いつか風がみていた・・・(フレディ・Mの日記)

自転車とオートバイで遠くへ・・・。

冬のユルジョグ・・・福井歴史探訪物語♪

2013年02月27日 07時45分00秒 | マラソン
2月24日(日曜日)




2月に入ってからあまり長い距離のランニングが出来ていないのと、
2週間後の和倉万葉の里フルマラソンに向けてのトレーニングも兼ねて、
福井の幕末著名人探訪をしてみたくなり、
小雪舞う中いそいそとジョギングの準備をしてみた日曜日の朝でゴザイマシタ・・・


朝8時30分、自宅スタート



あ!写真多いです~





ざくざくとうっすら積もった雪を静かに踏みしめて、
ゆっくりと走り出す~


今日のカメラはニコンAW-100
冬用のサイクルグローブをはめたままでも操作がしやすい


国道8号線・福井大橋で福井市に突入!!



街中くねくね走っていたら、偶然にも眼鏡業界自転車部のS君に遭遇
お互い、今年に入って自転車ちっとも乗って無いことに苦笑い~
春にまたご一緒しましょうネ


福井市北部まで来たところでいきなりの暴風雪にあわてて補給所に退避~

「ア・ヴォロンティ」

今日の一つ目~

朝の焼きたてホカホカは美味し!

吹雪を避けながら2つ目~




足羽川の花月橋から九十九橋に向かう歩道にて


福井の昔の風景の説明プレートがいくつもかかっております


・・・と、その向かい側のプール前に、小さな案内石標が

へぇ~ 子供の頃、夏の遊び場といえば三秀プールでしたが、
ここがかつて御家老様の庭園だったとはねぇ~



足羽川・北国街道唯一の橋だった九十九橋~


この橋の北側にて、いろんな史跡を発見



おや?どうやら現役のようです 
しっかりスノータイヤ履いてますヨ






・・・で、今日の最大のお目当ては









じゃ~ん!!

「莨屋旅館跡」(たばこやりょかんあと)

1867年、土佐藩藩士・坂本竜馬は福井藩を2度訪れているが、
その2回目の時に由利公正(ゆりこうせい)に謁見し、由利の新政府への参加を求め、
明け方まで長い間この旅館で語り明かしたという

このことがきっかけとなり中央に出て、公正はのちに東京府知事(今の東京都知事)に就任している


残念ながら相当由緒ある旅館だったそうですが、
明治時代の大火事で焼失してしまいました・・・

う~ん 福井市に坂本竜馬ゆかりの地があったのですね~




その近くにある、北国街道の「呉服町商店街」
当時は京都のファッションがいち早く見ることができた、
おしゃれストリートだったのですね~






再び九十九橋を渡って、久保町交差点にある「橘曙覧生誕の地」

橘曙覧(たちばなのあけみ)
福井藩にゆかりのある歌人です





その近くにあった建具屋さんで・・・




そこ、日当たり良くって暖かそうだね~





桜橋南詰、橋本左内の墓碑がある「左内公園」



松尾芭蕉が「奥の細道」の道中で宿泊したとされる地です~
左内先生の銅像の後ろにありました



桜橋の東、幸橋北詰にあるグリフィス・日下部太郎の銅像

福井藩から初のアメリカ留学生となる日下部。
ラトガーズ大学時代、2歳年上で親交が深かったウィリアム・グリフィス。
2人の縁で後にグリフィスは福井藩初の外国人講師として藩校に招かれる。



この像の後ろ、民家の一角に横井小楠(よこい しょうなん)の寄留宅跡の石碑も




大名町交差点を越えて・・・



先程の日下部太郎、また由利公正などを輩出した「明新館跡地」

放送会館ビルの東側にひっそりとありました
明進館の前身の明道館は、福井藩主・松平春嶽が開校した藩の学校で、
橋本左内が学監心得を務めていた。
その後、この地に場所を移して明新館と改称。明新館時代には先のグリフィスも理科講師を務めている。

明新館は後に旧制福井中学校、現在の福井県立藤島高等学校へとつながる。




そこから北側にある福井中央公園へとことこ走る~

由利公正の銅像



素敵ブリッジを眺めて、福井城跡のお堀へ・・・

御廊下橋、城主のみが入退城する際に使用した橋


今日はこの橋を渡って城内に




あ!中は県庁です!



