塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

契約選手の引退でセールスが落ち込んだならば

2022-09-15 21:13:19 | 日記
 エアー・ジョーダンの最新作「ジョーダン36」

 デザインはフォードの代表車「マスタング」を参考にしたそうですね。

 マスタングはスティーブ・マックイーンが映画「ブリット」で操縦したことでも知られ、2005年に最新のマスタングが登場した際は

 「それに乗れば彼はやってくる」

 というナレーションとともに、ブリットのマスタングと最新鋭のマスタングが被さるような形でテレビ・コマーシャルが作成され、全米中で大反響だったと聞きました。

 そのエアー・ジョーダンも1993年に主が引退を表明すると、さすがに売れ行きが下落します。

 エアー・ジョーダン9 トレッキング・ブーツのような外見 アウトソールに「世界スポーツ」という日本語が存在
 エアー・ジョーダン10 靴底にはマイケル・ジョーダンの歩みが刻まれる

 というように、ナイキは創意工夫を凝らしましたし、特にジョーダン9は殺害された父、ジェームズ・ジョーダンの夢、息子が大リーグで活躍する姿を見たい、ということを胸に刻みマイナーリーグで戦うジョーダンに「野球スパイク」として提供されました。

 つまり話題はありました。

 ただ「実績」がなく、ジョーダンがマイナーの契約を破棄し、再度シカゴ・ブルズと契約したことで売り上げは一気に回復します。

 メッシ引退後のアディダス
 ロナウド引退後のナイキ

 も売り上げや広告塔に関して、一時期の落ち込みは致し方ないと思うでしょう。

 だからこそナイキもアディダスもアーリン・ハーランドやキリアン・エムバッペなど、新しい世代を常に注視しているわけで、プーマはその広告にネイマールを起用している形ですね。

 ただ彼らは資金面でずば抜けていますから、中小のブランドは自分たちン価値観で選手を迎え入れるしか方法がないわけですが。
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4年ごとの不躾な乱痴気騒ぎの予感が漂う

2022-09-15 20:59:40 | 日記
 不躾を承知で言いますが、野球はインターナショナルな競技ではないと思います。

 例えばレオ・メッシとロナウド、そしてルカ・モドリッチの名前は、日本が「勝手に」辺境と考えるであろう、パタゴニアやグリーンランド、そしてアジア、オセアニア、アフリカと各大陸で誰もが知る存在です。

 では彼らが野球、その最高峰である大リーグにすら関心を抱き、オールスター・クラスの選手を知るかと言え場そんなことはないと思うのです。

 僕が勝手に考える世界基準、言い換えればどこでも使える常識はわずかに二つ

 1・英語がわかること
 2・アソシエーション・フットボール、つまりサッカーとワールドカップについて見解があること

 しかないとすら考えています。

 2007年、中村俊輔がスコットランドでリーグMVPに輝いた際、僕らサッカー好きは心から拍手を送りましたよね。

 その一方で各報道番組や司会者、キャスターがこの事例に触れることはそう多くなかった気がします。

 むしろこのシーズンはアジア杯の開催年であり、日本代表はイビチャ・オシムが采配を振るった最初で最後のビッグ・トーナメントとなってしまいますが、アジア各国の記者は日本の記者を見ると、すぐさま駆け寄り

 「スコットランドでMVPに輝いた中村は僕たちにとってもかけがえのない存在だよ」
 「心から祝福する、おめでとう」

 と語ったといいますよ。

 自国のマスメディアが中村の1年間を見過ごし健闘と称えない一方で、アジア各国の記者の方が熱心に敬意を払う事実。

 この矛盾さをどう考えるべきか、今改めて思い出したところです。

 ワールドカップの直近になると、JリーグにもWEリーグにも代表にも関心のない司会者たちが、勝手に取り上げお祭り騒ぎになり、終わったらそのまま引いてゆくだけの現状、日本代表がワールドカップに出場することで、この阿呆な乱痴気騒ぎをワイドショーと司会者たちは無作法な形で撮り続ける。

 嫌な気分ですね。
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スターは陰陽の存在ではないか

2022-09-15 20:47:28 | 日記
 いつの時代もハリウッドの主演俳優たちは絶大な人気を誇ります。

 特に映画こそが最大の娯楽だった時代は、ジーン・ケリー、フレッド・アステアの踊りはミュージカルの枠を超えファンを魅了し、クラーク・ゲーブルやフランク・シナトラの演技は、性別問わず熱狂的に支持されました。

 ただ、スターというのは陰、つまり「陰陽」を知ってこその存在ではないでしょうか。

 日本サッカーにおいて三浦知良がいつの時代でも熱いファンがいる背景には

 1・ワールドカップの出場経験なし
 2・ジェノアに移籍するも奪った得点はわずかに1得点
 3・京都パープルサンガ(当時のクラブ名)では0円提示をうける

 というように、多くの苦難を得てきたため、つまり良いときも悪い時もしっていること、これが一番ではないでしょうか。

 マイケル・ジョーダンも実はそうですよね。

 1996年のNBAファイナルはジョーダンが在籍するシカゴ・ブルズとシアトル・スーパーソニックスで行われました。

 シアトル・スーパーソニックスは移転し、現在はオクラホマシティ・サンダーに変貌しましたが、この1996年はふたりのオールスター、ゲイリー・ペイトンとショーン・ケンプが存在、優勝の期待が高まりました。

 優勝はブルズであり彼らはここから3連覇を達成しますが、印象的なのはこの1996年の優勝の瞬間、ジョーダンはボールを奪い抱きしめ、そのまま泣きながら崩れ去ったことです。

 この優勝の日は父の日であり、1993年少年強盗に父のジェームズ・ジョーダンを殺されていたジョーダンからすれば、哀悼の意を示す形になったのです。

 ジョーダンはいつも素人であることを承知しながら父に助言を求めており、それは「ピクシー」が名古屋グランパスエイトの指揮官時代、常にイビチャ・オシムに教えを請うでいたのと同じでした。

 それだけスターという存在は、痛みを知り尽くしている気がするのですね。
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