(2016.07.02訪問)
迷車大和路号は久々奈良の西を流れる万葉歌の川、富雄川沿いを走っています。もちろん今は見る影もありませんが。
阪奈道路を挟んで南の霊山寺、北の王龍禅寺、長弓寺を訪ねるために暑さに弱い大和路号、喘ぎながら走っているんです。
取り敢えず一番遠い霊山寺、といっても我が家から生駒清滝越えで約四十分、ヘッチャラの近さです。
▼県道七号を富雄川沿いに南へ真っすぐ、やがて霊山寺の大看板が目に入ります。山側に入るとまもなく赤い橋、霊山寺橋が見えま
す。もちろん渡るとそこが霊山寺の大駐車場です。
[ 霊山寺 ]
●山号 登美山(とみさん)
●寺号 霊山寺(りょうせんじ)
●宗派 霊山寺真言宗(りょうせんじしんごんしゅう)大本山
●勅願 伝 聖武天皇(しょうむてんのう)
●開基 伝 行基 伝 菩提僊那(ぼだいせんな)
●開創 伝 天平八年(736年)
●本尊 薬師三尊(秘仏) 中尊薬師如来坐像、脇侍日光、月光菩薩立像。
▲拝観 500円 朱印 300円
▲時間 10:00~16:00
▲バラ庭園 8:00~17:00
▲奈良県奈良市中町3879 電話0742-45-0081
▲http://www.ryosenji.jp/
▲近鉄奈良線「富雄」駅より奈良交通バス、「若草台」又は「近鉄奈良駅」行き「霊山寺」下車徒歩約7分
阪奈道路「三碓出入口」より県道を南へ5分
第二阪奈道路「中町ランプ」より県道を北へ5分
▼堂々の寺号大石柱。
霊山寺縁起 (霊山寺HPから抄出)
天平六年聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。天平八年バラモン僧、菩提僊那が来日、登美山の地相が霊鷲山にそっくりという
ことから、寺の名称を霊山寺と奏上、落慶となりました。平安時代、弘法大師が登美山に力の強い龍神様がおられると感得、奥の院
に大辯財天女尊として祀られました。それまで当寺は法相宗でしたが、弘法大師が真言宗を伝えられ、以後は法相宗と真言宗の二宗
兼学の寺となりました。鎌倉時代には北条氏の帰依厚く、弘安六年本堂の改築、堂塔寺仏の修復新調が行われ、僧坊二十一ヵ寺で非
常に栄えその後、豊臣秀吉から寺領百石を与えられ、御朱印寺として国家安泰と五穀豊穣そして幕府の武運長久を祈願して参りまし
た。ところが明治維新の廃仏毀釈により、伽藍の規模は半減、二百体以上の仏像焼却の運命をたどりましたが本尊薬師如来のご加護
と、弘法大師が勧請された大辯財天の霊験により復興、今もなお国宝重文建物六棟、重文仏像宝物三十余点を所蔵、隆盛を保ってい
ます。
▼鳥居山門。境内いたるところに鳥居が建ってます。
▼鳥居山門の大辨才天と書かれた扁額。
▼きれいな参道です。訪ねるたびに境内がキレイになっているような気がします。
▼やがて参道右に八体仏霊場。生まれ歳十二支の本尊がズラリ八体。
▼内容を知りたい方はコレをお読みください。
▼行基さんの像。
赤肌焼きで、近鉄奈良駅前の行基さんと同じものです。
▼右手高台に建つ黄金殿と白金殿。このお堂を知りたい方はHPをどうぞ。
▼本堂参道石段。
▼本堂(国宝)。桁行五間、梁間六間、一重入母家造、本瓦葺、一間向拝付。本尊薬師如来、脇侍日光、月光菩薩。
▼本堂正面。左右一間が戸口、中央三間は蔀戸全面格子組。
▼向拝の柱間虹梁中央の蟇股。蟇股内の薬壷見えます? 細かい配慮ですね。
▼本堂外陣の薬師三尊の懸仏。秘仏本尊の御前立ちです。
盤径98cm、中尊像高42cm。脇侍像高24cm。なかなか大振りな懸仏ですね。
▼珍しい格子発見、菱形二重格子が欄間に、下には引き違い格子戸で内外陣を区画しています。
