土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

西寿寺、見事な阿弥陀さんに会えますヨ。

2017年03月23日 | 京都の古寺巡り





(2017.03.18訪問)


等持院から次に訪ねるのは尼寺です。きぬかけの路から西へ、龍安寺、仁和寺の前を通り、福王寺の交差点を国道162号へ入ります。
小浜に通じる正真正銘の旧さば街道、クルマの量は半端じゃなく街道と云うイメージはもはやありません。2~3キロ走ると神護寺、
高山寺へと続く道を1キロほど行き山手に入ると目指す西寿寺があります。堂宇も本堂だけの小さなお寺なんですが、ビッグな阿弥陀
さんが祀られて尼寺と云う柔な印象はありません。




▼山門。






            [ 西寿寺 ]
            ●山号 泉谷山 (いずみだにさん)
            ●寺号 西寿寺 (さいじゅじ)
            ●宗派 浄土宗世捨派 (じょうどしゅうよすては) 尼寺
            ●開基 北出嘉兵衛 (きたでかへえ)
            ●開山 岱中良定 (たいちゅうりょうじょう)
            ●創建 寛永四年 (1628年)
            ●再興 明治十二年 (1879年) 阪飯田弥兵衛、颯田本真尼
            ●本尊 阿弥陀如来坐像
            ▲京都市右京区鳴滝泉谷町16 TEL. 075-462-4851
            ▲拝観料 境内自由 朱印 なし
            ▲時間 10:00~16:30
            ▲http://saijuji.jp/
            ▲嵐電「等持院駅」下車 徒歩約10分




            ▼六字名号碑。






西寿寺縁起
寛永三年 (1627年) 岱中良定上人に帰依した北出嘉兵衛が、岱中を招請開山とし、念仏三昧道場として開いたという。
万治元年 (1658年) 五世単誉愚故上人は本堂を建立し中興。万治二年 (1659年) 甲賀の新宮大明神社の本地仏を当寺に遷し本尊として
安置。寛延年間、現在の本堂が再建される。明治元年 (1868年) 神仏分離令後の廃仏毀釈により廃寺になるも明治十二年 (1879年) 阪
飯田弥兵衛、颯田本真尼により再興された。




▼簡素で優し気な山門ですネ。







▼なだらかな石段参道を行きますと……、






            ▼わらべ地蔵ちゃんが迎えてくれます。






▼石段の上、こじんまりした境内です。左に本堂、中央が庫裏です。







▼振り向くとけむっていますが市街一望です。







▼右手に鐘楼。







▼左に三重の石塔。どこかで見た記憶が、滋賀石塔寺の阿育王塔を模した塔です。







▼こんな石仏がところどころに。







▼本堂。重層、桁行三間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。寛延年間に再建。    
 屋根の大きさがまるで違いますが、どこかバランスがうまくとれているユニークな形状ですネ。入堂は向かって右の障子戸から。













▼本堂扁額。

            





▼本堂前面。

     





▼向拝軒の龍彫刻、玉眼が嵌っています。







▼本堂上層です、面白い雲形窓ですネ。







▼本堂内陣の扁額。







▼本尊阿弥陀如来坐像。
像高276cm、寄木造、漆箔仕上げ、金箔は後補。仏師不祥 (円派仏師により造仏された伝わる) 承安二年 (1172年) 造像。
丈六の弥陀と呼ばれているそうで、阿弥陀定印を結び、結跏趺坐しているビッグな本尊です。







▼阿弥陀さんのお顔。半眼の深い眼差しは静かな祈りの世界そのもの、自ずと畏敬の念がわき上がるようです。







▼本尊。







▼本堂。







▼玄関と中庭。







▼書院と庭園。







▼庭園。







▼蹲踞の機能を果たしていない変な蹲踞を見ながら、



西寿寺 オ シ マ イ。



久々に印象強烈な阿弥陀さんに会えました。造像年代とお寺の創建年代にかなりの差があるので、どこか他のお寺から移坐されたんで
しょうが、それにしてもお顔を含めて全身の漆箔は見事に残り、850年の径時を感じない見事な阿弥陀さんでした。       合掌





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