塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

選手獲得に見られる「アヤ」

2020-10-28 22:52:35 | 日記
 一昨日はプロ野球のドラフト会議が行われました。

 長野県に縁のある選手が数多く指名された形となり、増加する独立リーグと球団数を考慮すると、プロ野球が本当に16球団でペナントレースを争うことが現実になるかもしれませんね。

 米国ではMLSもドラフトがあり、遠藤翼がトロントから指名された際は、大きな反響がありました。

 しかし、ドラフトというものは、選手からすると「綾」があるものではないでしょうか。

 バスケットボールの話になりますが、シカゴ・ブルズは1998年にマイケル・ジョーダンが引退したのち、再建期に入ります。

 首脳陣はその点を考慮しており、スコッティ・ピペンやデニス・ロドマンという、全米王者に輝く原動力となった選手たちを一斉に手放し、若い選手を先発に指名します。

 当然勝てませんので、ドラフトの指名順位は当然高くなるわけですが、ポイント・ガードとして彼らが指名したジェイ・ウイリアムズと言うs年種がいたのです。

 ブルズ首脳陣は、ウイリアムズが大学を卒業したばかりで、当然つまらないミスをすることを承知の上で、場数を与えようと考えていました。

 しかし彼、何とオートバイ事故を起こしてしまい、以後関係者の記憶から抜け落ちてゆきます。

 ブルズは翌年、同じポイント・ガードとしてカーク・ハインリックという選手を指名し、補強を慣行しますが波に乗るのはデリク・ローズの入団以降となります。

 つまりウイリアムズが自身で事故を起こすことが無ければ、ハインリックはブルズへ入団しなかったでしょうし、ローズもまた違った側面を見せた可能性があると考えます。

 サッカーでもスキーに代表されるウインター・スポーツを契約上できない形にする例があります。

 それはいくら休暇中とはいえ、選手が接触を起こして怪我をしてしまうことを危惧してのことですから、代理人と選手は呑むしかないのが実情ではないでしょうか。
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わかりやすい相関図があれば

2020-10-28 20:44:31 | 日記
 英国人ドライバー、ルイス・ハミルトンがF1の歴史で最多勝利を挙げたと聞きました。

 彼の92勝と言う戦績は、ドイツ出身で「皇帝」と讃えられたフェラーリのエース、ミハエル・シューマッハを凌駕するもので、過去にリーボックと契約していたことを思い出しました。

 僕が小学生時代を過ごした1980年代後半は、週刊ジャンプがフジテレビとのタイアップもあったのでしょうか、カラーページでF1を特集していました。

 特にアイルトン・セナとナイジェル・マンセル、そしてアラン・プロストなど、優秀なドライバーが多数存在した上に、ホンダ・エンジンの素晴らしさが群を抜いていたのです。

 やはり、ファンからすると、明確なライバル関係があると相関図が頭に残りやすいわけですね。

 ブンデスリーガはブレーメンやシャルケ、ドルトムントなどの対抗馬が、バイエルンの対抗馬ではないことが大きく影響しています。

 それはレバークーゼンや2部落ちしているハンブルクもそうですが

 「今季もバイエルンの優勝だろうな」
 「降格しなければ目的遂行だよ」
 「バイエルンに大差で負けないで欲しいよ」

 と、開幕前からファンは白旗を上げているのかもしれません。

 特にシャルケの0-8でバイエルンに敗れるというエピソードは、スコアもともかくかつて在籍していたリロイ・ザネが、もうやりたい放題だった、というおまけすら付いてしまいました。

 グアルディオラはこのドイツ代表の移籍を希望していなかったようですが、ザネからすればブンデスリーガへの復帰は良い兆候と言えます。

 イタリアもそうですが、スリリングなリーグ戦という展開は、もはやお金と選手層で決まってくる形であり、だからこそアタランタの躍進が喝采というわけなのでしょう。
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利便性は謝罪方法にも及ぶのか

2020-10-28 20:33:59 | 日記
 誰だって傷付けた相手に対し、面と向かって頭を下げる、申し訳なかったと謝罪することは、物凄く勇気がいることです。

 でも、最近は相手に対して比例を詫びる、つまり対面式ではなく、自身のツイッター、企業ならばホームページで謝罪することが多くなりました。

 「まあ、ツイッターで謝れば何とかなるだろう」
 「仮に不愉快に思う人物がいても、何とかなるさ」

 この謝罪の利便性が、簡単に不祥事を起こし、起こした方が事の成り行きと背景と見つめる切っ掛けにすることができない、そう感じています。

 サッカーは衆人環視であり、何かあると選手にも審判にもすぐに罵声が飛びます。

 僕は舞台公演を見たことがありませんが、舞台というのはサッカー同様、目前に観客が座っており

 「今日は大入りだな」
 「不評なのだろうか、満員御礼には程遠いな」

 など、その感想がすぐに伝わります。

 しかし、セリフを間違えた、演出とは異なる演技をしてしまった、としても毎日同じ観客が鑑賞しているとは思えません。

 ですから観客は仮に俳優がミスをしたとしても、ミスとは気づかない、その点はサッカーよりも幾分はおおらかなのかもしれませんが。

 サッカーではペレ以降、多くのスターを生み出しましたが、どの名手もマスメディアとファンからの批判から逃れることはできませんでした。

 ロベルト・バッジョのように、存在そのものが議論の対象となる選手もいれば、ルイス・スアレスのように自国ウルグアイ国民から痛烈に愛され、他国のファンから痛烈に嫌がれる。

 そんな存在もいます。

 しかし、選手たちは目前で毅然とした振る舞いが求められ、ツイッターやフェイスブックの力を借りるまえに、自分を信じなければいけません。
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