土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

銀閣寺を初めて訪ねました。

2013年03月12日 | 京都の古寺巡り


(2013.03.09訪問)

ビックリするほど暑い一日でした。変な国から飛んでくる砂とピーエムなんとかと花粉で首から上がグチャ
グチャの我が身を嘆きつつ、今日はうちの奥さんのたっての希望で、初めて銀閣寺を訪ねました。
歩いていて、隣はサラッと何事も無い風で、こっちはハックション連発、涙は出るは、目は痒いはで散々な
一日でした。
と云う訳で今日の写真は全部ピンが甘いです。
それにしても、人気のあるお寺なんですね、ビックリしました。

▼錦鏡池越しに観音殿 (国宝)。通称これを銀閣と呼んでいるんですね。




[ 銀閣寺 ]
●山号 東山 (とうざん)
●寺号 銀閣寺 (ぎんかくじ) 正称 慈照寺 (じしょうじ)
●宗派 臨済宗相国寺派 相国寺塔頭
●開基 足利義政 (あしかがよしまさ)
●開山 夢窓国師 (むそうこくし)
●創建 文明十四年 (1482年)
●本尊 釈迦如来坐像
●平成六年(1994年)「古都京都の文化財」として世界遺産に登録。
▲京都府京都市左京区銀閣寺町2 電話/075-771-5725
▲拝観料 600円
▲京都市バス「銀閣寺道」下車徒歩10分

銀閣寺縁起 (銀閣寺HPより抄出)
足利義政は文明十四年(1482年)に東山山荘造営に着手しました。政務を嗣子義尚に譲り、義政はこの地に
移りました。そして文明十七年(1485年)禅室として西指庵が完成すると落髪して喜山道慶と称して出家し
たのです。文明十八年 (1486年) には自身の持仏堂として東求堂ができています。長享元年 (1487年) には
東山殿会所、泉殿が完成し、長享三年(1489年)3月には銀閣(正式名称は観音殿)の立柱上棟が行われま
した。義政の死後、遺命により東山山荘を禅寺に改めて夢窓国師を勧請開山とし、寺号を義政の院号慈照院
殿に因み当初慈照院と称しましたが、翌年慈照寺と改名されました。当寺第一世は宝処周財、第二世維山周
嘉は義視の第二子将軍義稙の弟で当時まだ十五歳でした。その後歴代の住職は戦国時代を乗り越え、観音殿、
東求堂などをまもりぬいたのです。

▼参道。




▼境内案内板。




▼総門。




▼参道両脇は大刈り込みの生け垣と銀閣寺垣の竹垣が続きます。




▼中門をくぐるとすぐ左の庫裡。




▼大玄関へと続きます。




▼本堂から銀沙灘 (ぎんしゃだん) と向月台砂盛り (こうげつだい) 越しに観音堂 (銀閣) を望む。



▼銀沙灘 (幾何学模様の砂州) と向月台 (砂盛り)。




▼本堂と銀沙灘。




▼東求堂 (国宝)。本堂横に建てられている書院。義政の持仏堂。




▼錦鏡池東南、洗月泉に落ちる一筋の滝。




▼洗月泉の中央に真ん中が窪んだ石があります。
誰がはじめたのか窪みに小銭を投げいれた結果が今はこの状態。




▼境内を囲む銀閣寺垣。




▼展望台から市街が一望。




▼展望台から。




▼展望台から銀沙灘を見るとこんな感じ。




▼展望台から観音堂 (銀閣) を見るとこんな感じ。




▼境内は見事に手入れが行き届いています。苔がきれいです。




▼観音堂屋根のテッペンには、金閣の鳳凰とソックリの鳳凰が羽を広げいます。
金閣はキンピカ、こちらは鈍色。




▼銀沙灘に置いて撮った御朱印です。朱印帳を忘れたので帰ってから貼っときます。




▼見てくださいこの人波、帰りの参道です。




将軍義政の現実からの逃避、そして隠棲の場として隠家、自己満足の集大成がこのお寺の成り立ちと言えば、
言い過ぎでしょうか。彼の奥さんも大変な人のようで、この人からも逃げたかったようですネ。
ボクにはお寺という印象はありませんでした。ファファファックション!
銀閣寺 オ シ マ イ !