初代藩主:結城秀康の像




でーんと県庁


外に出て、お堀沿いにある由利公正像と横井小楠像
横井小楠の熊本一時帰国に同行して旅立つ由利公正の様子です




由利公正の生家跡が幸橋たもとにあると知り、
ふたたび足羽川を渡る~




フェニックス通り東側にある説明石碑

その反対側、堤防の上にありました~
坂本竜馬の歌碑の隣





中央公園の隣にある福井神社も視察~

松平春嶽像




さくら通りを横切り北上
仁愛女子高校の隣にある「中根雪江宅跡」へと向かう~

中根雪江(なかねせっこう)は松平春嶽の教育係として幕末の福井藩を支えた藩士です


その斜め前にある神明神社


神社境内に中根雪江の銅像がありました



この近くを流れている芝原用水の一部は福井城のお堀の名残です。
そこを辿って東へと


この間も訪れた「福井市立歴史郷土博物館」

復元された舎人門(とねりもん)


前にはお堀の説明が



さらに隣、松平家の別邸「養浩館庭園」


敷地の外に茶室跡地が~



時刻はちょうどお昼、市内を離れるように北上していたら
物凄い吹雪にコンビニに一時避難~
あ!ついでに補給も

仁愛女子大生プロデュース!!
今日3つ目です~


いつまでたっても雪が止まないので意を決して再び走りだす


福井市北部に近づいた頃、先程のかぼちゃパン1つではこれから先の距離が心配だったので、
ふらふらと次の補給所へ~




パンテス


入り口前のイートインのテーブルにて

4つ目

5つ目


あああ、外はまだ吹雪~


時間ももったいないので、ポンチョをかぶって再出発



九頭竜川を越える舟橋

北国街道の由来が



かつて48隻の木船を連ねて橋の代わりにしていたのです~
だから今でも舟橋(ふなばし)






いつもなにげなくクルマで通っているのですが、
ジョギングだと改めてゆっくりと近くまで寄って見れます

ここはかつて宿場もあったのですね~


明治天皇御休憩の碑


九頭竜川の名前の由来も初めて知りました



森田駅からびゅ~んと直線を、とことこ走って東に移動すれば、
我が家ももうすぐ


お昼2時頃、無事帰宅







今日はしっかりとマラソン練習も出来て、福井市も探訪できましたとさ


本日の総走行距離:33.3km








福井と丸岡と糸魚川・・・♪

2013年02月23日 09時00分00秒 | 日記

じゃ~ん!!



ついに案内が来ちゃいました~
あと2週間なんだなぁ・・・










・・・と、そんなことはさておいて、


今年は私が住む丸岡町が、
越前丸岡藩として本多成重(ほんだなりしげ)が丸岡城に入城してから400年目なのです・・・




丸岡町では、古城マラソンや丸岡グリーンロードレースのポスター等で、
それらを唄って行き、啓発やPRに力を入れていくとか




「一筆啓上火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」とは、
徳川家康に仕えた三河三奉行の一人、
成重の父・本多作左衛門重次(別名:鬼作左)が戦場から妻に宛てた手紙として有名で、
お仙とは成重の幼名:仙千代のことである


あ!丸岡の久保田酒造の「鬼作左」は、ここから因んだのですね~




1613年本多家初代藩主成重ののち、
その子本多重能(しげよし)、孫の本多重昭(しげあき)の三代で今の丸岡の町並みは整備され広く繁栄することになるが、
重昭の子、四代藩主本多重益(しげます)が信仰心は深いが酒色癖の悪い藩政においては無能な人物で、
1695年、幕命により取り潰されてしまう




本多家無き後、丸岡城に入城したのが糸魚川藩・有馬清純(きよずみ)である
おや?糸魚川~?