▼不思議な動物の木鼻。何の動物か判らないそうです。
▼本堂です。
▼本堂前の手水舎。
▼朱が映える優美な鐘楼。桁行一間、梁間一間、袴腰付入母家造、桧皮葺、室町初期。
確か前回訪ねた時は補修修復作業で覆屋でスッポリでした。
▼本堂となりに経蔵でしょうか、漆喰が映えてます。
▼先代住職東山圓教師の像。バラ園を造ったのはこの方です。
▼放生池。
▼放生池の畔に辨才天が祀られています。
▼本堂向かいの高台へ行ってみましょう。上に見えるのは大師堂。
▼大師堂参道石段。
▼大師堂です。古来開山行基菩薩を祀っていたが、江戸時代より弘法大師を本尊としたそうです。
▼大師堂内須弥壇にお大師さんが祀られています。
▼大師堂。方三間、宝形造、桟瓦葺、一間向拝付。外縁勾欄が付けられ、小さいながら美しいお堂です。
▼三重塔へ行きます。高台へ向かう参道。
▼三重塔(重文)。
塔高17m、方三間、桧皮葺。弘安六~七年(1283~1284)建立。 初層内部全面に巨勢金岡筆と伝わる極彩色の壁画があるそう。
▼こんな壁画は非公開です(重文)。 (写真は霊山寺HPからお借りしました)
▼こんな錠前でガッチリ閉め切り。
▼三重塔。
▼相輪。
▼三重塔。
▼塔前に護摩壇を備えた行者堂。
▼格子から覗いた行者堂内陣。本尊神変大菩薩、早い話役行者。毎年九月十五日柴燈護摩法要が厳修されるそうです。
▼行者堂。
▼菩提僊那墓。天平八年(736年)天竺より来日。霊山寺が釈迦の聖地霊鷲山に似ているので名前を霊山寺と名付けるよう聖武天皇に
奏。天平勝宝四年(752年)東大寺大仏供養開眼師を勤め、天平宝字四年(760年)大安寺にて僊化。
▼本堂裏の高台に十六所神社(重文)。
初の奥の院探訪
▼奥之院への参道口、1kmと書いてあります。奥之院へは初めてお参りしますが、人影が見えません。
▼参道、かんかん照りの上りなんですよ、のぼり……。
▼赤い鳥居が見えてきました。奥之院到着か……、
▼違いましたここから下り、とりあえずここが奥の院口なんでしょう。
▼こんな参道でドンドン下ります。帰りが思いやられますわ。
▼鳥居に赤い橋、どうやら奥の院到着です。
▼鳥居山門に赤い橋、赤い灯籠、どう見ても神社。
▼奥之院の由緒書き。
▼奥之院の社殿。
▼灯籠の灯りに送られて早々に奥之院退散です。
境内から約1キロ、イヤもう少しありそうですが、上り参道で樹叢鬱蒼と云えども今日はかんかん照り、むちゃくちゃの暑さ、
風が通らない山中は地獄ですよ。しかも人っ子一人いない山道は暑さの中でも気分は背筋ゾクゾク、さすが奥之院、怖かったですよヨ。
▼御朱印を戴きに本坊へ、本坊参道石段です。
▼本坊山門。
▼本坊玄関。この横の本山寺務所で御朱印を戴きます。
▼山門鳥居の手前に幸せを呼ぶ鐘、もう一つの鐘楼が石垣の上に。
鐘の音が響き渡る浄土実現と善男善女の撞く妙音は三世十方に震鐘し、世界平和万民豊楽を願いを込めています。
昭和六十三年建立。
▼御朱印です。
皆さんお変わりありませんか、お歳を召した方、お歳を召さない方も熱中症にご用心、今日みたいなアホ程暑い日は、無理して歩き
回ったらあきません。今日のボクはお変わりありました。奥之院からの帰り参道で、急に目の前ブラック、目眩でクルクル、胸ドキ
ドキ、プレ熱中症もどき、道端でひっくり返って三十分ほど休憩、なんとか持ち直しました。今日の予定あと二ヵ寺、もちろん中止。
お寺を訪ねて熱中症でバタンでは絵にもなりません。皆さんもお気をつけて。
長々とご覧戴きありがとうございました。霊山寺これにて オ シ マ イ
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