(2014.09.13訪問)
久々の大和路は上々の好天気、大和路号も明日香路を快調に走っています。第一弾、橘寺へ。
明日香イベント「飛鳥光の回廊」が今日から始まるので、ここ橘寺でもその準備作業が始まっていました。
このお寺、以前からこんなにたくさんの芙蓉、植栽されていました?
▼橘寺スタンダード。
[ 橘寺 ]
●山号 仏頭山(ぶっとうさん)
●院号 上宮皇院 (じょうくうおういん)
●寺号 橘寺 (たちばなでら)
●勅願 伝推古天皇 (すいこてんのう) 聖徳太子叔母
●開基 伝聖徳太子 (しょうとくたいし)
●開創 伝推古天皇十四年 (606年)
●宗派 天台宗
●本尊 聖徳太子像 (重文)
▲拝観料 350円 朱印300円
▲拝観時間 9:00~16:30
▲奈良県高市郡明日香村橘532 Tel.074454-2026
▲近鉄橿原線「橿原神宮前」駅より、奈良交通バス「岡橋本」下車 徒歩約3分
▼西門。今日はこちらからの入山です。
橘寺縁起 (橘寺パンフより抄出)
橘寺の舊地は伝聖徳太子生誕の地。
聖徳太子は推古天皇十四年天皇の勅で勝鬘経講讃した。その時大きな蓮の花が庭に1mも降り積もり、南の
山に千の仏頭が現れ光明を放ち、太子の冠から日月星の光が輝き、不思議な出来事が起こったので、天皇は
この地にお寺を建てるよう太子に勅した。そこで造ったのが橘樹寺 (たちばなのきてら)で、聖徳太子建立七
ヶ大寺の一つに数えられた。当初は東西870m、南北650mの寺地に、金堂、講堂、五重塔を始め六十
六の堂宇が立ち並んでいた。日本書記には天武天皇十年 (681年) 尼房失火のため十房焼いた記録があり、当
時は尼寺であったと思われる。
▼手水舎。
▼昼前ですがもう酔っぱらっています。
▼本堂横の芙蓉の大きな株。
▼本堂。ユニークな屋根の造り注目!
桁行三間、梁間三間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。後堂が付属してます。元治元年 (1864年) 再建。
▼本堂向拝の屋根。二重破風で後ろ千鳥破風、前は唐破風でいずれも銅板葺。
▼扁額は太子殿。
▼太子愛馬黒駒。斑鳩との往還に疾走する太子の勇姿が目に浮かびます。
が、当時日本にサラブがいたのかな?とヤボな事は云わないでおきましょう。
▼ここにもすでに酔っぱらいが。
▼石塔競演、異なるデザインの妙味。
▼護摩堂。
▼ホワイトオンブルー。
▼経堂。
▼中央須弥壇に本尊阿弥陀さん。
▼脇殿に傅大士と二童子。左、普建童子 (ふけん) 右、普成童子 (しんせい)。
傅大士は中国南朝の僧で、輪蔵の制を創設したことにより輪蔵の正面にこの像と二童子像が置かれるよう
になったそうです。
▼放生池。
▼観音堂。このお堂は安永六年(1777年)に本堂として建立されたが元治元年(1864年)現本堂建立に伴
い現在地に移築されたそうです。
▼本尊 如意輪観世音菩薩坐像 (重文)。
▼蔵でしょうか、白壁の朽ちつつある姿、妙に印象的!
▼五重塔跡の心礎。直径90cm、三方に添え柱孔、塔高推定38mになるそうです。
▼これはピンクですけど酔っていません。
▼鐘楼。
▼白は清楚ですね。
▼樹齢は判りませんが、ビッグ銀杏。晩秋の黄色、見てみたいです。
▼ピンクも映えますね。
▼芙蓉叢。
▼これも芙蓉ですね、違うかな?
▼往生院。平成九年 (1997年) に写経研修道場として再建。
▼扁額。
▼本尊 阿弥陀三尊。中央壇のお三人見えます?
▼曰く因縁付きの聖徳太子像。ボケボケでみっともない写真でお恥ずかしいですが。
▼浄土出現!華天井。260点奉納されてるそうです。
▼往生院の前に株の大きい酔芙蓉叢、あと一週間も経てば…。
▼東門から本堂へ、一直線の参道。
▼境内から東門越しに。
▼東門越しに境内。
▼東門。橘寺の正門はこちらです。なぜか狛犬が。
▼境内から甘樫丘、川原寺趾遠望。ここでも「飛鳥光の回廊」の準備で忙しいみたいです。
▼橘寺ビュー、一文字白壁。
▼御朱印です。
橘寺にこれだけ多くの芙蓉の株があるとは驚きでした。お寺方とのお話で、咲き具合5~6分、もうチョット
ですねとのこと。それでも相当数の大輪が咲き誇っています。一株が大きく酔芙蓉も混植で多くの花芽が開
花を待っていました。
とりあえず、橘寺 オ シ マ イ
実は第二弾、どのお寺を訪ねるか思案中で~~~す。
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