
(2015.09.12訪問)
法輪寺からわずかなところ、法起寺に向かいます。駐車場が見当たりません、細い道をクルクルしているうちに、西門
前に到着。まさか門前に止める訳にもいかず、どうしょうか、その時、近所の方でしょうかオジさんが、「駐車場は道
の向こうに有るけど、ココに止めときなはれ、まずクルマは通りまへんから大丈夫」よその方にお墨付きをいただいて、
堂々の駐車違反、西門を潜りました。ドキドキ…
▼西門、入山はココからになります。この真ん前に迷車大和路号は止まってます。

[ 法起寺 ]
●山号 岡本山(おかもとさん)
●寺号 法起寺(ほうきじ) 別名 岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺
●宗派 聖徳宗(しょうとくしゅう)
●開基 山背大兄王(やましろおおえのおおきみ)
●開創 舒明天皇十年(638年)
●本尊 十一面観音菩薩立像(重文)
▲拝観料 300円 御朱印300円
▲拝観時間 2月22日~11月3日:午前8時30分~午後5時 11月4日~2月21日:午前8時30分~午後4時30分
▲奈良県生駒郡斑鳩町大字岡本1873番地 電話0745-75-5559
▲「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に登録
▲近鉄橿原線「郡山駅」下車 奈良交通バス法隆寺方面行「中宮寺前」下車 徒歩20分
近鉄橿原線「筒井駅」下車 奈良交通バス王寺方面行「中宮寺前」下車 徒歩20分
JR大和路線「法隆寺駅」下車 徒歩 35分
▼放生池越しの三重塔。

法起寺縁起 (法起寺HPから抄出)
推古三十年(622年)2月22日、聖徳太子はその薨去に臨み、山背大兄王に岡本宮を改めて寺とすることを遺命、大兄王は
大倭国田十二町、近江国の田三十町を施入したといわれています。その後、舒明十年(638年)福亮僧正が聖徳太子のため
に、弥勒像一躯と金堂を造立し、天武十四年(685年)恵施僧正が塔の建立を発願、慶雲三年(706年)塔の露盤を作ったと
されています。近年境内発掘調査で前身建物の遺構が確認され、法起寺の建立以前に岡本宮と見られる宮殿が存在して
いたことが明らかとなりました。 中門を入って右に三重塔、左に金堂、中央正面奥に講堂があり、廻廊は中門左右から
堂塔を囲み、講堂の左右に接続する様式の伽藍であったと推測されています。奈良時代には相当栄えていたようですが、
平安時代後寺運徐々に哀微、鎌倉時代に講堂や三重塔が修復されましたが室町時代に再び衰え、江戸時代のはじめごろ
には三重塔を残すのみであった。再興発願した真政圓忍とその弟子たちは、延宝六年(1678年)三重塔修復、その後元禄
七年(1694年)に講堂再建、文久三年(1863年)聖天堂建立。現在の寺観が整えられました。
▼放生池の睡蓮。

▼三重塔(国宝)。塔高23.9m、本瓦葺。我が国最古の三重塔、慶雲三年(706年)建立。

▼元気です。

▼三重塔。

▼初層内。

▼法隆寺と同じ卍崩しの高欄。

▼相輪。

▼鐘楼跡。

▼本堂。旧講堂跡に建っています。桁行五間、梁間五間、錣葺き寄せ棟造、本瓦葺、元禄七年(1694年)再建。
ガードが固く内部は窺い知ることは出来ません。本尊が居られないのでヒョットしたらガランドウかな。

▼本堂扁額。

立派な収蔵庫が本堂の隣に建てられていますが、前面ガラスで外の映り込みがあり内部がよく見えません。
本尊をはじめ九体の仏像が安置されているらしいのですが、残念ながらよく拝することは出来ません。
拝観寺院である限り、もう少し拝観者への利便性を…、と云ったらお寺は反論するでしょうネ。
▼本尊十一面観音立像。収蔵庫に捕われています。
像高350cm、杉材一木造、平安中期。
是非お会いしたかったこの十一面さん、お像を前にしながら、感想を云えないモドカシさ。

▲写真はネットからもらってきました。
それにしてもどういう経過でこの写真撮ったんでしょう!
▼聖天堂。本尊歓喜天。旧金堂跡に建っています。方三間、宝形造、本瓦葺、文久三年(1863年)建立。
完全ガードで入堂拝観は出来ません。このお寺にナゼ歓喜天?

▼聖天堂正面に「歓喜天」の扁額が…、

▼その下にこんな額に入った貼り紙が…、
手描きもいいんですが、もうちょっどないかならんもんですか。

▼西側面に「聖天堂」の扁額が掲げられています。

▼長い土塀が立派な西門。迷車大和路号は違反駐車してますので、モチロン逃げるようにして法起寺を辞しました。

▼御朱印です。法輪寺の御朱印と較べないように!

世界遺産の一部で、法隆寺を本山と仰ぎ、歴史的価値も揺るぎないこのお寺、しかし拝観寺院として残念ながらボクに
とっては期待外れでした。境内も夏の名残か、少々荒れ気味で雑草生え放題、惜しい!です。
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