(2011.04.30 訪問)
慈光院から県道7号を南へ約5km、GWにも関わらず道はよく空いています。唖
然とするくらい空いています。スグ着きました近所までは。
しかしお寺へは行き着きません。数回付近をグルグル、入るべき道が発見出来ま
せん。やっと見つけたおばさんに尋ねると「そこの広い道を左、すぐ左に入る道
を真っすぐ、ここからスグですがな」お礼とグチをいいながらやっと着きました。
お寺の方にグチると「ナビ付クルマでも、どなたも一発で来た方はいません」。
ですって。
[ 額安寺 ] かくあんじ
●山号 熊凝山(くまごりさん)
●寺号 額安寺(かくあんじ)
●宗派 単立 以前は真言律宗
●開山 聖徳太子(数説有)
●一世 道慈律師
●本尊 十一面観音菩薩立像
額安寺縁起
聖徳太子が、釈尊の祇園精舎に倣って創建した学びの道場「熊凝精舎」が額安寺
の前身で、推古天皇が額に瘍を病まれた際に、熊凝精舎の薬師如来に祈願された
ところ、快く平癒されたことから額(ひたい)安らかなる寺「額安寺」の名を賜
ったと伝えられているそうです。
▼山門
近年、山門をはじめ境内が補修改装され、生け垣に囲まれた山門は、豪邸の門の
ような感じ。
▼参道
▼手水鉢
▼本堂
桁行五間寄棟造、建造江戸初期。
堂内はけっして大きくはありませんが須弥壇以外は荘厳を排除した簡素な造りで
内陣の広さを強調しているようです。西大寺の本堂を小さくしたような感じがし
ました。
▼本堂内陣須弥壇
ご本尊は中央お厨子の中に祀られています。保存状態はとても良好、彩色は見事
に残っています。お厨子両扉絵がまた見事、不動明王と諸天が描かれています。
▼本尊十一面観音菩薩 室町中期の造像。
お厨子の中なので頭上の化仏やお顔の全貌は見にくいですが、お顔は丸く、童顔、
目は半眼に近く童顔にもかかわらず艶かしさも持ち合わせているように見えます。
お口の紅が妙に印象的なご本尊です。
▼虚空蔵堂
▼虚空蔵菩薩半跏像(重文)
木心乾漆造、額安寺の根本本尊。奈良時代から平安時代初期の作。
一世道慈律師が招来。
ガラス越しですが真近で拝せます。彩色もよく残り、乾漆の見事さは、胸飾や天
衣、条帛の精巧な作りに目を見張ります。ただ右手に蓮を持っている所などは、
全て左手に三鈷鉤を持つ神護寺五大虚空蔵菩薩との差異はあります。これも儀軌
が確立された東密と奈良時代における雑密の時代差でしょうか。
▼宝篋印塔 (大和郡山市指定文化財)
造塔記銘を持つ宝篋印塔では我国二番目といいます。
1261年石工大蔵安清作と刻されています。
文献上の事はよく知りませんが、聖徳太子の名残や香りは感じることはできませ
ん。ただ推古天皇の伝承云々はまんざら伝承と片付けられない一面があるのでは
ないでしょうか。この地一帯は額田部郡、古代豪族額田部氏の発祥の地といい、
往時の皇統子女は時の豪族が養育にあたったと云います。推古天皇の幼名額田部
皇女という諱は何か関連がありそうに思えますが…。
聖徳太子伝承が残るもう一つのお寺、達磨寺に向かいます。