土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

湖東臨済禅の名刹、永源寺へ。

2011年05月17日 | 滋賀の古寺巡り


(2011.05.14 訪問)

琵琶湖東岸一帯は、比叡山の影響下で平安以降、天台宗の有名無名を問わず多く
のお寺が今にその法灯を伝えています。また湖東から湖北にかけての近江路には
多くの十一面観音像を見ることができるのは皆さまよくご存じの通りですよね。
そんな天台勢力の中で湖東に臨済禅の名刹があるというのを聞いていたので、そ
の名刹、永源寺を訪ねました。湖東三山の一つ、百済寺の近くです。

[ 永源寺 ] えいげんじ
●山号 瑞石山(ずいせきざん)
●寺号 永源寺(えいげんじ)
●宗派 臨済宗永源寺派大本山
●開山 寂室禅師(正燈国師)
●本尊 世継(よつぎ)観世音菩薩(秘仏)

永源寺縁起(永源寺HPから)
南北朝時代の興安元年(1361)、近江守護職、佐々木六角氏頼が入唐求法の僧、
寂室元光禅師(正燈国師)に帰依し、領内の土地寄進、伽藍を創建したことが草
創。二千人の修行僧と、五十六坊の末庵を有したと云われているそうです。

▼参道前のサイン


▼参道前から見る愛知川の流れ
二日前の雨のせいでしょうか、スゴク濁った水です。


▼羅漢坂参道
イヤになりますわ、石段は。


▼十六羅漢石像
羅漢坂の左岩に釈迦三尊石像と十六羅漢石像が祀られています。岸壁に彫られた
ものではありません。






▼手水鉢


▼総門


▼山門(重文)
享和二年(1802年)建立。
本尊 釈迦三尊。釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、十六羅漢が祀られています。


▼山門上層への階段
両サイドに階段がありますが、いずれも登段禁止。


▼鐘楼
袴腰の立派な鐘楼。梵鐘は苦労があったみたいですよ。安永元年(1772年)再建。


▼本堂
本尊 世継(よつぎ)観世音菩薩。(秘仏)
正面八間の豪快な本堂の屋根は葦葺き。
本尊御開帳はおよそ四半世紀に一度らしいです。
康安元年(1361年)創建。兵火、火災に被災、明和二年(1765年)再建。


▼本堂偏額
山号 瑞石山と揮毫されています。


▼本堂外陣
さて何畳位か判りませんが、とにかく広いです。




▼芭蕉句碑
こんにゃくの さしみもすこし 梅の花


▼法堂
享保十三年(1728年)再建。


▼法堂須弥壇
本尊 釈迦如来、脇侍として十大弟子の迦葉尊者、阿難尊者が祀られています。
三尊は後水尾天皇より寄進されたものだそうです。


▼開山堂
寂室禅師(正燈国師)を祀るお堂。


▼開山堂偏額


▼開山堂須弥壇


▼境内からの愛知川、後ろの山並は鈴鹿山系。
緑一色の境内を取り巻く多くは楓もみじ、陽射しを通す青もみじのグラデーショ
ンに紅葉時期の全山赤を想像してしまいました。


▼経堂
応永十一年(1404年)創建。延宝四年(1676年)南嶺禅師が再建。明版大蔵経が
納められています。


▼経堂正面には道教神でしょうか?
中央 傅大士、右 普健童子、左普成童子。


▼道場入口門
左門札に正法眼蔵三百則提唱とあります。永源寺は臨済禅です。なぜ曹洞祖師道
元さんの正法眼蔵なのですかと、僧侶の方に聞いたところ、「宗派を越えて禅の
教えは不変、その心を学びます。」 ごくあたり前の答えです。
宗派間の確執が目立ち、釈迦仏教の哲学はどこへ行ったのか、誰もが思い起こそ
うとはしない。あたり前が出来てないように見える今日の日本仏教界の中で、チ
ョット見直しました。ボクの主観ですので念のため。
もともと永源寺は臨済宗東福寺派だったそうです。


愛知川沿い、鈴鹿の山懐に抱かれた地に永源寺は650年ほどの歴史を縫っています
が、京の雅びと時の権力者が競った美の競演とはいささか趣きの違いを感じます。
地に根を張った信仰の重さの違いなのでしょうか。

それでは、ここからチョット南の石のお寺へ向かいます。