3月30日(土)
朝一番で、昨日残した田んぼの畔付けをして、トラクターを引き上げてくる。
その後、午前中は、出荷作業。
午後は、近場のもう一枚の田んぼの草刈り。モアと刈払機で、全体の草を刈る。
今年から、田んぼの面積を、かなり減らした。近場の田んぼは、5枚のところの約40aともう一枚の12a。もう一枚の12aは、変換畑として使っている。他の近場の田んぼは、地主が、処分したいということで、地元の若手が、購入することになり、耕作をやめた。受託もやっていた、隣集落の田んぼは、条件も悪いところだったので、耕作をやめさせてもらった。
もう一か所の隣集落の田んぼは、基盤整備もしていない、やりにくい田んぼだが、自分名義の田んぼ(長いこと仮登記にしておいたが、去年やっと登記を済ませた)なので、耕作をするし、借りている田んぼと合わせて、33aほどになる。こちらは、今、基盤整備の話が進んでいて、まとまれば、集落営農としての農地集積が条件なので、その時点で、地元組合の集落営農母体にゆだねるつもりだ。
ということで、かなりの規模縮小となった。70歳を超えたことから、このように決めた。畑での野菜作りを主体にする、といっても、規模は小さいが、経営にしてゆくつもりだ。
9月12日(火) いちじ
一日すっきりしない天気。秋の収穫作業が済んだので、気持ちは楽になる。
籾摺り関係の機械の掃除。ばねコンベアもしばらく使わないので、掃除して片付ける。
午後、メガソーラーの件で、出かける。伊豆の伊東市で、めがそーら反対運動をしている人がこちらに来てくれるという連絡があり、市役所のロビーで、話を聞くというので、そちらに行く。4時ころに、一足早く失礼してくる。
法的な規制がないから、なかなか大変なことだ。伊東市の場合、県知事も反対の立場だし、市長も反対の立場、市議会も反対決議を採択したという。しかし、法的には何ら問題なく、麹は着工できる。要は、いかに多くの市民、県民を中心とした、反対の大波を作り出し、業者をあきらめさせるかということが、運動の方向のようだ。
かなり大変なことだ。
当地では、市長も市議会も、今のところあまり関心がない立場。より困難のどが強そう。
8月25日(金)
暑い。この夏、一番の暑さか。水を汲みだしている田んぼに様子を見に行ったり、精米したり、変換畑に回り、マルチフィルムをはがしたり。午後も、ゆっくり休んでから、田んぼののり面の草刈り。
メガソーラーの件で、市役所の環境課に、資料請求の電話をする。業者が提出しているだろう規模等の概要の説明書、現地の設計図面等をもらいたいと話す。現在は、業者のほうで、いろいろと変更等を検討しているから、正式の書類はないとのこと。こちらとしては、業者による地区説明会の前に、資料を見て、いろいろと勉強したいからとの要求に、いろいろ調べて、後ほど連絡するとのこと。
昼に電話があり、来週の後半ぐらいをめどに、地域の皆さんに説明する資料を作るから、しばらく待ってほしいとのこと。とりあえずは了解する。
現在は、ソーラー発電に関する、開発に関する法的規制は、一切ないとのことで、市行政にしても、議会にしても、できることを前提に、業者との話し合いをしているので、何とものんびりした、対応だ。このような開発に、法的規制がなければ、よほどの政治的信念がなければ、反対とか、規制をすることはできないのだろうが。信念をもって反対した市長が、業者に民事訴訟を起こされているのを見れば、怖くてしり込みするのはわかるが。
8月23日(水)
出荷作業は午前中で終わらす。
午後は、ゆっくり休み、3時前ごろに外に出る。芽キャベツを50本ほど移植してから、田んぼの草刈りに行く。刈払機で、法面の草刈り。大土手の全部は刈らずに、田んぼの際だけを刈る。稲刈り用の草刈りにとどめる。
夕方遅く、知人が来る。私たちの住む地区の北側の山林に、巨大なメガソーラー発電計画があり、具体的に動き出すとのことで、そのことで、相談に来る。昔、この地区の共有林だったところを、ゴルフ場開発ブームのころ、ある会社に売却してあった。ゴルフ場は、とん挫したが、その土地を、今のソーラー発電ブームに乗って、本州では最大という規模でパネルを敷設する計画だ。
