土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

桂林寺、大大阪の北端にある、花とわらべ地蔵のお寺です。

2018年10月11日 | 大阪の古寺巡り





(2018.10.08訪問)


本瀧寺から西方向へ10キロ少々、大大阪の田舎道も時にはイイもんで、山々に囲まれた能勢の道筋は大大阪に住みながらはじめての
走行。もう少し走れば京都の亀岡市と云う大大阪の北端っこに次に訪ねる桂林寺はあります。このお寺、花とわらべ地蔵のお寺とし
て有名らしく、なんとなんとわらべ地蔵200体が参拝者の心を和ましてくれているそうです。





▼お寺の郵便受け、石です。     







[ 桂林寺 ]
●山号 瑞雲山 (ずいうんざん)
●寺号 桂林寺 (けいりんじ)
●宗派 曹洞宗 (そうとうしゅう)
●本尊 釈迦如来坐像
●開創 天文17年 (1548年)
●開山 方外雲珠和尚 (ほうがいうんじゅ)
▲拝観 9:00~17:00 朱印300円
▲大阪府豊能郡能勢町宿野264 Tel:072-731-2002
▲能勢電鉄山下駅→阪急バス能勢町宿野下車
 阪神高速池田線「木部IC」から国道173号線北上 約30分





▼山門。おいでやす、小坊主が旗持って立ってます。







桂林寺縁起 (桂林寺HPから抄出)
天文17年2月、洞雲寺五世方外雲珠和尚がこの地に桂林庵を結んだことにより尚を開祖とし、
以後寺運に恵まれ隆盛をきわめました。





▼正面本堂への参道。植栽など丁寧に手入れされてます。







▼二人の小坊主(童地蔵)が何やらやってます。
 境内には小坊主が約200体置かれてるそうで、和やかな寺環境を目指すモニュメントとお寺は云ってます。
 
 なんとなんと一体5万円なり。

               





▼綺麗なお庭ですネ。







▼手水舎。







▼久々に見ました。







▼本堂です。







            ▼こんな大国さんがいます、手が込ンでるんですがチョット気持ち悪い。







▼本堂正面と扁額です。(写真は桂林寺HPより) 







▼本堂内陣の荘厳。奥内陣は格子ガラス障子で遮られ本尊のお顔が見えません。



















▼本尊釈迦如来坐像。像高32.5cm、檜材、一木割矧造、玉眼、金泥。永享8年 (1436年) 室町時代。
 (写真は桂林寺HPより)







▼歴代和尚の墓碑の一つ。横の灯籠がまたイイ、火袋は木材で材料寄せ集め灯籠。







▼石仏。







▼位牌堂。







            ▼朱色鮮やかな三重塔。お寺では納経塔と云い、実は約3mほどのミニチュア塔です。







            ▼相輪まで本格的ですネ。







▼最後に大邸宅風庫裏へご朱印戴きに寄ったんですがお留守なようで……、 



桂林寺 オ シ マ イ

僅か15分ほどの訪問でした。
周辺の山々を含めると相当広い寺領を持ち、花木数万本が植栽され、花と童地蔵のお寺として有名らしいのですが、今は花色もなく
本堂エリアだけで今日の拝観はオシマイ。曹洞宗のお寺なんですが、宗派色を感じることもなく、お寺ガイドもご朱印も手に入らず、
はなはだ欲求不満の桂林寺でした。ウチの奥さんの感想、言わぬが花。

本瀧寺、大大阪の北端、能勢の山中に在ります。

2018年10月10日 | 大阪の古寺巡り





(2018.10.08訪問)


大大阪も北辺近くになりますと、山また山と大阪のイメージがガラリと変わります。大阪にこんな所があるのかと、大阪に住んで久
しいボクがビックリ、大自然が一杯の山懐、能勢町にやって参りました。能勢と云えば栗園がアチコチにあり、まさにいま旬。ウチ
の奥さんに栗拾いでもして行くかと、とある栗園の前を通るとなんとマア長蛇の列、列、列……、朝の九時頃ですヨ。
奥さん曰く「栗なんかスーパーで買ったほうが安い!」と云う訳で、今日は久々に奥さん同行のお寺巡りです。





