塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

復刻版はお茶を濁すだけだろうか

2022-12-27 19:40:57 | 日記

 フィラは米国市場において、過去の契約選手であるグラント・ヒル、ジェリー・スタックハウスに提供したバッシュを、復刻して販売しています。

 

 デザインは踏襲していますが、色彩や素材は今日的であると同時に、復刻版を発売出来ているということは両選手と契約中なのでしょうね。

 

 ただ、往年のフィラファンからすれば、復刻版を続々と販売することはある意味で「お茶を濁している」、昔のように現役選手と契約して新作を提供してほしいと思うのではないでしょうか。

 

 スパイクであれば数年前、ファッシノを発売した1998年当時そのままで復刻しましたよね。

 

 オリジナルのファッシノはイタリア製であり、素材に「ケブラー」を採用していることが大きな特徴でした。

 

 ただ僕らからすれば

 

 ファッシノは中田英寿が愛用

 黒に黄色のラインが印象的

 フィラ・イタリア(本国)が初めて契約した日本人

 

 ということの方が印象的であり、あまり知られてはいませんがファッシノは後継モデルであるファッシノ2もあります。

 

 しかし中田英寿が2000年、ペルージャからASローマに移籍直後からナイキを履き始め、日本市場でもフィラの影響力は急速に減速してゆきます。

 

 三都主アレサンドロはアディダスとアシックスの印象が強い選手でしたが、実は1999年ローグ最優秀選手の際はフィラを履いていましたね。

 

 仮にフィラが再度、スパイクとバッシュを企画、販売すれば興味がある反面、やはり無謀でしょうか。

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アルチュール・ランボーが残した言葉

2022-12-27 19:19:27 | 日記

 フランス生まれの詩人アルチュール・ランボー。

 

 彼は詩人は「火の盗人」と表現し、創作者、クリエイターも同様であるという認識を、イブ・サンローランの恋人、ピエール・ベルジュは語っています。

 

 (参考資料 中央公論 イブ・サンローランへの手紙)

 

 ですからルカ・モドリッチのように、37歳となっても広い視野を持ち、体力的な衰えがなく、美しいパス一本で戦況を打開できる選手は、今ランボーが生きていれば、大きな拍手で健闘をたたえたでしょうね。

 

 もし仮に「火」を優勝、もしくはトロフィー、金メダルに置き換えたならば、サッカーに限らず競技の王者は全員「火の盗人」とみなされるでしょうか。

 

 サッカーの場合、そこが難しいですよね。

 

 1974年ワールドカップ、優勝したのは西ドイツ代表であり、パウル・ブライトナーにゲルト・ミュラー、そしてフランツ・ベッケンバウアーはその重責を最後まで担い続けます。

 

 しかし一番賞賛され、多くの敬意を集めたのは敵であるオランダ代表の面子であり、とくにヨハン・クライフでした。

 

 つまり「優勝」しなくとも、美しく優雅で誰もが見とれてしまう動作そのものが、ランボーのいう「火」である可能性もあるわけです。

 

 ドイツ代表は1974年から2000年の欧州選手権まで常に3-5-2のリベロを維持しましたが、むしろ過去の成功対戦が硬直させてしまったならば、罪なことと言えますが。

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かつてJリーグが年金リーグと呼ばれたころ

2022-12-27 19:11:12 | 日記

 1992年、名古屋グランパスエイトはイングランド代表のギャリー・リネカーの獲得を発表し、1994年ジュビロ磐田にはイタリア代表のサルバトーレ・スキラッチが加入します。

 

 当時は僕を含めてワールドカップ得点王の来日に大興奮でしたが、欧州メディアは

 

 日本で年金をもらうだけの生活だ

 日本のレベルを考えたら、活躍できて当然

 

 という冷ややかな形でした。

 

 ただリネカーの場合は息子さんが病気でして、その治療費や医療施設を考慮した際に、古巣であるスパーズよりも名古屋へ移籍したほうが良い、という判断があったこともありますよ。

 

 1994年開幕の米国MLSもそうですが、当時の新興リーグに移籍することは、都落ちだとかロートルと言われることを外国籍選手は受け止めなくてはなりませんでした。

 

 確かに1996年、清水エスパルスに在籍するイタリア代表のダニエレ・マッサーロ。1998年横浜フリューゲルスと契約するポルトガル代表のパウロ・フットレ。

 

 彼らは来日時、往年の輝きはなかったかもしれませんが、来日する、アジアでの環境は未知数、それでも移籍を決断したことはすごい事ですよね。

 

 今では日本に移籍することを、頭から否定する事はなくなりつつありますが、それでもUEFAチャンピオンズ・リーグを軸に欧州リーグはアジアにはない競争力を持ちます。

 

 ですからAFCがチャンピオンズ・リーグをより高める改革案を提示したことは、ある意味決意の表れですし、日本もアジャストする必要がありますが。

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かつて円が強かった時代

2022-12-27 19:02:39 | 日記

 人民元が世界で4番目に影響力ある通貨とみなされています。

 

 そして3大通貨と言えば、米ドルとユーロ、そして円になるわけですが近年、円の価値は急速に減退しています。

 

 1995年でしたか、当時の横浜フリューゲルスが、ブラジルの老舗パルメイラスからジーニョとエバイール、そしてセザール・サンパイオという、ブラジル代表3選手を同時に獲得し、騒然となります。

 

 サンパイオはワールドカップ宇98にエントリーし、サンフレッチェ広島にも在籍するなど日本の環境を気にいり、エバイールはワールドカップ94は選出外でしたが、実力者でした。

 

 そしてジーニョはワールドカップ94で優勝し、しかもパリ・サンジェルマンに移籍して以降、疲れが癒えない背番号10,ライーの不在を補う大活躍でした。

 

 彼ら3選手を同時獲得できるだけの資金が、当時のJクラブにはあり、欧州もうらやむほどの高額報酬を提示していました。

 

 ヴェルディはブラジル代表指揮官のマリオ・ザガロも賞賛したブラジル代表ドニゼッチを獲得しましたし、名古屋グランパスエイトは本人の希望でもありましたが、ピクシーへの報酬を支払い続けます。

 

 それも今は昔となりましたが、大リーグやNBAのように基本米国国内で完結しているリーグが、新型コロナウイルスの影響を乗り越えたこと、収益を上げていること。

 

 を思うと、ダ・ゾーンからの分配金や優勝ボーナスに頼らない収入増がまだあるのではないか、と思うのですが実際はどうなのでしょうか。

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