いつか風がみていた・・・(フレディ・Mの日記)

自転車とオートバイで遠くへ・・・。

一喜一憂。

2016年12月27日 05時00分00秒 | 日記
娘、入院から約1ヶ月半。





抗がん剤治療もワンクール済み、
頭髪は日に日にばさりばさりと抜けてしまったが、
極端に数値が下がっていた白血球も戻りつつ、
このまま調子が良ければ
自宅外泊も考えてみようかとの主治医の言葉に、
私達夫婦は喜び、
帰ってきても大丈夫なように大型で強力な空気清浄機を新たに買って、
明るい兆しをなんとか感じようと必死でした。





平日は朝に付き添いの嫁さんに弁当を届けて仕事に行き、
帰りには洗濯物を取りに病院に寄るを繰返し、
週末は家の大掃除をしてから付き添いのバトンタッチ。





外泊で帰ってこれるかも知れないと思うと、
大変な大掃除もさほど苦にならず、
なるべく菌が減るような努力をしました。


やがて若い夫婦が住むからとせっせと家の修繕やペンキ塗りをしていたのが、
今度はいつか娘が帰って来るからと大掃除に取って代わりました・・・。







体調もまずまず、主治医から食べ物のオッケーも頂いたので、
クリスマスイブに焼鳥が食べたいと言われ、
予約を入れた・・・が、


その翌日、急に体調が悪化
白血球の数値が下がり、副作用の便秘からくる腹痛に苦しむ







イブの朝に主治医からの絶食宣言!
ケーキは1日前倒しで食べれたけど、
予約で注文した焼鳥は点滴を受けながら見るだけで、
病室に来てくれた彼氏と友達が食べる事になり、
私が買ってきて病室まで配達・・・。



1ヶ月半ほぼずっとベッドに寝ているせいか?
トイレに行くにもなかなか立てず、
便座からは介助無しでは立ち上がれず



気が付けば娘の手足はまるで老婆のように
細くなってしまいました。



年末からは2クール目の抗がん剤治療が始まる予定ですが、
ゆっくりゆっくりでもいいから、
ほんの少しでもいいから、
病状が良くなって欲しいと、
強く願う日々が続きます・・・。

(娘の友達からのクリスマスプレゼント)


クリスマスの思い出・・・。

2016年12月26日 10時00分00秒 | 日記
それは小学校へあがる前の年のクリスマスイブ・・・。






今までと違う家に暮らす事になった私は、
枕元がすぐふすまだったので、
そこに自分の靴下をセロハンテープで貼って
かすかな期待をもちながら眠りました。









明けて翌日、
少しは予想してはいましたが、
やはり靴下の中にも枕元にも何もない普通の朝でした・・。











その時の私は、悲しいというよりも、
あぁ、自分はもう貧乏になって両親ともいないんだから、
何も求めてはいけないんだなぁ・・・と思い、
そのころあたりから私は早く大人になって働いてお金を貯めて、
人並みになりたいとずっとずっと思い描いていました。













高校の先生が勧める大学にも家庭の事情で行けず、
大人になってお金持ちにはなれませんでしたが、
それなりに人並みの生活が送れるようになり、
自分の子供達が眠る枕元にプレゼントをそっと置くという
喜びも味わせてもらい、
次はその子供達が結婚するのを今か今かと待つようにも・・・。









生意気ながらつぶやかせてもらうなら、
今、その歳まで親がいらっしゃる方々はとても幸せな事であるということと、
純粋に親に感謝して頂きたいと思います。



           メリー・クリスマス

娘入院1カ月。。。

2016年12月11日 22時22分22秒 | 日記
娘入院1ヶ月。



救急外来で担ぎ込まれて、

まさかそのあと家にも帰れぬ生活を強いられるとは、

本人も家族も思う由も無し。

クリスマスも年末も正月も自分の誕生日も病院なんですね。。。





医師の事前説明や予備知識である程度想像はしていましたが、
抗がん剤治療による副作用は親としてやはり目を被いたくなるものがあります。

本人もここまで姿見が変わるというのを突きつけられ、
いつしか笑顔も無くなり力無い語りに。

ベッドに寝てばかりいるので背中や腰が痛むのでしょう、
今日長い時間腰をさすったり揉んだりしてあげました。

暖かい身体に触れながら今日も生きていてくれてありがとう、
でもこの肌の下を流れる血液は病と闘っているんだね?
どうか打ち負かしてくれますようにと・・・。。。


ひとりで食べる夕食はこの子達のお蔭で賑やかにしております♪




姉ちゃんが「買って飼ってかって!」といって我が家に来てくれたこの子達が、
姉ちゃんの帰りを待っていますヨ。

一進一退。

2016年12月04日 06時16分16秒 | 日記
2016年、師走



11月29日から本格的な抗がん剤治療が始まると同時に娘は無菌室へと。
2度目の生体検査の結果、さらに詳しい病種が判明する。
「悪性Tリンパ芽球性リンパ腫」
現代の医学でも病因は不明の難病です。



ともかく強い抗がん剤で叩くしかないので長い時間点滴に繋がれ、
食事も摂れない程に辛がったりスッと楽な日もあったり・・・。
一時は歩行訓練まで出来ていたのに、
抗がん剤治療が始まるまでのわずかな間に再び病が進行し、
いったんは抜いた心臓周りの水がふたたび溜まりだす。
またたくさんの点滴や心電図に繋がれてベッドから動けない状態に。



医師の説明に投薬初期には
ショック死する可能性もあるという言葉を心の中では否定しながらも、
私達夫婦は良くなったと安堵したり、
悪くなっておろおろしたり・・・。。。



家の事があんまり出来ていないでバタバタ慌ただしくしているのを見てか?
今までの生涯の中でそんな事初めてなんでは?と、思うような?
週末付き添いから家に帰ったら、
息子が晩御飯に焼きうどんを作ってくれていた


気を良くした私は、日曜日から天気悪くなるし土曜日は息子仕事だからと、
朝6:00から仕事に行く前の息子のクルマをスノータイヤ交換!
普段なら息子のクルマは絶対触らないし本人に任せてさせるんだけど、
アイツも仕事でタイヤ交換している時間無いしね
今までこっちからメールしても電話しても一切返事しない電話取らないヤツが
「ありがとう」とだけメールよこしてきやがった



続けて嫁さんのクルマと自分のクルマもタイヤ交換!
3台のタイヤ交換をして外した夏タイヤ&ホイールを綺麗に洗ったらお昼の12時!
慌てて昼ごはんちゃっちゃと食べて、
病院で娘に付き添いしている嫁さんとバトンタッチ。
1日ってなんて短いんだろ?とも思うが、
1日中ベッドから動けない娘は長く長く感じているんだろうねぇ・・・。


一時は余命数日とさえ言われた事を思えば、
闘病していくという選択肢が与えられただけでもありがたいと思うようにしていますが、
それは1年?いやそれとも2年?
少なくともそれくらいは診ていて下さいと言われ、
まだ始まったばかりの闘病を寄り添うだけの日々が続きます・・・