ヤンキー先生として、義家 弘介(よしいえ ひろゆき)の名を、
知られた方が、書かれた本です。
中学生のころより、「不良」と呼ばれるようになり、高交退学処分を
受け、家からも絶縁される。
北海道余市町の、私立北星学園高校は、キリスト教主義の私立学校
である。人は時に、この場所に集う生徒達を、「おちこぼれ」といい、
著者自身も同校の門をたたき、明治学院大学法学部法律学科を卒
業し、母校余市高校に、教師として赴任する。
教師集団と生徒達が、まさに、泥だらけになりながらの、6人の生徒
たちの歩んできた軌跡が、書き刻まれている本です。
私は産みの母を知らない。
北星余市高校・この学校はそんな私の「母」である。
と書かれています。
* あとがきより *
「生きていても意味がない」
違うだろう!
この世に意味のない営みなどない。
意味のない人などいない。
意味とは、与えられるものじゃない。
探すものです!
「死んだら、苦しみも憎しみも、何もかも消えて無になる」
なんで、そんなことが断言できますか?
そんなものわからないでしょう?
もし、そうじゃなかったら、どうするんですか?
不確かなものに、自分の存在の全てを賭けるくらいなら、
その手で掴める温もりのために、全てを賭けませんか?
「信じていた人に裏切られた。もう、生きていく気力もわかない」
そういうあなたは、だれの心も裏切っていないと、本当にいえる
でしょうか?
自分にとっては何気ないことでも、だれかにとっては、とても傷つ
くことだったりしますよね。
「信じる」という気持ちは、たとえ、自分の思い通りにならなくても、
傷ついても、それでもこの人と関わりたいと思う、切なる気持ちだ
と、私は思います。
そして、一番の裏切りとは、死んでしまうことによって、あなたを
思う人々に、一生消えない悲しみを、背負わせることだと思いま
す。
「自分が死んでも誰も悲しまない」。
ユウヤがよくいってた。本当にそうだったでしょうか?
少なくとも彼の両親は、そして私は、彼が消えてしまったことの
悲しみを生涯、忘れることはできないでしょう。
(これは、ユウヤという生徒が、ビルから飛び降りて
死んでしまったことを、指しています。)
*** 文中より ***
↑ JAの店頭にありました
始めて見ましたが、側の人にこの植物の名前を
訪ねてみましたら、「アンテーチョーク」・・・。
検索してみましたら、「アーティチョーク」。
ハーブ?・・食べられるようです。
これから、花開くのでしょうか??
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ウオーキング~30分=3,800歩