土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

常寂光寺、竹林庭園準備中!

2014年09月09日 | 京都の古寺巡り



(2014.09.06訪問)


久々の嵯峨野です。相変わらずヘンな天気で、小倉山山麓ではいきなりザーッときました。
今日のコースは、嵯峨野では初めて訪ねる宝筐院から二尊院を回って、常寂光寺を訪ねる予定でしたが……。
なぜか常寂光寺から。


▼今朝の渡月橋。
 朝十時過ぎなんですが、初秋にしては人影疎ら、クルマ少々です。さすが午後からは推して知るべしです。




[ 常寂光寺 ]
●山号 小倉山(おぐらやま)
●寺号 常寂光寺 (じょうじゃっこうじ)
●開基 究竟院日禛上人 (くきょういんにっしん)
●開創 文禄四年 (1595年)
●宗派 日蓮宗
●本尊 十界曼荼羅
▲拝観料 400円 朱印300円
▲拝観時間 9:00~17:00(16:30受付終了)
▲住所 京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3 電話番号/075-861-0435? 
▲http://www.jojakko-ji.or.jp/
▲嵐電「嵐山駅」下車 徒歩約25分 
 市バス、京都バス「嵯峨小学校前」下車 徒歩約15分 
 阪急電車「嵐山駅」下車 徒歩約35分
 

▼山門。




常寂光寺縁起 (常寂光寺パンフより抄出)
究竟院日禛は文禄四年(1595年)秀吉建立の東山方広寺大仏殿の千僧供養のみぎり、上人は不受不施の宗
制を守って、出仕に応ぜず、やがて本圀寺を出てこの地に隠栖し、常寂光寺を開創す。


▼参道。





▼仁王門。
 錦秋の頃、紅く染まる情景を想像してみてください。一番人気はココ!
 もと本圀寺客殿の南門として貞和年間(1345~1349年) に建立されたものを、元和二年(1616年)に移築。
  (常寂光寺パンフより抄出)





▼仁王門袖にわらじ。多くのお寺で見るのですが、その心は?





▼本道への参道石段。





         ▼本堂参道脇の常夜灯、今日は先ずこの末吉坂を上がります。


 
         薄暗い石段をほんのり灯す薄明かり。よろしおすなァ…



▼末吉坂法面苔のキレイな事。





▼途中の休憩所を右に見て。





▼庫裏前に着きます。





▼鐘楼。寛永十八年 (1641年) 四世日選上人建立。





▼本堂今姿なし。
 小倉山中腹に建つ本堂は、今夏各地の土砂災害を鑑み基礎工事の真っ最中。その後修復再建となるそうです。





▼本堂裏の庭園。





▼池に架かる石橋。





▼境内から東の展望。霞んでサッパリでした。





▼ではでは多宝塔へ行きましょう。





▼中途に開山堂。





         ▼多宝塔 (重文)。
         ウエストキュッ!のプロポーション。しかし何度撮っても、うまく撮れません。



第二世日韶上人の元和六年(1620年)建立されたもの。後に霊元天皇より宸筆並尊閣という三字額の下賜を
受け掲げている。建立されたもの。後に霊元天皇より宸筆並尊閣という三字額の下賜を受け掲げている。
(常寂光寺パンフより抄出)



▼歌仙祠 (かせんし)。
 もとは今の仁王門北にあった藤原定家の小祠を当寺創建時に山上に移転したもの。
 現在の建物は平成六年(1994年)平安遷都千二百年事業として改築したもの。歌仙祠とは、明治二十三年
(1890年)藤原定家六百五十年祭に当たって祠堂改築の時、富岡鉄斎が命名したもので扁額に揮毫されてい
 る。祠内には定家、家隆が奉祀。





▼時雨亭趾。藤原定家が小倉百人一首を編纂したの山荘跡とされる場所
(他に二尊院、厭離庵も時雨亭跡地とされるそうです)





▼そしてこの石段を下ります。





▼参道石段脇に五輪塔二基が半彫りされた可愛らしい板碑。




竹林庭園整備中!

▼飛び石もまだこれから。




         ▼境内西寄りの竹林、小さい渓流も。





▼燈籠も添えられだんだん形になっているようです。ここが完成されたら、このお寺の売りが又一つ…。





▼仁王門前の休憩所に、こんな珍しい蓮が。ビックリしますよ、大きいので。地湧金蓮と云うそうです。





▼そろそろおいとまの時間になりました。仁王門から山門です。





▼御朱印です。




とてもじゃないですが、錦秋の候は遠慮申し上げる常寂光寺ですが、間もなく樹々の緑も変身準備に入るシー
ズンが巡って来ます。今はまだまだ鬱蒼のグリーンも中々のもので、名残のグリーンを訪ねる方々も結構いら
っしゃいました。



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総持寺は、西国二十二番札所です。

2014年09月01日 | 大阪の古寺巡り


(2014.08.30訪問)

相変わらず週末は晴れたり曇ったり雨だったり。天気予報の当たらないこと全く頭に、来ませんか、皆さん。
久々に西国三十三カ所観音霊場を訪ねました。大阪札所四寺のうち二十二番札所、 補陀洛山総持寺、我が家
からきわめて近い札所であります。


▼仁王門。




[ 総持寺 ]
●山号 補陀洛山(ふだらくさん)
●寺号 総持寺 (そうじじ)
●開基 藤原山蔭 (ふじわらやまかげ) 従三位中納言、藤原北家房前の嫡流
●開創 元慶三年 (879年)
●宗派 高野山真言宗
●本尊 千手千眼観世音菩薩
▲拝観料 境内自由 朱印300円
▲拝観時間 6:00~17:00
▲西国三十三カ所観音霊場第二十二番札所
▲大阪府茨木市総持寺1-6-1 Tel.072-622-3209
▲http://www.sojiji.or.jp/
▲阪急京都線「総持寺」駅下車 徒歩5分
 

