塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ニューバランス、新しいサービスを開始する

2021-06-17 19:45:42 | 日記
 僕は日用品、服飾品含めてインターネットを用いることがありません。

 ですからインターネットで生命保険や車の保険を契約する、電気料金値下げを依頼して日常のコストを下げることができる方を見ると、本当にすごいと思うのです。

 また、最近は自宅で靴を自由に試着出来、気に入れば購入し、脚と服装に合わない靴は返品対応、というサービスも増えてきました。

 確かに、靴を試着するのは大変ですし、店員さんの視線も気になります。

 英国では革靴を新調する際は

 1・靴屋で一日かけて試し履きをして、自分に合う靴を探して購入する
 2・店員もその点を心得ており、当然という形で応対する

 と言います。

 でも日本ではなかなか難しいですよね。

 試し履きを繰り返すと、正直気持ちに不安が生じて

 「何か購入しないといけないな」
 「これだけ試着して店に申し訳ないな」

 と感じてしまいますよね。

 ニューバランスが会員限定とはいえ、スポーツシューズを自宅で試し履きできるサービスを始めると専門サイト「0014のブログ」が伝えています。

 今はコロナの影響で、店舗に出向くことも大変ですから、この機会にニューバランス会員になる、という方も増加するでしょうか。

 ニューバランスはクラシカルな4-4ー2,ラヒーム・スターリング愛用のフェーロンが知られていますが、それ以上に米国製と英国製のスニーカーが人気です。

 ただ、サッカーでもサポートするリールがフランス王者になり、今季からスポンサーになったFC東京は昨年のリーグカップ覇者と、なかなか「ツボ」を抑えた契約と言えます。

 このサービス、ニューバランスだけでなく大手は追随するのではないでしょうか。
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日本代表、アディダスとの契約延長へ

2021-06-17 19:33:51 | 日記
 日本サッカー協会は、2015年から2023年まで8年に及ぶ、アディダス・ジャパンとの現行契約を、金額非公式ですが契約延長で合意しました。

 今年日本サッカー協会は創立100周年を迎え、アディダス・ジャパンもメモリアルジャージを開発し、その歴史に敬意を払いましたね。

 田嶋会長は、アディダス・ジャパンとの深い間柄が20年以上に及ぶことにまず謝意を示し、再契約が今後日本サッカーの100年に大きな影響を与えると述べています。

 アジアサッカーで、ここまで強固なパートナーシップはまずないでしょうし、韓国代表と中国代表はナイキと契約していますから、アディダスとしても日本を手放すわけにはいかない。

 という強い意識もあるのではないでしょうか。

 もう他界されていますが、デトマール・クラマー、岡野俊一郎両氏が出会い、一緒に歩き始めた1960年代から、日本サッカーはアディダスと深い関係にありました。

 当時はナイキがオニツカ・タイガーの代理店「ブルーリボン・スポーツ」でしたし、オニツカとミズノはサッカー日本代表よりも、陸上やマラソンの方に注視していたのかもしれません。

 キリンも日本サッカー黎明期から「ジャパン・カップ」「キリンカップ」「キリン・チャレンジカップ」という形で、支援していただいてきました。

 日本代表はいつからか、ワールドカップの出場は当然、そしてアジアカップ4度の優勝を考慮すれば、アジアカップでの優勝はノルマでる、という地位まで上り詰めました。

 それはファンの声援もそうですが、アディダス、キリンという、両スポンサー(異論、反論もあるでしょうが)の支援に改めて感謝したいと思わせる出来事、と言えますね。

 
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カレカはあの瞬間、心細くなかったのでしょうか

2021-06-17 19:21:57 | 日記
 1986年メキシコ大会が、ワールドカップ初陣だったブラジル代表のカレカ。

 本来ならば1982年スペイン大会に出場するはずでしたが、直前に負った故障のためエントリーとはならず、識者は彼がいればセレソンは優勝していたと語るほど、カレカの穴は大きかったのです。

 そしてメキシコ・ワールドカップ、6得点を得て得点王に輝くギャリー・リネカーに次いで5得点と、カレカはストライカーとしての責務を果たします。

 そのリネカーがグランパスエイト、カレカが柏レイソル、そして90年イタリア大会でカレカと2トップを組んだミューレルも柏レイソルに在籍するなど、開幕当初のJリーグはやはり勢いが違いましたね。

 さて、そのカレカですが初陣に挑む際、心細くはなかったでしょうか。

 僕の考える「心細さ」は、セレソンが1970年以降、優勝から遠ざかっていること、いつの時代もセレソンのストライカーが背負う責務は、尋常ではない重圧、という面でもありません。

 このワールドカップでカレカはただひとり

 「ランバードラインのモレリアを履く」
 「自分の活躍が今後のミズノを占う」

 という点を背負っていたためです。

 周囲をみれば3本線(アディダス)フォーム・ストライプ(プーマ)、例外的に2本線(パトリック)が垣間見えるくらいで、明らかにランバードラインは異質でした。

 しかもアディダスもプーマも、欧州生産で極上の皮革を採用し、特に後者はマラドーナを全力でサポートしていましたからね。

 ただひとり、日本製の全く性格の異なるスパイクを履くことは、カレカにとってどこか(その品質は素晴らしいと感じているのは自分のみ)心細い気持ちにならなかったでしょうか。

 今でもコンケーブやアドラーなど、目立たないブランドもありますが、ネットで商品情報は簡単に確認できます。

 その点を思うと、カレカと契約し最高の活躍を見せた彼に、今でもミズノは感謝しているに違いありません。
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