
(2017.03.11訪問)
中将姫伝説と牡丹のお寺としてその名が知られている當麻寺、今日は閑かです。奥の院から石段を下ると中心伽藍が並んでいます。
取り敢えず仁王門から入り直し境内を一巡、さて伽藍三堂の拝観は何処からと思う間もなく、愛想のいいオネーサンから伽藍拝観は
本堂からですよとにこやかに、なんでと聞くと先ず拝観料と受付は本堂でどうぞ、ナットク。
▼仁王門。三間一戸、八脚門、入母屋造、本瓦葺き。両袖に金剛力士が睨んでいます。

[ 當麻寺 ]
●山号 二上山 (にじょうざん)
●寺号 當麻寺 (たいまでら)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう) 浄土宗 (じょうどしゅう)
●開基 伝 麻呂子親王 (まろこしんのう)
●創建 伝 推古天皇20年 (612年)
●本尊 當麻曼荼羅
▲奈良県葛城市當麻1263 TEL. 0745-48-2008
▲拝観料 500円 朱印 300円
▲時間 9:00~17:00
▲http://www.taimadera.or.jp
▲新西国三十三カ所十一番札所
▲近鉄南大阪線「当麻寺駅」下車 徒歩約15分
南阪奈道路「葛城IC」を下り信号左折約10分
西名阪「柏原IC」を下り約15分
▼金剛力士阿形像。

▼金剛力士吽形像。

當麻寺縁起 (當麻寺HPより抄出)
聖徳太子の弟麻呂古王が創建した万法蔵院がはじまりで、白鳳時代に河内から當麻の地に移り、奈良時代に当麻曼荼羅が表され、平
安時代には密教文化が栄えました。平安末の焼き討ちによる危機を経た中世以降は、中将姫伝説の広まりとともに曼荼羅信仰の寺と
して再興し、近世には、真言宗に浄土宗が同居することも受け入れました。最盛期の平安時代には白鳳天平様式の伽藍堂塔と四十余
房もの僧坊をもつ大寺院として発展し、その後幾多の盛衰を繰り返しながらも、江戸期にも三十一房の僧坊、現在も十三の僧坊を残
す大和伝統寺院として今に伝わっているのです。
▼仁王門から境内を見ますと二上山の雌岳が目に入ります。

▼境内は広いです。

▼鐘楼。梵鐘は国宝、銅造、総高153cm、口径85cm、飛鳥時代。我が国現存する最古の梵鐘。

▼ここでやっと雄岳雌岳が望めます。

▼本堂 (曼荼羅堂) (国宝)。桁行7間、梁行6間、寄棟造、本瓦葺。永暦二年 (1161年) 再建。

▼本堂外陣。梁行6間のうち、奥3間を内陣、手前3間を外陣としています。

▼内陣には當麻曼荼羅厨子、高さ501cm、間口390cm、奥行123cm、厨子六角厨子(国宝)が置かれ、本尊当麻曼荼羅(国宝)が安置
されています。(写真はネットから拝借)

▼脇陣にはこの方が祀られています 。

▼本堂。

▼本堂右手前の池に當麻寺のヒロイン中将姫が佇んでいます。2011.3.11に祈りをこめて。

中将姫伝説
奈良時代後半、藤原南家武智麻呂の長子藤原豊成の娘中将姫が、継母の難から逃れ、當麻寺で出家、極楽往生を願い蓮糸で一夜にし
て織り上げた曼荼羅、西方極楽浄土を描いた當麻曼荼羅と呼ばれている阿弥陀浄土変相図、今本堂厨子に祀られている本尊がこれです。
▼金堂 (重文)。桁行5間、梁行3間、入母屋造、本瓦葺。鎌倉時代再建。

▼金堂本尊弥勒仏坐像(国宝)。像高222.8cm、塑造漆箔、飛鳥時代。(写真はネットから拝借)
我が国最古の塑像と云われ、漆箔剥落や螺髪も多くが失われていますが、柔和なお顔がやや大きく感じるものの全体に安定感、
重量感は感じます。元は當麻寺の本尊、今は根本本尊と呼ばれているそうです。本尊を中心に四方に四天王立像が祀られています。

▼金堂。

▼東塔 (国宝)。三重塔、塔高22.21m、奈良時代。

▼初層軒下の組み物。

▼相輪。通常塔の相輪は九輪ですが當麻寺の両塔は共に八輪しかありません。

▼塔頭中の坊越しに見た東塔。

▼現在西塔は修復補修で覆屋でスッポリ。しばらく両塔ワンショットは残念ながら見ることは出来ません。

▼講堂(重文)。桁行7間、梁行4間、寄棟造、本瓦葺。鎌倉末期乾元二年 (1303年) 再建。

▼中央須弥壇に本尊 阿弥陀如来坐像(重文)。他数体の仏像群が一列に祀られています。壮観です。(写真はネットから拝借)

▼講堂。

▼糸繰堂。新しいお堂のようです。

▼中将姫が祀られています。

▼境内西北端に大師堂。

▼大師堂前の六角堂。納骨堂のようです。

▼境外に建つ薬師堂。小道の両サイドは民家なので境外だと思います。

▼ご朱印です。

▼帰りは葛城古道を北へ、道路から望む二上山。

今日は終始鬱陶しいお天気、写真も暗いし気分も暗い。奈良ってスカッと爽やか青空イッパイの日があるのかな、なんて思ってしま
う一日でした。
當麻寺 オ シ マ イ
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