         ▼西国二十二番総持寺寺標。




総持寺縁起 (総持寺縁起旧記、総持寺パンフより抄出)
承和年間山陰父高房太宰大弐に任ぜられ下向中、漁夫等巨亀を捕らえ甲を穿たんとす。高房我念願する所あ
り、その亀を得させよと単衣一領取らしめ、水中に放たしむ。翌朝継母若君亡き者とせんと水中に陥れたり。
高房痛悼限りなく至心合掌南無観世音菩薩我恭啓信心照覧あれ、今一度亡児の姿見せしめ給え。念願成就時、
尊像を刻し伽藍建立し安置奉らんと祈願を凝したり。然るに不思議なるかな水中に陥れらし若君は巨亀の甲
上に安座せる也。嗚呼奇なる哉。その後高房逝去す。山陰造仏の意志を継ぎ日夜これ成就せんと念願、果た
さんと長谷観音へ参籠、童子に逢えり、童子曰く尊像刻すべき願主の調味を受けん。漸く三年の星霜を経た
り、暁天夢うつつともな空中に声あり、山陰急ぎ仏舎に往き開扉、内を拝し見るに御丈三尺許りの千手観音
亀の座に立たせ給う。実に長谷観音化現童子の刻給う本朝無双の尊像也。歓喜雀々深く崇信限りなく尊像を
本尊として安置し奉れり。


早い話が…
藤原山蔭の父高房は、任地に向かう途中に、漁師たちが大亀を捕らえているのを見て、漁師達に物を与え亀
を逃がしてやりました。あくる朝、子の山蔭が継母に川に落とされてしまった。高房はこれを悲しんで、観
音様に祈ったら、高房が助けた亀が、山蔭を甲羅に乗せて現れた。高房の没後、山蔭が父の意志を継ぎ観音
像を刻し祀ったのが総持寺縁起の起源だという事です。


         ▼黄金の蓮葉からセンサー手水。





▼仁王門。三間一戸十二脚、重層楼門、入母屋造、本瓦葺。初層左右に金剛力士像。





▼補陀洛山山号扁額。





▼阿形仁王さん。像高 227.5cm。檜寄木造り、彩色、玉眼、鎌倉後期。





         ▼恐いですね。
          文化財指定はないのですが、表情は実に豪快、玉眼が生きてるようです。





▼吽形仁王さん。像高 226.7cm。檜寄木造り、彩色、玉眼、鎌倉後期。

 



         ▼恐ろしいですね。





▼千社札が貼りまくられている仁王さんの個室。





         ▼仁王門を潜ると正面に銅製燈籠。





▼左手に鐘楼。





▼本堂です。本尊 千手千眼観世音菩薩(秘仏)。毎年4月15日~4月21日特別開扉されるそうです。
 桁行七間、梁間五間、一間向拝付、入母屋造、本瓦葺。左側面に入堂階段敷設。





▼本堂は入堂で来ません。前面ガラス越しの拝観になります。





▼本堂、角度をかえて見ると屋根の流れがキレイです。





▼金堂。桁行三間、梁間四間、一間向拝付、寄せ棟造、本瓦葺。





▼金堂内陣。本尊薬師さんと日光、月光さん。





▼金堂を下から見てみました。





▼境内の一部です。





▼大師堂。桁行三間、梁間四間、一間向拝付、入母屋造、銅板葺。小さいながらも複雑な屋根の構成をとり、
 二重破風で大屋根に千鳥破風、その前向拝は唐破風の体裁を取っています。扁額は弘法と揮毫。





▼須弥壇中央に空海さん。右は弥勒菩薩、非常に怖い顔の印象です。左はお不動さん。





▼観音堂。ボケ封じ近畿十楽観音霊場の第六番札所です。





         ▼観音堂入口にスラリの本尊、ボケ封じ観音(晋悲観音)。
          ボケませんように、ボケませんように、ボケませんように。
          ほんの本気です。





         ▼宝篋印塔。





▼包丁塚。刻字全部が梵字で刻され、まったく読めません。





▼鎮守社。大黒天、弁財天、青面金剛の三神をお祀りしています。





         ▼経蔵。





▼扁額。





▼荒神社。





▼扁額。





▼不動堂。





▼百日紅が頑張ってます。奥は不動堂の屋根宝形です。





▼お稲荷さんの鳥居。境内西に小高い丘が造られ、五社稲荷が祀られています。





         ▼本殿。一扉一社で神号を梵字で表していますが、
          どれがどなたかはわかりません。





▼小さな池の小島に祀られている閻魔堂。





▼庭園。





▼健気にも咲き残っています。





▼亀が起源のこのお寺、大切に飼われているようです。





▼懸造り風開山堂。宮中料理を四条流包丁式として大成した藤原山蔭を祀っています。


 
山蔭は料理の名人で、魚に手を触れないで箸と包丁でだけで魚をさばくという山蔭流庖丁の元祖といわれ、
日本料理中興の祖とされているそうです。



▼扁額。





▼庫裏。





▼書院玄関。





▼東門です。





▼新造、ピカピカの亀に乗った寺標碑。





▼若い僧が書いてくれた御朱印です。





街中のお寺ということもあり、境内は決して広くはなく、新旧建物混在で、多くの堂宇や社が見事にまとめ
られ、配置されています。俯瞰で見れば恐らく寺院のジオラマと見紛うでしょう。
駅から近く、札所ということで多くの参拝者や巡礼の方がおられ、非常に親しみあるお寺なんでしょうネ。





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