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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカー・スパイクにおける選手名とその開発

2017-08-26 13:59:23 | 日記
 単なる推測ですが、サッカースパイクでバッシュのように選手名が入った商品が少ないのは、乱発した過去の反省があるためと思います。

 1990年代、各ブランドは自社の機能を証明する為にこぞって契約選手を迎え、名前入りのバッシュ、専用バッシュを乱発したのです。

 ナイキのエアー・ジョーダン
 ナイキのジョーダン・ブランド
 リーボックのクエスチョンとアンサー

 のように、しっかりした開発コンセプトと小売価格、そして選手のチョイスと関連性に筋が通っていばよかったのですが、多くのブランドが

 「時代のあだ花」

 のように消えてゆきました。

 ノーティカとグレン・ライス、スポルディングとハキーム・オラジュワン、MVPとマジック・ジョンソンのように、商品化はしたものの、長続きしなかった例が幾つかあります。

 リーボックもグレン・ロビンソンに提供したブームが軌道に乗らなかったように

 1・選手にかかる高額契約金の負担
 2・希望小売価格の高騰

 というように、問題点が発生することもしばしばでした。

 僕はリーボックがナイキと対抗し、こぞって契約選手を求めたことが、アディダスに買収された理由のひとつと想像しています。

 NBAよりも試合時期が長く、海外遠征も多いサッカーを考慮すれば、選手名の入る靴の製造が体調管理も含めて難しいのは当然なのかもしれません。

 アディダスがエックスとエース
 ミズノがモレリアとレビュラ

 のように、契約選手がほぼ同じデザインのスパイクを愛用するのも、契約金を削減できるという現実問題を回避し、余計な嫉妬心を生まないための措置、のように思います。

 メッシとロナウドはアディダス、ナイキの頂点に立ちますから、名前が入ることは当然のように思えますが、やはり凄い事といえますよ。 
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天才は模倣されてこそ天才である

2017-08-26 13:41:08 | 日記
 ドクタードレはNWAで活動していた時期から、その存在の大きさで有名でした。

 彼が1993年に手掛けたスヌープ・ドギードッグのアルバム「ドギー・スタイル」は、ドッグにとって最初のアルバムだったにもかかわらず、全米でも日本でも爆発的な売れ行きを示したことで有名です。

 僕もこのアルバムを所有していますが、一言でいえば

 「音の快楽」

 であり、ただ曲に体をゆだねたらよいという感覚です。

 以後、ドレの音楽論が確立され、彼の曲作りを参考にする人間が増えたわけですが、天才は模倣されてナンボのように思えます。

 ディエゴという名前は天才肌が多いのでしょうか、アルゼンチン代表ならばマラドーナだけでなく、ラトーレの名前も浮かびます。

 「オーストリア・ハプスブルク最高傑作」
 「ゴヤ、マネ、ピカソにも多大な影響を与えた」

 事で知られるディエゴ・ベラスケスの作品「ラス・メニーナス」は、後世に大きな影響を残したことで知られています。

 マラドーナのプレイは子供たちだけでなく、プロですら心奪われるものですた。

 1970年のブラジル
 1974年のオランダ
 1982年のブラジル
 1986年のフランス

 あの代表は美しく優雅であったと、今でも讃えられる代表がワールドカップにはありますが、やはり74年のオランダは特別ですよね。

 時計仕掛けのオレンジ
 優勝のドイツより、遥かに印象深い

 と指摘される彼らを見て、サッキはゾーン・プレスを構築し、彼の手腕を参考にゲーゲン・プレッシング、ソルバッケン・ソーンプレスが誕生しました。

 後追いの数が多ければ大きいほど驚愕の声があがるのが、ツイッター数を競う21世紀も変わりませんが、どこか味気ないように感じます。
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決戦は金曜日、ではなく木曜日

2017-08-26 01:25:37 | 日記
 8月31日、この日は2017年の僕にとってある種の「ハイライト」になるでしょう。

 それは日本代表がロシア・ワールドカップに出場できるかいなかの大一番を迎える為であり、サウジアラビア戦も含めて休日申請は受理されていますので、テレビの前で集中し続けます。

 ハリルホジッチ監督は27名を招集したために、4名が落選します。

 それだけ故障者の回復具合、武藤や柴崎の代表復帰組、そして初招集の杉本と

 「選手の体調を横一線で確認する」
 「同時にコンディションが維持でき、勢いを持つ選手を見極める」

 という観点を大切にしたいのでしょう。

 ハリルホジッチ監督は、フランスカップで優勝したPSG時代、コートジボワール代表監督時のいずれも

 「独善的で強権敵」

 と批判されましたが、それは選手の傲慢な態度や教会との軋轢のために、自己弁護の意味合いもあったと思います。

 むしろ日本のように

 「公共の乗り物を含む、全ての人間が時間に敏感である」
 「物事が計画どうりに進むが、無駄な会議も多く自己主張をしない」
 「選手も真面目で集中的だが、おとなしく迫力ににかける」

 と、勝手が異なり物足りなさを感じているのかもしれません。

 極論、仮にオーストラリア戦は現政権の分水嶺であり、敗北は監督の解雇に直結する可能性が残されています。

 プレイオフに回ればそれだけベンチも選手も疲弊し、遠征先で戦うための準備期間が必要になるなど、メリットがまずありません。

 歓喜に沸くかお通夜のようになるか、選手たちは招集を意気に感じながら緊張感を味わっているように思います。
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卑屈になるか、上昇気流に乗るか

2017-08-26 01:13:49 | 日記
 僕は41歳で独身ですが、心の中でいつも

 「僕が男女交際などできるはずがない」
 「結婚などおこがましい」

 と考えています。

 幼少時は本が好きで、わんぱく坊主ややんちゃ坊主など苦手だった僕は、ある日祖母が耐え兼ねて彼らの家に電話して

 「私の孫はあなたの子供たちと遊ぶと、いつも泣いて帰ってくるがどういうことだ!!」

 と凄い剣幕で詰め寄ったことがあるくらいです。

 簡単に言えば、何をどうしても自分に自信が持てないまま、今に至っているようなものです。

 過去、日本代表と対戦するアジア各国も似たような心境だったと思います。

 韓国代表やイラン代表など、日本と真正面から打ち合っても勝機を見出せる国はともかく、その他の国々は

 「我々には日本代表のように、主力が海外でプレイしているわけではない」 
 「アジアカップでの優勝はおろか、ワールドカップに出場することすら難しい」
 「日本は全ての面で我々を凌駕している」

 と怯んでいたように見えます。

 しかし、近年の東南アジア各国は、自国の産業や資本家がプレミア・リーグを軸にオーナーに上り詰める例を生み、自国産業の発展と共に国内リーグの整備に全力を尽くしています。

 こうした資本家の努力が実り、アジア各国の力量が右肩上がりで上昇し、賛否はありますが2022年のワールドカップはカタール開催になりました。

 日本も育成や審判技術について改善の余地がありますが、上昇気流に乗っているときはミスではなく、良いところだけを伸ばそうと皆が躍起となります。

 この勢い、実は実生活でも必要であり、僕もこのような肝っ玉が身につくと良いのですが。
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