塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

フィラがサッカー市場で活躍していたころ

2011-05-14 02:05:43 | 日記
 90年代後期から2000年代前半、

 「フィラ」

 のジャージとスパイクが市場を席巻した時がありました。

 しかし2011年の今、フィラのサッカー関係の商品は新品はおろか、中古品ですら
見かけることはありません。

 あれほど急激にサッカー市場を開拓していたフィラは、どうして市場から締め出される
結果になったのでしょうか。

 日本でフィラとサッカーと言えば

 「中田英寿」

 を抜きに語れません。

 彼が着用したスパイク「ファッシノ」は、アッパーに「ケブラー」を用いた非常に
画期的な商品で、他には三都主アレサンドロ(当時はアレックス)北嶋秀朗も、フィラ
の愛用者でした。

 世界規模で顧みると、フィオレンティーナとウエスト・ハムの公式スポンサーとして
ジャージを提供し、個人契約では

 「ファン・ヴェロン」
 「ジャンルイジ・ブッフォン」
 「ウラジミール・ユーゴビッチ」

 など、名だたる名手たちが契約選手として広告に起用されていました。

 僕が

 「おかしいな?」

 と感じたのは、中田がローマに移籍して間もない頃です。

 彼の姿をテレビで見ていたら、フィラではなく「ナイキ」のスパイクを履いていたんです。

 確かに彼は1997年当時ナイキのスパイクを履いていましたが、フィラとは5年の契約
を結んでいると聞いたので、おかしな話だと思ったのですが、その頃を境にフィラの勢いは
完全に途絶え、市場から消えてしまいました。

 僕はフィラがアメリカ、特にNBAで思うように結果が残せなかった事が、サッカー分野
に大きくのしかかったのだと思います。

 NBAでフィラの第一人者であったグラント・ヒルが、故障で思うように試合に出られず、
彼もフィラも当時苦戦していたんです。

 他の契約選手はヒルほどの実績も知名度もなかったので、フィラは最終的にヒルと袂を分か
ちます。

 中田の場合はナイキが、「アジア、日本市場」を見据えてフィラを上回る契約を提示したの
かもしれませんが、その中田にしても今はアディダスの支援を受けていますから、これだけで

 「時代の流れ」

 を感じます。
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