何でも構わず、ブームに乗って一儲けという動きが、環境問題など全く考えず、動き出している。
2月7日(日) ときどき
夜の間に、霙か雨が降ったのか、水たまりができている。寒い朝だ。今日は、撤去したパイプ類を片付けようと思ってはいたのだが、寒いのと、濡れているだろう冷たさを想像し、午前中はお休みと決めた。ゆっくりと新聞を読み、領収証の整理を終わらせる。午後も、日差しはあるが、空気は冷たい。そのまま部屋での仕事を選ぶ。昨年の会計をまとめるフォルダーを作り、あちこちから資料をまとめておく。昨年購入した減価償却資産も計上し、15年度の減価償却簿を作成。領収証を転記する、出勤簿の記帳にも手を付けた。
朝ドラについてだが、連れ合いともども観ていて、こんな会話があった。
ドラマは、幕末から、明治の時代、大阪の両替商に嫁いだ女性主人公が、実業家として成長してゆく物語。で、主人公が、九州の炭鉱を買収し、炭鉱を経営するのだが、大阪から、九州に歩いてゆくわけだ。そんな場面がちょくちょく出てくる。
連れ合いが、「100年ぐらい前までは、歩いていたんだね。」「100年ということはないだろう。大正生まれの母が100歳になるんだから。」「そうか、150年前か」
私たちが子供のころは、歴史の勉強などで、明治は、100年ほどまえっだった。それから、私たち自身が、50年以上生きているのだから、当然の話である。
それはさておき、明治の時代に、ようやく鉄道が走るようになったのだ。それはほんの150年ほど昔のことなのだ。私たちから数えて、父母、祖父母と三代遡るだけ。曽祖父母にしても、三代である。それまでの、歴史的に記述されるようになってからの時代でさえ、千数百年、二千年ほどの時代、基本的にに歩くという行為だけだった。
とすると、この150年の変容は、その速さは、次から次えと新たなものの生み出されるのは、何なのだろう。
久しぶりに、そんなことを考えさせられた。
1月22日(水)
出荷作業。連れ合いは、午後から、患者会の当番。今日から復帰すると云う。
農機会社の職員が米を持ってくる。会社に置いてあるコイン精米機から生じる米だ。
最近の精米機は、石抜き機が付いている。振動を利用して、比重差に寄り、石を精米機内に入らないようにする機械だ。しかし、石だけを選別することはできない。ある程度の米を残すことになる。石があれば、この残米の中に含むが、石がなくとも米は残る。精米機に入らないこの米は、廃棄される。正確には判らないが、我が家の石抜き機から判断すると、一回に500gほどの米が残ると思う。我が家の機械は最後が自動でないから、皿のようなものに、残米を入れて、石だけを拾い、米は精米機に入れる。コイン精米機では、自動的に、残米は処分される。この玄米が一つ。
もう一つは、砕米。玄米を精米するのは、何らかの圧力や、摩擦力で、米の表面を削り糠を落とし、白米にする。この過程で、米粒が割れるものもある。我が家の精米機は。循環式だ。玄米をタンクに入れ、下部のパイプ部分でロールが回り、タンク内の玄米を循環させる。この時、一定の圧力を加え、ロール内を通過する玄米どうしがこすれ合い、少しずつ糠を削る。玄米は、一時間ほど、タンク内で、循環しながら白米になってゆく。ある程度の砕米はできる。小さなもの以外は、白米の中に残るが、それほどの量でない。
コイン精米機などは、一通式といい、タンクの米は、削りロールを通り、即、白米で出てくる。ロールを通る過程で、一気に糠を削り取るやり方だ。かなりの圧力をかけるので、砕米の発生は多い。砕米が多いと炊飯した時にグチャグチャになり易いので、廃棄するように作られている。米の品質にもよるが、その廃棄される砕米がかなりの量になる。その処分先が、我が家だ。
我が家で、鶏を飼っていることから、過って、鶏の餌にどうですかと、効かれた。くず米などを買っていたこともあり、飛びついた。しかし、その量の多さが半端ではない。ニワトリの口に入るのは、ごくわずか。犬、猫のご飯にも、砕米を使う。それでも知れている。八割ほどは、積んだままだ。その量たるや、およそ1トン。(一年弱で)
