(2013.03.04訪問)
「悟りと迷い」から一気に庭園の美へ。源光庵から歩いて三分、稀代の天才本阿弥光悦の名が残る光悦寺へ向かいます。日蓮宗光悦
寺、れっきとしたお寺なんですが、境内に入るとまるで印象は別、堂宇は本堂のみで広い境内は全てがお庭なんです。ボクには入園
料を払ってお庭を愛でる所と云う印象。日蓮さんのあの厳しい眼差しを感じることはありません。
▼楓の参道は、青葉、紅葉の頃を想像しながら歩きましょう。
[ 光悦寺 ]
●山号 大虚山 (たいきょざん)
●寺号 光悦寺 (こうえつじ)
●宗派 日蓮宗 (にちれんしゅう)
●開山 日慈上人 (にちじしょうにん)
●創建 明暦二年 (1656年)
●本尊 十界大曼荼羅。
▲京都府京都市北区鷹峯光悦町29 電話 075-491-1399
▲拝観料 300円 朱印 300円
▲時間 8:00~17:00
▲京都市バス「四条大宮6系玄琢行き、源光庵前下車 徒歩3分
▼参道。
光悦寺縁起 (光悦寺パンフより抄出)
元和元年 (1615年) 鷹峯一帯を徳川家康が本阿弥光悦に野屋敷として与えた土地である。光悦は一族縁者をはじめ、種々の工芸に携
わる多くの職人とともに住居を構え、光悦を中心として工芸村を営んだ。同時に本阿見家先祖供養の霊屋として位牌堂を設けた。光
悦没後、寺として日蓮宗光悦寺となり今日に至っている。
▼山門。季節で表情が変わる額縁景観は期待出来そうですネ。
▼茅葺屋根の鐘楼は珍しいですネ。
▼合掌造りの屋根裏を想像してしまいます。梵鐘重量に耐えるのかしら。
▼本堂なんですが全景を撮るアングルが見つかりません。
▼本堂前面は障子です。
▼山号の扁額。
▼本堂内陣ですが本尊十界大曼荼羅を見ることは出来ません。正面に僧侶像が見えますが、開山日慈上人でしょうか。
ココまでは一応お寺の印象。
▼庭園へ第一歩。茶席妙秀庵への枝折り戸がオシャレです。
▼境内が回遊式庭園でこんな小道が巡っています。
▼竹をクロス網した垣根、これが光悦垣。または臥牛(ねうし)垣とも呼ばれているそうです。
▼茶席三巴亭の土間から。
▼茶風流に脱帽、竹の樋。
▼回遊路の一部のよう光悦墓所への参道。
▼本阿弥光悦の墓所。墓石には七字名号が刻されていますが、殆ど読み取れません。
本阿弥光悦の人となりを少しばかリ
安土桃山~江戸時代の芸術家、刀剣の鑑定をはじめ工芸を家業とした本阿弥家に生る。家業を通じて幼い頃から優れた工芸品に触れ
卓越した美意識を養い、貴族社会とも通じ、京都で活躍の幅を広げていった。、書画、蒔絵、漆芸、作陶、茶の湯に秀で、古田織部、
織田有楽斎を師に、千宗旦と交遊。元和元年家康から鷹峯の地八万坪を与えられ、工芸職人とともに移り住み芸術村を開く。
▼茶席大虚庵。光悦はここで亡くなったといいます。
▼回遊路。
▼茶席本阿弥庵。
▼本阿弥庵の茶額。
▼茶席了寂軒。
▼まさに古池。何かが出てきそう、おおこわ。
▼光悦垣の向こうは茶席大虚庵。
▼鷹峯三山のうち二山。写真は左鷹ヶ峯、右鷲ヶ峰。
境内周辺は山に囲まれ、北には愛宕山、南には鷹峯三山を望み鷹峯、鷲峯、天峯が借景となる贅沢な庭園です。この鷹峯三山の山容
は花札「八月芒」の元になったとも云うそうですヨ。
▼ご朱印です。
古寺散策、特に伽藍をはじめ古建築の美や仏像など古美術を求めて古寺を歩いている方には、このお寺は期待外れでしょう。しかし
庭園の美を求めて止まない方々にとっては、さすが光悦の庭と喝采間違いなし。禅刹の研ぎ澄まされた枯山水のお庭、大寺院の池泉
回遊式のお庭とは全く趣の違うお庭を見ることになります。本阿弥光悦の風流と云う言葉だけでは表せない高度な感性が、広いお庭
に点在する茶席七席に凝縮され、ここから書画、蒔絵、漆芸、作陶、茶の湯へと昇華されて行ったのでしょう。
アートなコミュニティーを形成した芸術村も、その片鱗は光悦寺の庭園として残るのみ、時の流れのなんと薄情なことでしょうか。
庭園寺院光悦寺 オ シ マ イ
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