土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

法輪寺、斑鳩の男前、十一面さんに逢いにやってきました。

2015年09月14日 | 奈良の古寺巡り




(2015.09.12訪問)
久々の斑鳩路はやはりクルマが多いですが、なぜか毎度喧噪の法隆寺参道や駐車場は、朝のせいかいつもの賑わいはあ
りません。今日の大和路号、この法隆寺を華麗にスルー、目指すは法輪寺と法起寺であります。
「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に登録されているこの地域で、この法輪寺は指定外なんですが、法隆寺式
伽藍配置でその規模は法隆寺西院伽藍の三分の二規模と云われ、ミニ法隆寺と云われているそうです。伽藍はすべて近
世から現代の再建で、寺歴が誇る草創歴史を感じることは出来ませんが、草創時から伝わる仏像群の素晴らしさはまた
別格です。




▼なんと静かで長閑な法輪寺の山門でしょう。






[ 法輪寺 ]
●山号 妙見山(みょうけんざん)
●寺号 法輪寺(ほうりんじ)
●宗派 聖徳宗(しょうとくしゅう)
●開基 伝 山背大兄王(やましろおおえのおおきみ) 他説有り
●開創 伝 推古天皇三十年
●本尊 薬師如来坐像
▲拝観料 境内自由 講堂(収蔵庫)拝観料 500円 無料駐車場あります。  
▲拝観時間 3月~11月 8:00~15:00 12月~2月 8:00~16:30
▲奈良県生駒郡斑鳩町三井1570 電話0745‐75‐2686
▲近鉄橿原線「郡山駅」下車 奈良交通バス法隆寺方面行「中宮寺前」下車 徒歩15分
 近鉄橿原線「筒井駅」下車 奈良交通バス王寺方面行「中宮寺前」下車 徒歩15分
 JR大和路線「法隆寺駅」下車 徒歩 35分




▼さてさて入山です。下馬標識に従い大和路号を下車。

 




法輪寺縁起 (法輪寺HPから抄出)

当寺の創建には二説が伝えられています。
●ひとつは、推古三十年(622年)聖徳太子がご病気になられた折、太子の御子山背大兄王がその子由義王らとともに太子
 のご病気平癒を願って建立されたという説。
●もうひとつは、天智九年(670年)の斑鳩寺焼失後百済開法師、圓明法師、下氷新物の三人が合力して造寺したとする説
 です。
昭和の発掘調査では、伽藍配置が法隆寺式であること、規模は法隆寺西伽藍の三分の二であること、出土する鐙瓦、宇瓦
の文様が法隆寺のそれぞれと類似することが判明しています。薬師如来坐像と伝虚空蔵菩薩立像の飛鳥様式の仏様二体を
伝えるところからも、7世紀末頃にはかなり寺観が整っていたであろうと考えられます。




▼真っすぐ参道正面は講堂、収蔵庫です。






▼参道右は金堂です。今は本尊薬師如来は居られません。まさにがらんどう。桁行五間、梁間四間、寄せ棟造、本瓦葺。
 旧金堂跡に一回り小さく建てられているそうで、二層ですがユニークな堂形を見せています。初層が裳階なのか二層
 建てなのかよく判りません。しかしバランス的に上層がかなり小さいので安定感は抜群の堂宇です。ただ経時の老朽
 化激しく相当激しく傷みが進行しているようです。






▼誰を守っているのか、金堂の鬼瓦。






▼金堂。右側が正面です。






        ▼そして参道左に三重塔。
         法隆寺五重塔、法起寺の三重塔と共に斑鳩三塔と呼ばれています。
         惜しいかな昭和十九年(1944年)雷火で焼失、昭和五十年(1975年)再建。






        ▼相輪の水煙に付けられた風鐸、どんな音色を奏でるのでしょう。






▼講堂、実は収蔵庫なんです。法輪寺のほとんどの仏像と宝物がここで拝観できます。






        ▼講堂正面。






        ▼講堂の本尊、十一面観音菩薩立像(重文)。像高約360cm、
         杉材一木造、両腕は接ぎ付、平安中期。
         体躯もさることながら、まさに男前、大きな目鼻立ち、天衣や裳の柔らかな感じ、
         彩色も残り非常に穏やかなイメージを受けます。光背は挙身光で後補とはいえ大変
         美しいものです。
         嬉しいのは後ろに廻ることが出来、各お像の背面もジックリ見ることが出来ます。


 
        ▲写真はネットからもらってきました。




        ▼やや吊り目気味のシャキッとしたいいお顔です。



        ▲写真はネットからもらってきました。




▼薬師如来坐像(重文)。                ▼虚空蔵菩薩立像(重文)。



▲写真はネットからもらってきました。         ▲写真はネットからもらってきました。

●薬師如来坐像は法輪寺の本尊、本来は金堂に祀られていたお像です。
像高110.2cm、樟材一木造、宣字座は檜材、光背は後補、飛鳥時代後期。
宣字座に結跏趺坐の姿は、法隆寺金堂釈迦三尊の中尊によく似ています。あちらは金銅造、こちらは木造ですけどネ。

●虚空蔵菩薩立像、像高175.4cm、樟材一木造、飛鳥時代後期。
全体のプロポーションは寸詰まりでけっしてスラリとはしていないけれど、体のそり具合などは法隆寺の百済観音に
よく似ています。虚空蔵菩薩と称されていますが、左手に水瓶を持つのは本来は観音菩薩ではないだろうか。この二
体はボクなどでも知ってる止利仏師集団の作ではないかな、こちらも法隆寺の一連の作によく似ている感じがします。

講堂ステージには上記三体の外に重文仏を含む五体、計八体のオンステージは実に見応えがあります。




▼境内にザクロの実がなっていましたがまだまだ固いです。






▼鐘楼。






▼妙見堂。格天井には星が描かれ、天井全体が星曼荼羅を構成してるそうです。
 本尊妙見菩薩(秘仏)。北極星が仏格化された仏で普く願いをお聞きしてくれる諸願成就の仏様だそうです。






▼妙見堂扁額。堂々とした揮毫ですネ。






▼正面から見てみました。






▼地蔵堂。一間四方宝形造、本瓦葺。江戸期建立。






        ▼お地蔵さん。鎌倉末刻。






▼境内の片隅に、礎石が並んでいます。宝篋印塔のなれの果ても。






▼夏を惜しむかのように庫裏前の白百日紅、健気にもまだ咲いてます。






▼御朱印です。講堂の尼僧さんが書いてくれました。達筆です。






この斑鳩の地での聖徳太子一族の悲運は山背大兄の滅亡でその幕を閉じ、1400年近くの時の流れは、往時の人々の葛藤
と悲しみをうたかたの夢として、太子哲学と大伽藍群、そして数多くの仏像を残して、消え去った。
ボクはこの斑鳩の地を巡るたびに、明日香の明るさに比べ、なぜかどんよりした心の一点が拭えない暗さを感じるんです。
権力の浮沈はいつの時代にもあることですが、傑出した偉大な英雄の喪失はこの斑鳩の地の空気感すらも変えてしまった
んでしょうか。

斑鳩町の皆さん、こんな暗い印象を持ちましてスンマセンね! ボクだけの印象なんでお許しを。





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