土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

名物仁王さんに会いたくて、巨勢路の八紘寺を訪ねました。

2011年02月15日 | 奈良の古寺巡り


(2011.02.13 訪問)
先週探しあぐねた巨勢路の「八紘寺」探しに再チャレンジしました。
実は根が小心もんなので、10日、11日の大雪での雪道と凍道を恐れ12日の「土曜
日は古寺を歩こう」はビビる心が中止を決定。翌13日大阪は朝から晴れ、当然奈
良も晴れ、だろうと堂々の決行です。
この日は西側から攻めることに、葛城古道を南に名柄を左折、室でR24号を南へ、
少し走り県道215号を左折東へ巨勢路を目指します。広かったり、狭かったり、グ
ニャグニャだったり、真っすぐだったりの道がしばらく続き朝町の集落をノロノ
ロ歩くように走ると右手丘陵地に写真で見なれた城郭風八紘寺が見えました。実
に簡単に着きました。先週のことはなかったことにしますわ。

▼八紘寺遠景。



[ 八紘寺 ] はっこうじ
●山号)南都山(なんとさん)
●寺号 八紘寺(はっこうじ)
●宗派 法華宗
●創建 不詳 昭和23年に寺院登記して開基
●本尊 日蓮聖人が定めた筆本大曼荼羅「南無妙法蓮華経」

八紘寺縁起
お寺の娘さんと思いますがいらっしゃったので伺うと開基は戦後らしく、詳細は
不詳だそうです。

▼八紘寺石標。
朝町川の太子橋を渡ると建ってます。



▼注連縄を飾った簡素な鳥居。
両サイドは立派な民家でその間が短い参道。



▼山門前に法華宗のシンボル南無妙法蓮華経の石碑。



▼山門。



ジャジャ~ン!!! でました仁王さん。どうだまいったか。
基本は寄せ木で頭部は胴部へ嵌め込み各部の接ぎ目とリアルな木目が目立ちます。
およそ金剛力士の憤怒相と力強さありませんがどこか憎めない恐くない仁王さん。
まさか学校の工作じゃないでしょうね。こんなこと書いて本当は有名な作家だっ
たらどうしよう。実は根が小心なんです。
▼金剛力士阿形像。





▼金剛力士吽形像。





▼本堂。



▼本堂偏額。



▼大和総社(神社)の本殿。
境内の山手にあります。このお寺の鎮守社かどうか、校倉造りの立派な建物です。



▼六角宝塔(平和塔)。



▼八紘寺付近の残雪。



ご住職がご不在ということでお寺の由緒やお堂、仁王さんのことは何も判りませ
ん。神仏習合の結果と云うべきかどうかも判りませんが、かなり異質のお寺の印
象です。ただ山門の仁王さんには笑いました。

ビビる心はカラッと強気、道路はきれいさっぱり、雪降ったん?てな感じ。葛城
古道の菩提寺に続くのです。

牡丹のお寺、石光寺を訪ねました。

2011年02月08日 | 奈良の古寺巡り


(2011.02.05 訪問)
実は世尊寺から帰途、巨勢路にまわりユニークキャラクターの仁王さんがいる八
紘寺を訪ねようと勇んで走ったもののナビのない悲しさか、古瀬の集落をうろう
ろ聞きまくり、探しまくったのですがついに発見できず断念。どうも東西を間違
えて探していたようです。
葛城山から二上山を左に見て葛城古道を走っていると当麻寺、石光寺の表示が目
に入りました。通常当麻寺、石光寺はセットで拝観しますが、この日は「そうだ
石光寺へ行こう」で気がついたら山門前の駐車場に着いていました。
このお寺も花の寺、特に牡丹の寺として有名ですネ。今は寒牡丹も終わり、藁ぼ
うしが主のいないまま広い境内で寂しそうに並んでいます。

[ 石光寺 ] せっこうじ
●山号 慈雲山(じうんさん)
●院号 普照律院(ふしょうりついん)
●寺号 石光寺(せっこうじ)
●宗派 浄土宗
●開基 天智天皇
●開山 役小角
●本尊 阿弥陀如来坐像

石光寺縁起
670年天智天皇ころ、この地に光を放つ石があり、まわりを掘ると弥勒三尊の石
像が出現、天皇の命により、役小角が弥勒如来を祀り、石光寺の名を賜ったのが
始まりだそうです。

