変わり始めたのだ。そう言えば、高齢者の定義をこれまでの65歳以上を75歳以上に変更するのがよいと某学会が提案した。”歳をとったからと言って甘えるな”との世間の声が一層大きくなるだろう。

 冷徹に考えれば、これからの社会を担うのは若者である。その若者に今から投資をしておかなくては将来が無い。これまでの日本経済を支えてきた高齢者を大切にするのは道徳的には重要かも知れないが、経済的には足を引っ張るだけだ。無駄飯食いの高齢者は早くいなくなった方が日本のためだ、多少社会保障費を減額したところで何ら問題ないと、世間の風は吹き始めた。

 来年度予算案に見られるわずかな変化は高齢者軽視であり、後は相も変らぬ問題点先送りの現状享受型である。

 今年4月に予定されていた消費増税10%化の2年半の再延期が昨年6月に決まった。これは、消費増税により、家計消費が減少して、デフレからの脱却が困難となるとの判断からであった。しかし、その決定後もデフレ脱却の傾向は現れてこない。安倍首相を始めとする、多くのエコノミストは、現実が分かっていないらしい。

 多少収入が増加しても、消費に回すのではなく、将来の為の蓄積に回すのだ。今回の予算編成を見ても、高齢者の社会保障費は削減された。若い世代も、この流れを敏感に感じ取り、老後の心配をするのは当然だ。エコノミストの多くは、恐らく高い収入を得ているのであろう。世間も自身と同様に、老後の心配をする必要なく、増えた収入をそのまま消費に回すものだと思っているに違いない。

 さて、老人の社会保障費を削り、保育士の処遇改善で若者に僅かばかりの恩を売ったが、若者には膨大な借りを作っている。すなわち相も変わらない赤字国債発行だ。それでも来年度に新たに発行する国債は約34.4兆円で、今年度の当初予算と比べ622億円減らす予定だそうだ。 一方、国債の償還や利払いに充てる公債費は、23.5兆円となり、新規発行額の約7割を占める。何と、借金返済のために、借金しているのだ。

 来年度の税収は足踏みする景気の影響を受けて57.7兆円にとどめた。これは、経済見通し(名目2.5%、実質1.5%)を前提としている。この見通しは相変わらず楽天的である。ただ、今年度は円高で企業業績が伸び悩み、法人税収が低迷し、政府は第3次補正予算案で税収見通しを当初より1.7兆円下方修正することを決めているが、来年度は米次期大統領の経済政策で円安・株高になるものと過大な期待をしている。

 トランプ次期米国大統領のトランプの切り方次第で逆になる可能性もあるが、政府は都合の良い方に転ぶと楽観視しているようだ。

 政府は昨年6月に策定した「経済・財政再生計画」で、国と地方を合わせた「基礎的財政収支」を東京五輪開催の2020年度までに黒字化することを財政健全化の目標と決めた。しかし国の一般会計の基礎的財政収支は赤字幅が214億円拡大し10兆8413億円となり、基礎的財政収支を黒字化する政府目標は益々危うくなった。東京五輪はすでに大量の公的な資金投入が必要なことが目に見えている。将来の不安に目を瞑って、当面の快楽を味わうことになろう。
2017.01.11(犬賀 大好-302)

残業問題を想う

2017年01月07日 11時02分37秒 | 日々雑感
 厚生労働省は昨年12月26日、違法な長時間労働を社員にさせていた企業の社名を公表する対象を広げる緊急対策をまとめた。また、28日には電通の石井社長が労働法違反の疑いで東京地検に書類送検され、辞任に追い込まれた。 

 このような動きは、昨年10月、 電通社員だった高橋まつりさんがが過労自殺した事件が大きな契機であろう。過労自殺は珍しいことではないが、安倍政権が ”一億総活躍社会” を目玉に掲げていることから、政権からの圧力があった結果と思われるが、電通が日本有数の広告企業であり、高橋まつりさんが東大出の美人女性であったことが、世間の目を引き話題となったことも大きな要因であろう。

 厚労省の発表によると、2015年度に月80時間以上の残業をして過労死・過労自殺と認定された人は151人。月100時間超えの違法な長時間労働による是正勧告は約500件であったそうだ。この統計の対象となった企業の規模は不明であるが、全企業からすれば氷山の一角のような気がする。

 厚労省は、2015年5月以降、大企業を対象に月100時間超えの違法残業が1年間に3事業所で見つかった場合に公表するとしたが、実績は一件のみであり、効果があったとは到底言えない。今回は、月80時間を超える違法な時間外労働によって、社員が過労死や過労自殺した大企業について、公表できるように基準を見直すこととしたそうだが、焼け石に水とはこのことだろう。

 違法残業を100時間から80時間に厳格化したところでどれくらいの効果が期待できるであろうか。昨年1月には靴の販売店 ”ABCマート”が、10月には ”ドンキホーテ”が、長時間労働に関する罪で略式起訴されたが、いづれも罰金50万円が課されたのみで、役員は不起訴となったそうだ。これらの企業にとって50万円程度は、誰かの長時間労働ですぐに取り戻せる。

 違法残業とは、一つは賃金が支払われないサービス残業のことであろう。それにしても日本人は労働時間がかくも多いのであろうか。日本の労働生産性の低さに原因を求める声がある。労働生産性は国民1人当たりの国内総生産(GDP)、すなわちGDP/人口によって算出されるが、これによれば2015年は35カ国中18位だったことを根拠にしている。一位のルクセンブルグは金融主体の国であり、そもそもこのような国と比較すること自体に違和感を感ずる。また、GDPも国の公共投資等を含めることからも、このような比較に意味があるかの疑問を生じさせる。