▼参道前の大きな境内ガイドマップ。     







[ 本瀧寺 ]
●山号 能勢妙見山 (のせみょうけんざん)
●寺号 本瀧寺 (ほんたきじ)
●宗派 妙見宗総本山 (みょうけんしゅう)
●本尊 釈迦如来坐像(秘仏) 脇本尊妙見大菩薩 常富大菩薩 (つねとみだいぼさつ)
●開創 大正10年 (1921年)
●開山 野間日照上人(のまにっしょうしょうにん)
▲拝観 9:00~17:00 朱印300円
▲大阪府豊能郡能勢町野間中718  Tel:072-737-0028
▲阪急梅田駅より電車で20分 「阪急池田駅」下車 でタクシー25分
 阪急池田駅より阪急バスで余野、牧行で妙見口バス停もしくは余野バス停下車、バス停より本瀧寺のマイクロバスの送迎。
 完全予約制





▼大空殿の扁額がかかる石鳥居。参道入り口です。







本瀧寺縁起 (本瀧寺HPから抄出)
約1250年前、僧行基がこの山を拓き一寺を建立し、爲楽山大空寺と称していました。爲楽山大空寺は、一時は隆盛でしたが、元亀
天正のころには、戦乱の世となり寺は衰微荒廃。天正9年(1582年)領主能勢頼次は、外襲防御のため、この寺を改造し城構としまし
た。慶長6年(1601年)頼次は日蓮宗に帰依、京都の本満寺十三世日乾上人を請い、領内改宗を行い、 そのとき頼次の遠祖、多田
満仲公の邸内に祀られていた鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)を移し、日乾上人がそれを「妙見大士」として法華勧請し城の守護神
としました。日乾上人は滝を改修し、法華の行場として大衆教化にあたり、この山の守護神として宇迦の御魂権化常富菩薩を勧請、
能勢の本滝と呼ばれるようになりました。





▼石段と平路のダブル参道。勿論ボクは右側、石段はイヤ、奥さんは左石段です。







▼こんな縁起も書かれていました。







▼参道上りきると現代風建築、妙見廟という納骨堂です。

                 





▼裏から見ても寺社建築とは思えない妙見廟。ウチの奥さん「これお寺?」







▼本堂です。
 本瀧寺の本堂は行基菩薩の建てられた「爲楽山大空寺」にちなみ「大空殿」と名付けられています。
 内陣、中陣、拝殿に分かれ、
 内陣にはご本尊のお釈迦如来を中心に、脇本尊の妙見大菩薩、常富大菩薩が祀られています。勿論いずれも見ることは出来ません。







▼大空殿と書かれた本堂扁額。







▼本堂外陣から中陣を見ます。







▼内陣は御簾によって遮られ内部を窺うことは出来ません。本尊は秘仏の釈迦如来坐像。







            ▼甲冑姿の珍しい菩薩、脇本尊の妙見大菩薩。(写真は本瀧寺HPより)







            ▼この方も脇本尊の常富大菩薩。(写真は本瀧寺HPより)







▼本堂横からの景観。能勢の山深い所に本瀧寺はあります。







▼護摩堂。







▼本堂前の香台。







            ▼水掛不動。







▼こんなお顔です。一瞬うちの奥さんの顔を見てしまいました。







▼御瀧。法華行場として能勢の本瀧と呼ばれているそうです。
 行基菩薩が開いたこの御瀧は、本瀧寺の境内の南東の奥にあり正面に石の大鳥居、苔むした岩の上の青銅の龍の口から霊水が落下
 しています。瀧壺には天保十二年に丹波の日の出講の発願で法華経の一字一石が埋められたといわれています。







            ▼龍の口から霊水が落下。この勢いが無くなって幾歳月、ああイヤだ!    







▼鎮守の末社。







▼本堂西に仏像石碑が集められその中の一つ、妙白龍王碑。







▼もう一つの参道を通って……、







▼本瀧寺 オ イ ト マ です。





ウチの奥さんの気が変わらないうちに、あと2カ寺を訪ねる予定なんですが……、
「小さいお寺ネ、もうチョット大きいお寺ないの」と云われてもネェ……。
「お寺は大小じゃないんだぜ」と今更云ってもネェ……。

お寺巡りは一人が一番!

興福寺、中金堂301年ぶり再建。

2018年10月04日 | 奈良の古寺巡り





(2018.10.03訪問)


あまりの上天気に、いつの間にか近鉄奈良行急行に乗ってました。気が付くと興福寺の境内に立っていたんです。
平成22年10月立柱式から丸8年、平成30年10月7日(日)に落慶式を迎える興福寺中金堂が、301年ぶりにその姿を現しました。
堂内整備や会場設営でまだ鋭意作業中の中金堂ですが、創建時の姿が青空の下で映えています。
また一つ奈良時代の姿が蘇りました。
落慶法要は10月7日(日)から10月11日(木)まで、一般拝観は10月20日(土)から予定されています。




▼今日の中金堂です。