2006年に他界された、服飾評論家の落合正勝氏
服飾の泰斗として数多くの著作を執筆したわけですが、先生は
「例えばゼロ・ハリバートンの鞄は、スーツに合わない。天然素材とそうでないものの相性が悪いからだ」
「美しさと機能は両立しない」
とおっしゃっていたと思いますが、同時に韓日ワールドカップにおけるフィリップ・トルシエの背広姿は強く印象に残ったようです。
先生がご存命ならば、現在の背広や服飾文化、つまり
イージーケアという手軽に扱える素材
背広でもトラウザーをイージーパンツのようにゴムで調節する形
革靴ではなくスニーカーやレザースニーカーを背広に合わせる
形をどう考え、どうあるべきかを考慮し、執筆なさったとおもうのですがね。
そのような羅針盤のような存在が、現在の日本には欠けているのではないでしょうか。
例えばサッカーでは
セサ・ルイス・メノッティ アルゼンチン代表指揮官として1978年ワールドカップ優勝
ヨハン・クライフ 1974年伝説のオランダ代表の中軸
が卓越した見識と愛情で、選手だけでなく指揮官や試合内容、戦術に至るまで提言をし、脳道な議論を繰り返していました。
2016年にクライフが他界し、メノッティも高齢ですからマスメディアの前に登場する機会は減少するでしょう。
今サッカーの世界でも羅針盤となる存在が求められているのではないでしょうか。