私が毎年参加させていただいているグランフォンド糸魚川

丸岡と糸魚川にこんな御縁があったとは~






有馬家はその後8代続き、廃藩置県の時代まで長く丸岡を統治することに







ところで、時代はちょっと遡るが糸魚川と福井にも少しご縁が


福井藩初代藩主・結城秀康(徳川家康の次男)はつとに有名だが、
四代藩主松平光通(みつみち)の子、 松平直堅(なおかた)は庶子であったこともあり、またお世継ぎ問題でもめていたこともありで、
糸魚川藩に入領している


あ!この直堅は、この間見に行った藩主邸・養浩館庭園(御泉水屋敷)で生まれているのですね~
ちなみにこの養浩館庭園は、米国の日本庭園専門雑誌『数寄屋リビング(ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング)で、
2010年もっとも美しい日本庭園ランキングで1位の足立美術館、2位の桂離宮に次いで
第3位に選ばれている~




光通には公の子は居なかったことと藩政も良くなかったことから、
幕府からお取り潰しを受けそうにもなるが、
減石されても潰されなかったのは、徳川家康の直系の家柄のためだとも言われている。
当時の越前松平家は徳川御三家とは別に、特別な扱いを受けていたと聞く








う~ん 興味を持って調べてみると、
いろんな繋がりが出てくるのですね~

朝の風景・・・2月の雪

2013年02月22日 07時50分00秒 | 日記
2月22日(金曜日)






雪の華~



足羽川のサクラ並木です








今年のサクラ開花予想は平年並みか少し早いというが、
まだまだ2月、毎日のように薄っすら雪降ります・・・






あ!勤務先近くの病院さん、カワイイ除雪機~










・・・と、そんな雪の週末


出勤途中にふと小さな看板を見つけた~!!
「○○先生生誕の地・この先300m」


急にどんなものか見てみたくなり、ハンドルを左に切った
















橋本左内先生・生誕の地



福井市の春山町にひっそりとありました~

おや?ここの路地の1本西は北国街道じゃないか~?







幕末の福井藩士に絡む史跡だけでも、けっこう福井市で観光ルートが組めるのでは?








またまた春が待ち遠しくなってしまいましたとさ


福の井

2013年02月21日 07時45分00秒 | 日記

じゃ~ん!!



黒・白・琥珀と来て、次は赤~


・・・でも、注いでみたら赤くなかった
香りは素敵でした










引き続き、福井市郷土歴史博物館ネタで







福井市の市章



現在、福井県庁のある福井城址に「福の井」という井戸があり、
そこが「福井」という地名の由来だと言われています

この井戸の囲いと、福井の旧名称の「北の庄」の北の文字とを組み合わせたのが、
今の福井市の市章なのです



ね?なんとなく北でしょ?




1624年に福井藩第3代藩主・松平忠昌が「北の庄」の北は敗北の北に繋がり縁起が悪いとされ、
この時に「福居」となりそののち「福井」と





福井市の市章を見て改めて、
古い呼び名と新しい考え方が結びついたような感覚に浸ったのは私だけでしょうか・・・?

城下と街道・・・。

2013年02月19日 08時00分00秒 | 日記

冬の「養浩館」





松平春嶽公の別邸です



先日来、養浩館の隣にある福井市立郷土歴史博物館にて、
「福井城下と街道の風景」という資料展を見て来ました



展示担当学芸員さんによるギャラリートークがあり、
詳しい説明を聞きながら、絵図や古地図を見比べて、
松平家が統治していた頃の福井藩の様子を説明して下さり、
たいへん興味深く拝聴させて頂きました

ちなみにギャラリートークはあと1回・3月3日にも行われます






ところで、ふと思ったのが普段自転車でうろうろと走っていた所が、
実は歴史的にも価値のある北国街道の一部だったり


ひょっとしたら松尾芭蕉や坂本竜馬や結城秀康らも歩いて通ったカモ?



・・・で、とある日の通勤途中
ふと気になり、北国街道を覗いてみようかとなにげに立ち寄った裏道で・・・、


加賀口御門址

加賀藩に対しての、
福井藩の北に位置する重要な門



昔、子供の頃によく通っていた道なんだけど、
こんな歴史的価値のある場所だったとはねぇ~






あ!ちなみに、ルートラボで「北国街道」を検索すると、
orukさんという人がアップされている詳細なルートが見れますヨ





春になったら、北国街道巡りサイクリングってのもいいかもネ