塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

親だから、という意見の押し付け

2020-11-27 20:06:20 | 日記
 僕が将来を嘱望される、もしくは将来何としてでもプロサッカーの世界で生きていきたいと思う学生であったとします。
 
 その際、契約交渉を促す代理人をどう選ぶか、この点は本当に大きいと思います。

 レオ・メッシとネイマールのように、肉親との距離が異常に近い、もしくは彼らが契約の窓口になる場合がありますが、僕ならば絶対に「絶対」にしない選択ですね。

 皆さんも経験おありですよね。

 「親だから言うだよ」
 「親の言うことはしっかり聞け」
 
 その意見が正鵠を得ているかどうかは、わかりませんし自分が言っていることが見誤っていると思わないのでしょうか。

 僕の両親も僕のやっていることによく口出しをし、その点に弟は毎日のようにいら立っていて食事をしてもすぐに席を離れますし、会話もありません。

 それは意見の押し付けであり、綿密に資料を読む、観察をするという行為あってのものではなく、単純に自分の経験を単なる憶測でしか発言をしていないからです。

 親戚の子が大学受験をした際、アドバイスを求めれましたが、僕はしっかりと

 「20年も前に事だから、現在も通じるかどうかはさだかではないよ」
 「通じると思う面を取り入れて、そうでない箇所は自分で考えてね」

 と言いましたよ。

 だって誰よりも教科書を読み、模擬試験に挑みそわそわしているのは彼本人であり、僕が意見を押し付け、こうやれ!と命じたならば、彼の努力を無視する形になりますからね。

 選手が選手として大成するには、身内よりも適切なエキスパートを招き入れることではないでしょうか。

 肉親が代理人であれば手数料が安いという側面はあるのでしょうが、僕は手数料を払ってでも外部から人材を招くべきと考えます。

 その代表例がロナウドとイブラ、の2選手になります。
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往時のプーマスパイクから、マラドーナを思う

2020-11-27 19:03:48 | 日記
 文芸社から2017年に刊行された、小西博昭著「神に愛された西独製サッカースパイク」

 帯には神について

 「破天荒な天才サッカー千sにゅは、意外にもスパイク選には繊細だった?」
 「80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考」

 と記されています。

 著者がどれだけマラドーナに敬意を払っているか、よくわかる文章ですよね。

 中には往年のスポーツ店の店内や、西ドイツ時代のアディダス、プーマの名作がモノクロではありますが、よくここまで調べることができたものだ、と実感するほど確認できます。

 こられを見ていると、プーマがネイマール、三浦知良に支給したキング・プラチナムはやはり「2020年」のキングであり、往年のファンには受け入れがたい気がします。

 単純に言いまして、クラシックではなく外見が「モダン・クラシック」と言う形ですし。

 プーマ契約選手は、マラドーナの他にペレ、マテウス、クライフにネッツアーなどがいますが、マラドーナほどのマニアを生み出してはいません。

 クライフはその3-4-3やモダンな戦術で、グアルディオラを筆頭に多くの愛弟子を生みました。

 しかし、マラドーナに対しては、マニアと言う言葉よりもむしろ「崇拝」という言葉が適切なほど、多くのファンが虜になりました。

 ペレの方がワールドカップの優勝回数が多いわけですが、不思議とペレ・マニアと言う言葉は聞きませんし、だからこそマラドーナの訃報は全世界を一瞬に駆け巡ったと思います。

 小西さんは専門サイト「キングギア」で、発起人の金子達仁氏と共演していますが、おふたりとも生粋のプーマ・ファンとしても、マラドーナの死は受け入れがたいに違いありません。
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改めて思うマラドーナという傑出した存在

2020-11-27 10:32:19 | 日記
 2010年ワールドカップ、アルゼンチン代表はドイツ代表に0-4で敗北し、大会を去ります。

 就任直後は恐れ多くて意見できなかったマスメディアも、予選終盤に差し掛かると、マラドーナには

 1・交代枠、先発選手の決め方を含めて、戦術という概念がない
 2・選手にかける声が抽象的すぎる
 3・ボリビアで戦う際の、高地対策がなされていない

 と、彼の戦い方に疑問符を投げつけるようになります。

 就任当初、彼は先発の座が唯一保証されているのは、ハビエル・マスチェラーノだけと語り、センター・ミッドフィルダーの彼を起点に構成する旨を語ります。

 彼が麻薬に溺れ、過度な食事や意見で世間を騒がせるなど、人間的に興味深かったことは確かです。

 多分、その魅力を多くの方は「カリスマ」と呼ぶのでしょう。

 しかし、カリスマは人に意見を求めることをしません。

 僕も意見を基本求めませんが、それは根底に

 「誰も僕を助けはしないし、話を聞いてくれない」
 「ならば、どんなに痛い目を見ても自分でやるしかない」

 という、ある種視野が狭いためにすぎません。

 (そもそも勤務先でも学生時代でも、話せる人物がいないという環境でもあるのですが)

 しかし、マラドーナがもし、誰かに戦術面、フィットネス面を補ってもらえるよう頼んでいたら、皆彼に喜んで協力したと思うのです。

 一方のドイツ代表が指揮官と補佐役の形で

 クリンスマンとレーブ
 レーブとフリック

 で、ワールドカップの予選、本選を継承してきた国は、2018年のような事例もありますが、やはり強固になりますよね。

 彼が他界したことで、レオ・メッシの心中に何かが起きるとすれば、やはり2022年という年ではないでしょうか。
 
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ナポリがマラドーナに捧げる無限の愛情

2020-11-27 00:05:57 | 日記
 物は試しと今、ル・コックとプーマ・ジャパンの公式ホームページを閲覧しました。

 今でこそアルゼンチン代表と言えばアディダスですが、マラドーナが世界王者になった際、メキシコの空には誇らしげにル・コックのロゴが輝いていました。

 また、マラドーナはプーマを履いて躍動しましたから、彼の訃報に対し「契約外」の企業でも、何か言及があるのではなかろうか、と考えたにすぎません。

 結果は何もありません。

 僕の考えが誤りであり、むしろル・コックとプーマの処置の方が正しいのでしょう。

 もし彼らが追悼するならば、ナポリ時代のエネーレや他のブランドも追悼文を記す羽目になりますし、契約が切れた選手の事をいつまでも考えてはいられない、それはビジネスの持つ側面ですから。

 彼らもマラドーナと代表が愛用してくれたこと、彼が素晴らしい活躍を見せてくれたことには感謝していると思います。

 それは企業ですから

 製品の高品質を証明してくれたこと
 競合他社よりも経済的恩恵を得られたこと

 の2点に対してですよね。

 ではナポリの愛情は何が異なるかと言うと、ミラノやトリノという北部も工業都市から

 「南部は野蛮で貧しい」
 「出かける際は重々注意しないといけない」

 という偏見や小馬鹿な態度に対し、ナポリは我慢するしかなかった、それをマラドーナは打ち破ってくれた、だからこそそこにあるのは人が人を思う愛情、というわけです。

 マラドーナがナポリで心地よかったのは、彼っもまた故郷アルゼンチンでお金に困っていた、だからこそナポリにシンパシーを感じたのではないでしょうか。

 今のナポリは当時と異なり、資金にゆとりがありますが、だからこそサッリ政権時代にスクデットを得られなかったことが、彼らにとって悔やまれる行為として鮮明なのでしょうね。
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