いつか風がみていた・・・(フレディ・Mの日記)

自転車とオートバイで遠くへ・・・。

実は無いんです・・・。

2013年04月04日 12時04分13秒 | マラソン

じゃ~ん!!



昨日我が家に届いた「第1回加賀温泉郷マラソン」のゼッケン引換券のナンバーが
1234となっていたことに、ついついニヤニヤしてしまったワタクシでございます・・・






先月の「金沢ロードレース」のハーフを走り終えた後、
先にゴールしていたY内氏との会話で、
金沢シティフルマラソンが2015年から開催されることを知り、
福井もほとんどの各市町村にマラソン大会があって、
マラソンの盛んな県なんですヨと自慢したが、



・・・はて?

フルマラソンの大会は無いんですよネ?



確か過去には九頭竜川でフルマラソンの大会があったと記憶しているが、
まさかその時に自分がまたフルマラソンを走るとは思ってもいなかったので、
いったいどんな大会だったのか?いつ無くなったのか?
さっぱり記憶にゴザイマセン・・・




先の「金沢シティフルマラソン」が開催されれば、
石川県には3つもフルマラソン大会が存在することになる

3月:和倉万葉の里マラソン
4月:加賀温泉郷マラソン



富山県にも「とやま清流マラソン」というフルマラソン大会がありましたよ

・・・でも、福井県には無い・・・





永平寺町や和泉村とか一部の市町村を除いて、
そのほとんどの町にマラソン大会があるのに、
どうしてフルマラソン大会が無いんだろうなぁ~??





街中でやってくれたらきっとイイ経済効果があると思うのは私だけでしょうか??

静かな時の流れ・・・。

2013年04月02日 06時00分00秒 | 日記
桜がそろそろ咲き誇る頃、
文殊山や足羽山ではその陰に隠れてひっそりと、
しかし賑やかに群生している花に「カタクリ」があります




福井市&カタクリで検索していたら、
「瑞源寺」というお寺の名前が出てきた
秋口に萩の花で有名なお寺なのだそうですが、
この春先、カタクリの花も咲き誇る花のお寺なのだとか・・・





・・・で、







朝の早い時間にどんなお寺なのかちょっと行ってみた~


場所は足羽山の麓






なんとも風情のある建物




「瑞源寺」
元々は泰澄大師によって鯖江市吉江の地に創建された御寺ですが、
時の流れのうちに廃寺に・・・。
延宝元年(1673)、吉江藩2万5千石の藩主であった松平吉品(よしのり)が、
自分の母である高照院を弔う御寺として再建。
延宝2年(1674)、吉品が福井藩5代藩主を相続する際に、
瑞源寺も福井市足羽へと移転。
のちに天保元年(1830)、福井城本丸から「本丸御小座敷」を移築。
万延元年(1860)、「大奥御座の間」を移築して書院とする。
数少ない福井市の江戸時代の建造物で、
正真正銘、唯一の福井城の遺構である。
永平寺・大安禅寺と並ぶ歴代松平家の廟所(びょうしょ)がある御寺でもある。



ちなみに、吉品が吉江藩時代に抱えていた家臣の中には、
あの近松門左衛門の父も居たと言う。





そしてその瑞源寺の裏手にある山の斜面で・・・、











ありました
カタクリの花


たくさん群生していると言う訳ではありませんが、
ひっそりとしかし可憐に咲き誇っていました




陰ながら福井の時の流れを見てきたかのようで・・・

花の福井市~芭蕉城下二日考察~アヤシイ飲み会♪

2013年04月01日 06時00分00秒 | 日記
3月30日(土曜日)



以前から申し込んであった講演会に向かうべく、
久々折り畳みチャリ・スニフ君で福井市内へと、
春の花咲く晴天ののんびりポタリングを楽しんできたワタクシでゴザイマス・・・




高速道路沿いにゆるゆると南下する

のり面にはヤマブキが綺麗~




講演会を前に歴史に思いをはせるべく九十九橋まで行く

近くでは満開に近い桜も



せっかく市内に来たのだから、街中の昔懐かしレストランでお昼ご飯
入口にハープの飾ってある創業40年のイタリアン食堂で

あ!ハープの製造会社は世界に3社しかないって知ってます~?
そのうちの1社が福井にあるのだ~


食事は学生の頃何度か食べた懐かし味でした~




講義が始まるまでまだ時間もあるので、中央公園へと

紅梅がたくさん満開で素敵でした~



・・・で、その近くでは、









佐佳枝廼社(さかえのやしろ)さんです~

福井藩主、結城秀康・松平春嶽を主祭神として祭っている神社

シダレザクラが見事でした~









お昼2時、アオッサの6階へと


この日、こちらの桜木図書館主催による
「芭蕉が福井城下で過ごした二日間・おくの細道の福井の条を考える」という講義に

福井大学・教育地域科学部教授の三好修一郎氏による講演会


授業を受けるということなど久しかったのですが、
とても興味深い楽しい1時間半でした~


松尾芭蕉が福井を通る際に、どういったルートで本当に奥の細道の記載に間違いや矛盾がないか?
また、福井で芭蕉が出会った人物とは一体どんな人なのか?
いろんな文献をいくつも照らし合わせると、
芭蕉の「奥の細道」は、興味を引くようにフィクションの部分が多かったなど、
今まで知らなかったことが学べるということが大変嬉しかったデス


中でもおもしろかったのは、弟子で同行していた河合曽良はペンネームで、
その名付け方の理由とか

曽良の出身地はナガシマスパーランドやなばなの里がある長島で、
そこは木曽川と長良川が合流する場所

「河川が出合う、木曽川と長良川」→「河が合う、曽と良」→「河合曽良」

なるほど~


その河合曽良は芭蕉との道中で、「曽良旅日記」というのを書き残している
これは非常に興味深い記述で、
芭蕉が書いたとされる「奥の細道」の記載と食い違う箇所が多々あるという
つまり芭蕉は物語を面白くするためにフィクションの部分が多くあったのではないか?
曽良の記載が真実ではないか?といった仮説が有力なのではということである。
しかし、河合曽良は山中温泉で体調を崩し(お腹を壊した)、
一人先に自分の故郷に先だってしまったので、
これより先の芭蕉の記述がその虚実の程がわからない・・・


したがって、福井での行動にはいろんな矛盾や謎が多いということで、
単に松尾芭蕉が福井も通りましたよということではないということに、
純粋に面白いと感じました


福井市民には広く知られている事の一つに、
芭蕉が今の福井市左内町にある洞哉(とうさい)という世捨て人の家に2泊したという出来事も、
当時の福井城下の地図と照らし合わせても、
そのあたりには家が無く、一面原野だったとか


ただ、真に残っている部分もあり、福井市の月見地区の名の由来は、
芭蕉が読んだ句「月見せよ玉江の芦を刈らぬ先」から来ているとも


う~ん 歴史って奥が深いなぁ~





・・・で、そののちの夕刻










マラソン仲間のFuomi女史からの御誘いで、
市内某所にて・・・

hiroさん・おーちゃん・サムライダーさん・Оさん・Fuomiさん・私の6人で


サムライダーさんの勤務地が変わるということでの飲み会でした~

(左側おーちゃん・右側泥酔サムライダーさん)




私のシューズのにほいを嗅ぎなさ~い!おほほほほ~
っと、無茶を言うFuomi女史・・・
あああ、やっぱりヘム・・・


帰り際にはおーちゃんからキワドイ下着のプレゼントを受け取り、
感極まったサムライダーさんが・・・




酒飲んでこういったバカができるヒトって大好きです
久しぶりに楽しい飲み会でしたとさ