かなりの無駄。これも食品ロス。廃棄食料の一つだろう。
さて、その処分。
1月14日(火) いちじ
連れ合いは、病院。しばらくは、ちょくちょく、通うことになるだろう。ステロイドとは、両刃の剣らしく、いろいろと副作用を生じさせるようだ。今日は、眼科の検査もあるのだと云う。
午前中の集卵ののち、遅れて畑に出かける。ゴボウ掘り。労力をかけても、収量は少なく、能率は悪く、採算性は良くない。午後は、明日の出荷用の収穫。早めに終わったので、30分ほど、夏野菜の支柱の撤去を始める。これからの作業は、まず、片づけから。マルチも撤去し、これからの作付けの準備が待っている。
正月3日だったと思うが、憲法9条にノーベル賞をという記事が載った。面白いと思った。
ノーベル賞など、どうでもよい賞だと思っているし、特に、ノーベル平和賞など、今の世界秩序を維持するための補完物でしかないと、思っている。
しかし、現在の自民党政権が、好き勝手に、日本の進路を決めてゆこうと動いている時、ノーベル平和賞で、憲法の改正を出来ない状況を作ろうと云うのは、非常に面白い発想だと思った。早速、ホームページにアクセス。署名した。
皆さんは、どう思いますか。一度、ホームページにアクセスしてみてください。
10月7日(月) ときどき
夏の暑さだ。午前中も、一時間ばかり、動いただけで、昼には、着替えないと汗で、気持ち悪い。
朝のうちは、昨日の施食会の後始末。ゴミ類を、まとめて、外に出しておいたものを分別。ビン類、ペットボトル類、アルミ缶など。紙コップや、紙皿、刺身や寿司のパック類は燃えるごみになる。市の指定の袋に詰めて、収集日に、我が家で出すことになる。こうした、集落などの集まり事に、ゴミは大量に出ることは、いたしかたないと、割り切っている。本来なら、ガラスコップに陶器の皿、箸もマイ箸でなくとも、再利用する箸を使えばよいのだろうが、どうしても、片づけが大変になり、役員の負担が増えることになる。役員の負担を少なくすることで、多くの人が役員としてやって行けっる用にしたいと思う、私は、使い捨て用品を使うことに、最も積極派である。割り箸反対の人からは、強く非難されるだろうが、私は、これからも、こうした集まりには、使い捨て食器類を大いに利用してゆく。当日の洗いものは、テーブルを拭くタオル、二枚ほどだけだった。
先日も、新聞の投書欄で、役所等の会議時に、ペットボトルのお茶を出すことを批判する意見が出ていた。最もかもしれないが、何もそこまでと、私は思う。なぜそうするかは、それぞれに、それなりの理由があると思うし、一つの方向からの拒否的非難は、好きではない。
午前中は、一時間ほど、午後の畝立の為に、鶏ふんなどの肥料類の準備。午後は畑。葉物類の種を播く畝作り。施肥、耕起し、平畝を作る。
7月20日(土) ときどき
曇りがちの天気で、気温もそれほど高くない。朝など、夏姿では、肌寒いほどだった。
畔の草刈。刈払機で、二か所終わり。午後は、家の周りの草刈をモアでやり、大豆をトレイに蒔きながら、母の帰宅を迎える。
大豆、6トレイ。白ー2、茶ー2、黒ー2トレイ。これでおしまい。
もうすぐ静寂を迎える。しかし、どうすればよいのか、いまだに結論は出ない。選択肢が多い訳ではない。選択肢がないに等しいと云うことだ。自分の思想とか、考えを表明せよと云うのなら、答えは一つ。迷うことはない。しかし、そういうことではない。選択してほしいという候補は、たくさんある。人気投票ならどうでもできる。自分の好きなものを選べばよい。しかし、結果が着いてくることを選択しなければ、今回の選択は、最悪の状況を生み出す。だから、どう選択すれば、最悪の状況にならずに済むか、という選択だ。
最善を選ぶのではない。よりよい状況を選ぶのでもない。より益しでもない。より悪くない状況の選択でもない。最悪の状況を少しでも手前で、とどめるには、どう選択するかという問題だ。だから、結論はなかなか決まらない。
静かになる、これから一晩、熟慮するしかないのか。
とにかく、孫、ひ孫の世代に、恨まれないような選択をし、その結果が生まれるよう、祈るしかないのか。