塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

遂にヤスダを履く選手が登場しました

2020-11-12 21:23:33 | 日記
 クラウド・ファウンディングで再生産を始めたのが「ヤスダ」になります。

 Ⅴ・ファーレン長崎の手倉森監督と契約し、新しい一歩を踏み出していましたが、ここにきて遂にJ1選手がヤスダを履く形になったと、専門サイト「0014のブログ」が報じています。

 愛用選手はFC東京の高萩洋次郎で、モデル名は「イノベーター」というそうです。

 昔ながらの黒のカンガルー革に、ヤスダの代名詞である2本ラインが入るこのスパイクは、単純に

 「重厚でクラシック」
 「往年のヤスダらしさが垣間見える」

 という単純な形ではないように思えます。

 つまり、日本代表でも戦った選手が履いているということは

 1・それだけイノベーターの完成度が素晴らしいということ
 2・革の質、デザイン、履き心地が満足のいく出来栄えである

 という2点が如実に証明されたわけですからね。

 仮に高萩が来年4日のルヴァンカップにおいて、FC東京の優勝に貢献する素晴らしい活躍をしたとしましょう。

 そうすればテレビカメラは必然的に彼の姿を追いますし、往年のサッカー好きは

 「おい、あれヤスダじゃあないか」
 「俺、欲しかったんだよな」

 というノスタルジーの声だけでなく、ヤスダの靴の販路が拡大する可能性もあるのではないでしょうか。

 NBAですと、本戦よりも「スラムダンク・コンテスト」に出場する選手の履くバッシュが注目された時期がありました。

 代表例はといいますと

 1991年 リーボックとディー・ブラウン
 1994年 コンバースとアイザイア・ライダー
 2000年 ビンス・カーターとAND1

 が解くに知られています。

 それだけ靴、スパイクがアップされることは「無料」でプロモーションしているわけですから、ブランドとしても良い話ですkら。
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競技から考える日韓関係

2020-11-12 20:56:11 | 日記
 どうして韓国と日本の関係が米中が注視するかといいますと、政治的側面もあるでしょうが、競技に関していいますとこの両国が東アジアで進歩しているためです。

 大リーグで日本人選手が求められる契機となったのは、1995年の野茂英雄以降となりますが、同時期くしくもLAドジャースには韓国の期待を一身に背負ったパク・チャン・ホが在籍していました。
 
 当時の野球は代表戦と概念がありませんでしたが、今では間違いなく両選手とも代表入りしていた名投手です。

 台湾にはヤンキースでプレイしたチェン・ミン・ワンがいましたが、ことサッカーで語るならば、大国を自負する中国は完全に「蚊帳の外」です。

 (バスケットボールではヤオ・ミンという、まさに巨人がいましたけどね)

 韓国代表の中軸であったボンクン・チャ
 日本がまだアマチュアの真っ只中でブンデスリーガに挑んだ奥寺康彦

 ワールドカップは先にプロ化した韓国代表の方が、より多くの出場回数を持っていますが、海外リーグへの供給国としては、やはり両国がずば抜けています。

 西アジアですとやはりイラン代表の実力が群を抜いていますし、欧州リーグで活躍する選手も90年代後半から増加傾向にあります。

 オーストラリアがアジア枠で戦う2006年ワールドカップ以降、ブリスベンやシドニーなど、彼の地で戦う機会も増えましたし、空気の薄いテヘランで戦うことも困難です。

 しかし、近年戦ってはいませんが

 「蚕室という韓国サッカーの代名詞」

 で戦い、勝利することは現在の日本代表でも難しいと思います。

 日本代表が1997年、あれだけアジア予選で苦しんだのは、当然韓国に1-2で敗れたからですが、敗れた場所が国立競技場だった点も見逃せない事実ではないでしょうか。
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人間、全ての方と波長が合うわけではありませんが

2020-11-12 20:45:39 | 日記
 中国とチベット、ウイグル自治区
 韓国と北朝鮮
 インドとパキスタン

 アジアは紛争、宗教、自治権など世界平和とは程遠い状況に置かれている国があります。

 それはそうでしょうね。

 日本でも隣人同士、同僚同士でこれだけいがみ合うことがあるのですから、宗教的価値観、政治的価値観が色濃ければ、解決の糸口を探すことも困難と言えます。

 日韓関係が冷え込むと指摘される一方、韓国の人気ドラマの放映権を買い取り、放送する形は滞りがありません。

 我が家は視聴できませんが、テレビ東京は韓国で大人気のドラマを放送しているようですね。

 娯楽という形ならば、飲食も含めて抵抗が薄いと言えるためでしょうか。

 僕が部活で卓球に励んでいた時代、韓国代表の選手たちは中国、スウエーデン、ドイツなど、世界の列強と真正面からぶつかっていました。

 特に右腕のキム・テクス、左腕のユー・ナムキュの両選手は日本での知名度も抜群であり、バタフライ社が刊行していた

 「卓球レポート」

 のインタビューや連続写真による技術公開に、快く協力してくださいました。

 1990年代前半はまだまだ両国の折り合いが悪かった時代ですが、両選手や韓国代表の一員であり、広島に移籍してkリーグからJリーグへ移籍の第一号となったノ・ジュンユン選手。

 選手やクラブで両国の交流が関心がある方にはわかる形で始まりましたね。

 それでもノ選手には

 「どうして敵国でプレイするんだ」
 「ワールドカップ予選にキムチを差し入れするとは、考えられない」

 と、韓国の皆さんから相当な批判や圧迫があったようですが、ノ選手の決断がなければミョンボさん以下、韓国代表の方々の来日もなかったと思います。

 僕は全ての人間と対等に付き合えるとは考えてはいません。

 ウマの合わない人間とは距離を置くべきと思います。
 
 それでも最低限の礼儀は必要ではないでしょうか。
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