 米国は5位であったが、米国をはじめとする主要国との生産性格差を縮めるには、業務の効率化は問題なく必要であろう。この点未だパソコンを使いこなせない人間が多いからだと指摘する声もあるが、最近の若者のデジタル機器の扱いは見事であり、時間が解決するだろう。

 この他、新しいサービスや製品を生み出して付加価値を獲得することが生産性を高めるという指摘もあるが、日本には農耕民族の習性が残り、それが欠点として現れる。すなわち、農耕民族は皆が一致協力する必要があるり、”和をもって貴しとなす”は、日本人の根本思想だ。ここにおいては、他人と違ったことをするのはタブーであり、残業にしても誰か一人残業をしておれば、必要もないのに残業する傾向があるのだ。また、”おもてなし”は、お客さんに対する心使いであり、ある意味時間の浪費であるが、残して欲しい日本人の特性である。

 最近、日本は人手不足と騒がれている。人手不足であればよりよい労働環境を求めて転職すればよいと考えるが、人手不足なため個人にしわ寄せが行き長時間労働になるのだそうだ。少なくとも残業分にはそれに見合った賃金を支払わなくてはならないとの対策が必要だ。管理者は、残業させても経費が発生しないことに胡坐をかいているのだ。残業にも必ず経費が発生するとなれば、管理者は自ずから残業の削減を考える筈だ。

 ところで、条件が揃えば残業代を払わなくてもよいとの法律が成立している筈だ。2015年1月、年収1075万円以上で高い職業能力を持つ人を対象に、労働時間と賃金を切り離し、「残業代ゼロ」とする新しい制度を盛り込んだ報告書の骨子案を厚労省はまとめた。この制度は、経営者側には経費削減となるため大歓迎であろう。一方労働者側にも手当てがなくなれば、時間外労働を少なくしようと効率よく仕事をするようになる利点があるとの説明であったが、この説明は日本人には適用できそうにない。2017.01.07(犬賀 大好-301)

安倍首相の真珠湾訪問は国内問題

2017年01月04日 10時59分42秒 | 日々雑感
 オバマ大統領が被爆地広島を訪問した昨年5月は、現職の大統領としては初めての訪問であり、広島にとって歴史に残る一日となったであろう。核廃絶でノーベル賞を受けたオバマ大統領が広島を訪問するのは遅きに失した感であるが、アメリカ大統領の広島訪問が原爆投下に対する謝罪を意味するとのアメリカ側の最大の懸念材料が原因であったようである。

 オバマ大統領の広島訪問の返礼として安倍首相は真珠湾のアリゾナ記念館を、昨年12月末、慰霊のために訪問した。戦後、日本の首相が真珠湾を訪れたことはあるが、現職のアメリカの大統領とともに犠牲者を慰霊するのは初めてであるとのことだ。安倍首相は、オバマ大統領の広島訪問の返礼との印象を避けたかったようであり、そのため半年の期間をおいての訪問であったが、それでも返礼の印象は拭えない。

 首相の慰霊後の演説は、”耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い静かな入り江。私のうしろ、海の上の、・・・”、より始まった。

 この出だしはオバマ大統領の広島での演説、”71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、・・・”、と同じ調子であり、二番煎じの感がするのも、返礼感の一因であろう。また、演説後、攻撃を生き延びた元米兵と会話を交わし、抱き合ったのもオバマ大統領の場合と同じであり、ここまで真似するのは行き過ぎとの感であった。

 しかし、演説の中身は寛容と和解の重要性や不戦の決意等、平和日本が世界に宣言したとも見られ、格調高いものであった、と思った。

 ところが、オバマ氏は首相の演説後に引き続き、”排他主義的な傾向が強まった時、私たちは内向きに駆られる衝動に抵抗しなければならない”と、演説したが、排外主義的な政策を掲げるトランプ次期大統領への牽制と、米メディアは論評した。

 まさにその通りである。広島訪問や真珠湾訪問は日米両国の国内問題であったのだ。すなわち、演説の主要な部分は、オバマ大統領の演説は日本向けであり、安倍首相の演説は米国向けであったのだ。

 安倍首相は、演説の中で、リンカーン・メモリアルの壁に刻まれた言葉を引用し、「誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う」としたが、”誰に対しても”は”米国民の誰に対しても”であり、この言葉はアジア諸国、特に中国には向けられていないことを認識すべきだ。寛容と和解を強調し、不戦の決意を表したのも米国のみに対してであると、理解すれば首相の演説も納得がいく。

 トランプ次期大統領の登場で日米関係は不透明の部分もあるが、現状は友好であろう。問題は、近隣諸国との関係である。現在、ロシア、韓国および中国とは領土問題で争っているが、そこで寛容と和解を持ち出しても、弱腰外交と言われるのが落ちであろう。

 韓国では再び慰安婦問題が浮上してきた。そこで、寛容と和解を強要するのは虫が良過ぎる。この問題は、韓国社会が日本以上に安定してもらうしか解決法が無いような気がする。社会の不満をぶつける対象が必要とされるからである。日本は、不満のはけ口の絶好の対象であるからである。

 中国政府は、”日本は真珠湾訪問によって第二次世界大戦の歴史を完全に清算しようとしているが、中国などアジア諸国との和解がない限り、日本は永遠に歴史の一頁をめくることはできない”と非難を日本に浴びせているが、今回の訪問は日米両国の国内問題であるとして、内政干渉と放っておけばよいだけだ。2017.01.04(犬賀 大好-300)