塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

秩序か解放か、難しい問題です

2024-02-10 21:47:54 | 日記

 日本社会は基本「規制」することで、秩序を保ってきました。

 

 過去でいうならば、赤線と青線の撤廃がそうですし、海外ではさほど問題にならないとされる、大麻があたります。

 

 一方で欧州は「規制」ではなく「解放」で秩序を得ようとしているのではないでしょうか。

 

 例えばドイツ。

 

 ポルシェやアウディに代表される自動車産業

 ペリカンやラミー、モンブランに代表される文房具

 ゾーリンゲンに代表される刃物

 

 そしてドイツ代表とブンデスリーガ、ベッケンバウアーを代表する巨人たちは、世界中から認知されていますよね。

 

 ただ、ドイツではベル人を軸に毎年必ず「ヴィーナス」という名前だったと思いますが、セックス産業も見本市があるんです。

 

 その会場では

 

 来場した女優たちは全裸からそれに近い服装

 サインや写真撮影も問題なし

 極論女優と来場者がその場でセックスをしても、周囲はまったくとがめない

 

 という、日本では到底考えられない世界だと聞きました。

 

 2006年のワールドカップでも、実行委員会は商売目的で集まってきた女囚たちを排除せず、

 

 指定された場所を委員会自らが作成

 そこで客をとってセックスすることを承認

 むしろ街中で乱痴気行為が起きることよりもはるかに健全

 

 という形で彼女たちを受けれいたはずですよ。

 

 日本は秩序があると、Jリーグに移籍してきた諸外国の選手たちも言いますが、案外その概念は曲がり角なのでしょうか。

 

 何かを得るには「解放」することも必要な時代かもしれませんね。

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黒人はすべてが貧しいわけではあないですよね

2024-02-10 21:36:04 | 日記

 1980年代、ニューヨークで誕生したラップ・ミュージック。

 

 老舗レーベル「デフ・ジャム」はその創世記、ランDMCにLLクールJなど、人気歌手と契約し躍進します。

 

 その中でも周囲の度気味を抜いたのが「パブリック・エネミー」です。

 

 黒人は常に白人から侮辱されている

 既得権を手放すことのない、金持ちへの批判

 

 を、激しいビートとスクラッチで表現し、一躍スターダムとなります。

 

 僕は最近、彼等の3作目「黒人惑星の恐怖(僕の意訳ですが)を中古で購入し、改めてとんでもない集団だったことに気づきます。

 

 ただ、時代は流れ必ずシミ白人は常に高収入というわけではなくなります。

 

 ミスター・トランプが大統領の時代、彼を熱心に支持した共和党の男性は

 

 いわゆる「ダッドシューズ」を履くような、ごく一般の男性

 ただ、デトロイトやピッツバーグなど、鉄工や自動車産業などある意味で「社用」の職業

 いつ解雇されても府不思議でない存在

 

 でしたよね。

 

 彼らは再度、偉大な合衆国をうむ出してくれる存在を渇望し、そこにトランプが登場し他形です。

 

 ちなみに高収入からかもしれませんが、カニエ・ウエストは彼を信頼しているといいますしね。

 

 サッカーも同様で、黎明期から現在までその根底は

 

 貧しい白人の娯楽として誕生

 イングランドでは過去、テラスと呼ばれる格安の立見席があった

 しかし、今はどの座席も桁違いに高い

 

 というように、生観戦は難しいご時世です。

 

 間違ってはならないのは、ジャズの王者マイルス・デイビスは裕福だったということ、つまり黒人もお金に困ることのない暮らしで出世した人間がいることです。

 

 サッカーとラグビーは貧富によって支えてきたファンが異なりますが、案外今はその線引きもあいまいÐスよ。

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翻訳の仕事をサッカー監督

2024-02-10 21:27:56 | 日記

 河出文庫から刊行の「オン・ザ・ロード」は、作家のジャック・ケルアックを世に出した作品です。

 

 僕は過去、古い役の方で読み始めたのですが、途中で投げ出してしまいました。

 

 今日購入した「オン・ザ・ロード」は、青山南による現代風の翻訳のようですから、以前のような形にはらないことを期待しますが。

 

 翻訳と海外文学というのは、サッカーにおける世紀間と選手と同じでしょう。

 

 つまり、指揮官、翻訳家が選手、題材をどう扱うかで、読みやすさと試合展開は大きく変化します。

 

 よく知られているのが、明天艇フィリップ・マーロウですね。

 

 基本このシリーズは(レイモンド・チャンドラーの作品)早川書房が刊行していますが、村上春樹の翻訳と清水俊二の翻訳に分類できます。

 

 例えば「ロング・グxドバイ」の翻訳はあれほど価格と、本自体の厚みが異なるのは

 

 村上春樹は原作を全部訳している

 一方で清水俊二作品は抜粋、つまり端折ることで物語の展開を速め、価格も抑えている

 

 かたちになります。

 

 ですからあれだけの形で違いがあるんですよ。

 

 サッカーでも指揮官の戦術は大きく変化しますし

 

 カウンターを好む指揮官

 ボール・ポゼッションを好む指揮官

 バック3とバック4を使い分け

 

 など特徴がありますよ。

 

 それらの特性を見抜きながらの観戦は、サッカー観戦と読書の両方で変化はない気がします。

 

 まもなくJリーグも始まりますしね。

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