土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

広島の一番寒い日に、宮島大聖院へ。

2011年12月14日 | 広島の古寺巡り


(2012.12.10・11訪問)

遅い秋が急ぎ足で去ってゆきました。名勝紅葉谷公園の紅葉もすっかり散りそめ、
世界遺産の島、安芸宮島は冬支度。よりによってこの日は真冬ですよ。にもかか
わらずさすが宮島、厳島神社の人の多さにはビックリ!フェリーもピストンです。
厳島神社参拝後、大聖院を訪ねました。

[ 大聖院 ]
●山号 多喜山(たきやま)
●院号 大聖院(だいしょういん)
●寺号 水精寺(すいしょうじ)
●宗派 真言宗御室派大本山
●開山 弘法大師空海
●創建 大同元年(806年)
●本尊 十一面観音菩薩立像(観音堂)
   波切不動明王立像(勅願堂)

大聖院縁起
弘法大師空海さんが唐から帰国途上、宮島弥山で100日間の求聞持秘法を修され
たのが今の弥山伽藍の地であり修業に使った火が今も燃えています。大聖院は、
鳥羽天皇勅願道場以来、歴代皇室との因縁深く、明治維新までは十二坊の末寺が
あり、厳島神社の別当寺として祭祀を行っていた厳島の総本坊。仁和寺との関係
は本山と末寺という結びつき以前に脇門跡、仁和寺院室、厳島御室などの称号を
賜った深い関係があるそうで、仁和寺第二十世任助法親王(厳島御室)が大聖院に
止往し、仁和寺塔頭に大聖院があったため、法流相伝の御室にあてられたものと
いわれているそうです。

▼仁王門脇に建つ大聖院石標。



▼仁王門。



▼長押と天井にかけてスゴイ龍の彫り物、目は玉眼。



▼向かって左に金剛力士阿形像、右に金剛力士吽形像。
堂々の像形に朱色鮮やかに残り、玉眼が嵌められています。






▼参道石段。



▼御成門。
総檜造り、唐破風、檜皮葺の勅使門。



▼御成門からの景は宮島随一らしいですよ。眼下に見えるのは、千畳閣と五重塔。



▼観音堂。
御成門のすぐ右手に観音堂が建っています。行基さん作と伝えられる十一面観世
音菩薩が本尊として祀られています。



▼勅願堂。
鳥羽天皇勅願道場で大聖院の本堂。豊臣秀吉が朝鮮出兵の時に、必勝海上安全を
祈願したと云われている本尊波切不動明王を祀っています。



▼勅願堂扁額。



▼勅願堂本尊 波切不動明王立像。



▼万福堂。
恵比須さん・大黒さん・毘沙門天・弁天さん・福禄寿・寿老人・布袋さんの七福
神を祀っています。お参りの皆さんが撫でまくり、触りまくっているのでツルツ
ル、ピカピカです。



▼摩尼殿。
弥山三鬼大権現の本坊御祈祷所。



▼大師堂。
大聖院最古の堂宇。真言宗の開祖空海さんが祀られています。また、お堂のまわ
りに西国三十三観音石仏が並び参拝のご婦人が丁寧に一体ずつ手を合わせておら
れました。



▼五百羅漢庭。
参道石段の左下に広がる庭には、羅漢さんがいっぱい!



大聖院本坊伽藍から弥山伽藍へ、これから登山です。紅葉谷公園を通り抜けると
ロープウエイ駅です。
▼弥山伽藍へのロープウエイ紅葉谷駅。獅子岩駅までラクチン空中散歩。



▼ロープウエイ獅子岩駅の弥山伽藍マップ。
このマップには騙されました。弥山伽藍への参道てなものではなく、これは登山
道です。



▼弥山伽藍への道。
こんな石段や石ゴロゴロの細い道、山崩れの後の道、コワイ怖い!それに強烈な
アップダウン。




▼弥山伽藍本堂。



▼弥山伽藍本堂内陣。本尊 虚空蔵菩薩坐像。
本尊脇に見えませんが不動明王と毘沙門天が祀られています。



▼弥山伽藍霊火堂。
このお堂は2005年に火災で焼失し、翌年再建されたそうです。「消えずの火」の
本家が火事になるとは、なにか意味深ですね。



▼弥山伽藍霊火堂扁額。かなりススで真っ黒けです。



▼弥山伽藍霊火堂「消えずの火」。
1200年以上経った今も霊火堂の中で燃え続けています。囲炉裏のような感じを受
けるのはボクだけかな。広島市内平和公園の「平和の灯」はこの「消えずの火」を
分火したものだそうです。



▼弥山登山道。大岩を階段状に彫り込んだ石段。



▼船岩とお地蔵さん。
とにかく、奇岩、大岩がゴロゴロしています。このお地蔵さんに被さるように見
えるのも大きな岩です。



▼弥山山頂。
やっと着いた山頂も奇岩だらけ。山頂にはそうとうくたびれた展望台があります。
それ以外は岩ばかり。風と寒さに負けましたのですぐ下ります。



▼巨岩のアーチ、奇岩「くぐり岩」



▼観音堂と文殊堂。この下はスグ本堂の地です。



宮島まで来て、登山をするとは思いませんでしたが、空海さんが残した跡と宮島
一の歴史を謳う大聖院の参拝は、地方においてもこれだけの大寺院があるという
仏教の深さ、信仰の大きさを改めて思いました。