▼山門。
季節が季節ですので冬景色ばかりですが、いつ訪ねてもきれいなお寺です。





▼想観の沙。
山門を入るとスグ前に盛り砂があります。手前が方形、此岸(迷い)ボク達衆生
の世界を表し、後方が円形、彼岸(覚り)仏の世界を表していると云います。



▼本堂。



▼本堂偏額。ユニークな書体、常行堂と書かれています。



▼本堂内陣。
本尊 阿弥陀如来坐像を祀り、内陣須弥壇の荘厳はキンピカ!



▼弥勒堂。
本尊 弥勒如来坐像。
この日は開帳期間が過ぎていたのかお堂は閉じられていました。
近年発掘された開山当時の石光寺本尊、弥勒石仏の頭・体部が祀られているそう
で、二上山の凝灰岩で彫られた白鳳仏だそうです。



▼染の井。
このお寺はお隣当麻寺と同様、中将姫の伝説に彩られています。中将姫が当麻寺
にこもるうち霊感を得て蓮の茎を集め、糸を繰出し、この寺の庭に井戸を掘り、
糸を浸したところ五色に染まった。それがこの染の井と云われている井戸の伝承
です。お話はこのあと当麻曼茶羅へと続くのでございます。



▼塔心礎。
相当手の込んだ心礎で、三段に掘られています。この塔心礎がこのお寺のものだ
とすると、いまの寺観からは想像も出来ない大きなお寺だったのでは。



▼蝋梅。
どこで見ても、蝋梅の黄色は云いようのない美しさです。



▼境内。



▼鐘楼。



▼十三重石塔。



▼境内。
藁ぼうしが並んでいますがすべてが空き室です。



▼石仏。
まるでソフトクリームがとけだしたような仏様。如来形だと思いますが、説明が
ありません。



▼蝋梅。
もう~イヤになるくらいの美しさです。





▼百日紅。
見て下さい、根性曲がり放題!捻れ放題!さるすべりの大木。なんぼなんでも猿
は滑り落ちないよネ。ボクでもハンモック代わりに寝られそう。
相当な樹齢、ずっと昔からあるそうです。



国中(くんなか)から西方二上山の雄岳と雌岳の間に沈む夕陽を古人はその向う
を西方浄土と見た。その神々しい山の麓に石光寺はあり、いろいろの伝承に彩ら
れその地に法灯を守っている白鳳の古寺です。残念ながら開基開山の天智天皇や
役小角の由緒は石標に刻まれた文字にしかボク達は感じることが出来ませんが、
往時の権力者の寺に対する思いは巨大寺院や由緒正しきお寺を見るたびに、なみ
なみならぬ檄を感じます。


吉野の大寺、聖徳太子建立比曽寺の後裔、世尊寺を訪ねました。

2011年02月07日 | 奈良の古寺巡り


(2011.02.05 訪問)
橿原、飛鳥、高取路をひたすら南へ吉野路を行きます、今日目指すのは、吉野の
名刹世尊寺。吉野と云っても山深いところではありません。吉野路大淀町のささ
やかな丘陵地にこの名刹は法灯を守っています。周辺は住宅地で、1400年の時を
刻んだ地とはとても思えません。が、吉野の大寺はその面影を感じさせる遺跡を
残し、往時の寺勢を偲ぶことは出来ます。先週の巨勢路は少々ショボかったので
今日はリキが入ってますです。

[ 世尊寺 ] せそんじ
●山号 霊鷲山(りょうじゅせん)
●寺号 世尊寺(せそんじ)
●宗派 曹洞宗
●開基 聖徳太子
●本尊 阿弥陀如来坐像



世尊寺縁起
聖徳太子が父用明天皇の勅を受け、建立された比曽寺がその緒と伝わるそうです。
このお寺は比曽寺、法興寺、四天王寺、法隆寺と共に聖徳太子建立四大寺院の一
つであり往時は隆盛を極めたと云います。その後比曽寺、吉野寺、現光寺、栗天
奉寺、世尊寺と寺名の変遷はいかにこのお寺が栄枯盛衰を繰り返したかが理解出
来ます。武家政治の台頭で情勢の激変と、吉野という僻遠の地のため無住荒廃を
辿り、江戸中期雲門即道禅師が伽藍整備図り、曹洞宗寺院として霊鷲山世尊寺と
して今の姿になったと伝えています。
日本書紀や残されている瓦などから少なくとも飛鳥時代(7世紀後半)には存在
していたと推測されているお寺です。

