塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ナポリ、思い切った行動へ

2021-06-27 20:01:05 | 日記
 エアー・ジョーダン好きならばご存じの話ですが、1986年に発売されたエアー・ジョーダン2.

 実はこの作品だけ「イタリア製」で、デザインした人物はジョルジュ・フランシスと判明しています・

 1980年代は米国のバスケットボール市場が右肩上がりで売り上げが急上昇した時期であり、コンバースはケビン・クローリー、そしてナイキもジョーダン・シリーズのデザインを手掛けることとなる

 「ティンカー・ハットフィールド」

 が頭角を現していました。

 ではどうして僕は今、エアー・ジョーダン2とジョルジュ・フランシスの名前を出したかと言いますと、この「ジョルジュ」という名前が、なぜか日本ではあの

 「ジョルジオ・アルマーニ」

 と混同して伝えられ、ジョーダン2はアルマーニが手掛けたという誤報があったためです。

 彼は現在、エンポリオ・アルマーニから、イタリア代表の公式スーツを手掛けており、その美しい仕立て、ドレープは常に評判を呼んできました。

 そしてアルマーニは今季、ナポリのジャージ・デザインを手掛けるというのです。

 専門サイト「QOLY」によれば

 ナポリはこれまで「カッパ」と契約してきた
 しかし契約金の問題が解決せず、新シーズンは自社ブランド名義でジャージを作成
 そのデザインをアルマーニに依頼

 というのです。

 ナポリは常に最高の背広を提供してきましたから、サッカージャージ製造のノウハウを持つ人物がいても不可思議ではありません。

 マラドーナ時代のエネーレから以後、ロット、ディアドラ、カッパにマクロンと多くのブランドと契約してきましたが、さすがに自社ブランド設立は思い切った試みではないでしょうか。

 ただ、アルマーニに謝礼を支払っても、売上は基本自分たちの代物でしょうから、ビジネスとして有意義な側面もあるとは思いますが、実際はどうなるでしょうか。
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最近は供給過多が目立つのでしょうか

2021-06-27 19:45:48 | 日記
 勤務終了後に近所の総合リサイクルストアに立ち寄りました。

 そうしますと昨年の今頃、店頭では完売は相次ぎ、お客の応対に悩まし気に答えいた店員の気苦労が嘘のように、消毒液が日用品売り場で売られていました。

 最近はマスク、殺菌石鹸、アルコール消毒も需要と供給の塩梅が整ってきた、というよりも皮肉なことに

 「完全なる供給過多」
 「昨年とは異なり、値下げしての販売」

 に舵を切る店舗が増えました。

 そう、時間がある程度経過すると市場は成熟し、むしろ商品は簡単に入手できる事例が多くなります。

 ただ、ブランドの限定品やナイキ、プーマの人気スニーカー、人気漫画の限定初版本などはやはり購入しにくいですし、転売で利ザヤを稼ぐ方は増改傾向にあります。

 ただ、待てるのあれば待つしかない、これがコロナウイルスの影響で景気不透明になった現在のありようかもしれません。

 ですからサッカースパイクも、希望小売価格3万円をこえたアディダスのエックス・ゴーストも、最近はおまけ販売する店舗が増えてきたようです。

 プーマのフューチャーやナイキのマーキュリアルのように、有名ブランドの新作は常に注目の的ですが、誰もがその性能をフルに引き出せるとも思えませんから、焦らないことも大事ではないでしょうか。

 ただ、ミズノが定期的に発表している限定1000足の「リビルディング」に関しては、明確に市場流通足が通達されていますから、欲しいかた、使い方は検討するしかありません。

 僕のように片田舎に住むと、都心とは異なり限定品や廃盤品の流通は、もっとおおらかです。

 ジーパンならなリーバイスの「ホワイトオーク」
 1990年代製の米国製コンバース

 を僕は昨年と今年、それぞれ購入しましたが、都心では考えられない、適正価格でした。

 都心には都心の、片田舎には片田舎の良さがある、というわけですよね。
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自我を押し殺すつらさ

2021-06-27 19:25:04 | 日記
 ハンガリーがLGBT問題で揺れているようですが、人間にとって性的「思考」「嗜好」はいずれも心の安寧につながります。

 例えば男性で女装をして街を歩いているその瞬間こそが、自我を開放し最も自分らしくいられると考える方もいますし、女性がハイヒールを拒絶し始めたのも、周囲が身勝手に考える

 「女性らしい服装と歩き方」

 に嫌悪感を抱いているためでしょう。

 僕も勤務中は基本、自我を押し殺してしますから、窮屈な生活にうんざりする気持ちは何となくわかるんです。

 レオ・メッシも同様ではないでしょうか。

 確かに彼はバルセロナを出ていこうとしましたが、それは

 1・下部組織で育った選手が、換金の対象になっている
 2・フロントが進める補強策に納得いかない
 3・勝利も敗北も、全てを自分一人で担っている

 これらの要素がメッシの心に屈託を生ませ、窮屈な思いをさせていると考えます。

 ただ、レオ・メッシがこれらの葛藤を感じているのは、彼が自我を押し殺していない証でもあります。

 故郷アルゼンチンでは当然サッカー、コパ・アメリカやコパ・リベルタドーレスなど、話題は尽きません。

 ただアルゼンチンではラグビーとバスケットボールも盛んですし、中には陸上競技やボクシングに活路を見出す方もいるはずです。

 その数ある競技において、不世出の天才は「サッカー」を選んだからこそ、不世出の天才をたたえられ、名誉をほしいままにしています。

 ですから、逆説的ですがバルセロナでのうっぷんは、サッカーという的を得た競技の選手になったからこそ感じている代物、という見解は可能ではないでしょうか。

 もし今回のコパ・アメリカで優勝すれば、アルゼンチン国内での批判は止み、すがすがしい気持ちでバルセロナに合流できますが。
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