(2012.03.03訪問)
太閤秀吉醍醐の花見の舞台、ひな祭りと云えどまだまだ冷えが身にしむ醍醐寺を初めて訪ねました。それも
上醍醐登山を兼ねてです。聖宝さんはえらいところにお寺を造ったものです。何よりも上醍醐登山は身にし
みました。人間の凄いところは信仰心は何事をも可能にするもんだと改めて感心。案内書どおりタップリと
一時間ヘロヘロ登山でした。先ずは下醍醐の伽藍巡りから。
[ 醍醐寺 ]
●山号 醍醐山(だいごさん)
●寺号 醍醐寺 (だいごじ)
●宗派 真言宗醍醐派総本山
●開山 理源大師聖宝
●開創 貞観16年(874年)
●本尊 薬師如来坐像
醍醐寺縁起(醍醐寺HPから抄出)
弘法大師空海の孫弟子理源大師聖宝が貞観16年(874年)に醍醐山上で地主横尾明神の示現により、醍醐水の
霊泉を得、小堂宇を建立、准胝、如意輪の両観音像を安置したのに始まる。のち醍醐・朱雀・村上三帝の信
仰がよせられ、延喜7年(907年)には醍醐天皇の勅願による薬師堂、五大堂が建立。上醍醐の伽藍が完成。
続いて
下醍醐の地に伽藍の建立がなされ、延長4年(926年)に釈迦堂が、天暦5年(951年)に五重塔が建立、これに
より山上山下伽藍の完成をみた。永久3年(1115年)三宝院が建立され醍醐寺発展の基礎が確立。
その後応仁・文明の兵火で山下伽藍堂宇は壊滅、五重塔だけが難を逃れ、天暦盛時の姿を今に留めている。
上醍醐准胝堂(平成20年8月の落雷が原因による火災によりお堂が焼失し現在は更地)は西国第十一番札所
として、五大堂は五大力さん信仰の中心として、広く信仰を集めて現在に至っている。
▼総門。旧奈良街道に面しています。ここまで地下鉄東西線醍醐駅から約10分。
▼三宝院唐門(国宝)。
参道左に三宝院総門、唐門と並んでいます。院内は書院や庭園が特別史跡、特別名勝に指定。
しかし今日はパスです。
永久3年(1115年)創建。現在の三宝院は、慶長三年(1598年)太閤秀吉が再建。
▼参道。一直線に西大門に向かいます。桜のシーズンは人々で埋まるそうです。
▼西大門(仁王門)。慶長10年(1600年)再建。茶色の樹々は全部桜です。
▼阿形金剛力士(重文)。
長承3年(1134年)、奈良仏師覚助の弟子と伝わる大仏師勢増と仁増が造像。
▼吽形金剛力士(重文)。
▼鐘楼。
▼金堂(国宝)。
醍醐寺総本堂。広大な前庭に南向きに堂々と立つ。
桁行7間、梁行5間、入母屋造、本瓦葺。延長4年(926年)創建、二度消失後慶長5年(1600年)再建。
▼金堂本尊。醍醐寺総本尊、薬師如来坐像(重文)。
中央須弥壇に薬師三尊像(中央薬師如来、脇侍日光菩薩・月光菩薩)が祀られています。鎌倉初期。
▼五重塔(国宝)。
塔高38m、相輪13m。天暦5年(951年)創建。
初層には両界曼荼羅(国宝)や真言八祖が描かれている。毎月29日初層開扉されるそうです。
▼不動堂。
当山派修験道の護摩道場。桁行3間、梁行3間、入母屋造、本瓦葺。
▼不動堂本尊不動明王。堂内には、本尊を中心に五体の明王が祀られています。
▼真如三昧耶堂。
天暦3年(949年)に創建された法華三昧堂が前身。文明2年焼失後、平成9年(1997年)建立。
▼須弥壇には本尊というべきかどうか、釈迦涅槃像が。
▼祖師堂。
真言宗開祖、空海さんとその孫弟子醍醐寺開祖、聖宝さんを祀っています。
▼祖師堂扁額。
▼祖師堂本尊。右空海さん、左聖宝さんのお像。
▼清瀧宮拝殿。
▼清瀧宮本殿(重文)。醍醐寺の鎮守社。上醍醐から分身移設。永正14年(1517年)再建。
大伝法院
醍醐天皇千年遠忌記念に昭和5年(1930年)林泉弁天池と共に建造物が造築寄進されたものだそうです。
▼大伝法院山門。
▼大伝法院鐘楼。
▼大伝法院大講堂。
醍醐天皇千年遠忌記念に昭和5年(1930年)建立。
▼大伝法院弁天堂と弁天池。弁財天を祀っています。
池に映る朱色のなんと綺麗なことか、醍醐寺は桜だけではないようで、秋の紅葉はさぞやの感。
▼修行道場大伝法院伝法学院。
▼女人堂(成身院)。
上醍醐への登山口に在ります。ここで入山料600円を払います。
ここまではまだまだスタミナタップリ。
それでは、地獄の上醍醐へまいるとしましょうか。