▼山門。
旧道に面して山門があります。お判りになるでしょうか、山門からは中門と本堂
が一直線に見渡すことが出来ます。山門から中門までは相当な距離があり、往時
の寺域の広さがこれだけでも実感出来ます。



▼山門偏額。
雲門即道禅師の書。日国、最初、法屈と書かれています。



▼史跡石標。
史跡比曽寺跡の石標が目をひきます。



▼参道。
さぁいらっしゃいと悠然と懐深く迎えてくれているような、全てに広々とした参
道です。



▼中門。
左右に回廊が巡っています。霊鷲山の山号が揮毫された大きな偏額が掲げられて
います。



▼手水鉢。
さり気なく置かれていますが水盆の水はどこから?



▼鐘楼。
回廊東角に重厚な二層鐘楼。立派な梵鐘がかけられています。



▼太子堂。
聖徳太子像が本尊。十八世紀前期の建立。元の太子堂は587年聖徳太子が創建。
仏壇部を角屋として突出させる形式は、珍しい建築らしいです。この日は扉が閉
められ入堂は出来ませんでした。



▼太子堂偏額。
法王殿と書かれています。



▼本堂。
本堂は、昭和43年の再建。旧比曽寺の講堂跡に建てられており27個の礎石が残っ
ています。中門から一直線、堂々とした向拝付き本堂。本尊は阿弥陀如来坐像。
今日はご住職がご不在なので奥様が本堂内を案内して下さいました。ご本尊は
中央須弥壇に荘厳されています。須弥壇左に木造十一面観世音菩薩立像が佇んで
います。このお像がなんとも素晴らしく、しばらく離れることが出来ませんでし
た。



▼本堂偏額。
墨跡鮮やかに知恩報徳と書かれています。



▼本堂本尊阿弥陀如来坐像。
本尊阿弥陀如来の由緒伝承は、日本書紀にある、欽明天皇期茅渟海の海中に光輝
くものがある。天皇命じて海上を探させると、クスの大木の輝くのを発見した。
天皇仏師に仏像二躯を造らせた。今、吉野寺に光を放つ樟木の像なり。と云うこ
とです。
実際の造像は、藤原時代らしいです。



▼境内。
丸く植栽された木はつつじです。



▼壇上桜。
本堂うしろに聖徳太子御手植えと伝えられる桜があります。古木の雰囲気はあり
ませんが、枯れた旧木根元から新たに芽吹き今の姿になったといいます。不老長
寿、無病息災、心身壮健のご利益バツグンらしいです。
桜と云っても花のない桜ほどな~んも感じなく味気ないものはありませんですネ、
はい。



▼芭蕉句碑。
世にさかる 花にも念佛 まうしけり
元禄元年芭蕉がこのお寺を参詣した時、壇上桜を眺めて詠んだ句。



▼十三重石塔。



▼金堂跡礎石。



▼東塔跡礎石。
東塔は、文禄期豊臣秀吉により伏見城へ、慶長期徳川家康によって三井寺に移転。
現在重文。



▼西塔跡礎石。
西塔は戦乱によって焼失したと今昔物語に記されているそうです。



▼鎮守社鳥居と拝殿。
山門右側に天照大神社が鎮座。祭神天照大神。世尊寺鎮守社、旧比曾村の氏神。



▼鎮守社本殿



旧比曽寺はかなりの寺勢を誇った寺であることは、残る旧お堂の礎石を見てもよ
く分かります。東西両塔、金堂、講堂とそれを囲む回廊状から薬師寺式伽藍配置
の大寺院であった往時の盛況が偲ばれます。栄枯盛衰は歴史の流れ、しかし今に
残る世尊寺は、整然と法灯を守り、往時の寺勢を僅かではあっても伝えている気
がします。
なんですなぁ、花のお寺のシーズン外の訪問は実に静かですが、実に寂し~い。
このお寺は花の寺で各シーズンはスゴイらしいですよ!